だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#355 音声入力不具合起こり、「ケータイ補償お届サービス」でiPhone交換の顛末。

 
12月中旬くらいからなんかおかしかったのだった。
 
音楽の練習をするのに「Siri,30分タイマーを」とかお願いするんだけど、だんだんSiriちゃんにそっぽ向かれるようになった。
「なにを言われてるか聞き取れません」、
そのうちうんともすんとも言ってくれない感じ。
 
「OK,Google!」さんの方はちゃんと働いてくれるし、
久々に復活させてみた「Dragon Dictation」(自分のblog調べてみると以前に多用していたのが、2011.4くらいでiPhone4sくらいのときでしたよ)もバッチリ反応してくれる。
(余談ではあるが、Dragonの音声認識のほうがSiriを遥かに凌駕していたのにはびっくりした!)
ちなみにもう一つ持っているiPadの方やら、家人とか娘の方のiPhoneも反応してくれる。
自分のやつだけがSiriちゃんシカトなのである。
だからどうもiOSバージョンアップのせいでもないようだ。
 
実は2019年から紙の手帳廃止の構想も進めており(ちょっと間に合わんかったけど、いやオレの人生間に合わんことだらけかな・・)、
そのプロジェクトの中でも「音声入力」はカナメであった。
だって、デジタルの板にスタイラスペンで入力して、それを画像として取り込むというのが、
アナログ→デジタルへの移行でも一番楽ちんなパターンだけど、
それだと、データの検索きかないからなあ。
やはり、textでデータは残しておきたいからなあ。
そのためにもなにがなんでも「音声入力」は必要最低限だったのだ。
それも自分が最も愛するiPhone6sでの頻用がのぞみであったというのに。くくく。、
 
ネットで調べてみると、過去からどうもこういった現象はまあまああったようで、結局は、再起動とか復元してもだめな場合は、交換になるらしい。
ええ、自分もしましたよ。
再起動やら、iTuneにバックアップしての復元やら(2時間位かかったかな)、あの手この手を尽くしました。
Siriちゃんにむかって大きな声でがなると、文節の一節くらいをかろうじて聞き取ってくれるという、なんだか中途半端な感じのレスポンスなので、ずっと迷い続けて、いつかある日治るんじゃないかと思いつつ、結局年を越しました。
 
で、元旦にふと思いついて、ドコモの「ケータイ補償お届サービス」を探し当てたわけです。
以前も液晶割ったときにお世話になったんですよね。
症状を細かく記入して、Webで送信すると、すぐさま代替え機を送ってくれるとへんじが!
なあんだ、これって故障なんだ、あれこれ悩むんじゃなかったわ!
で、たったの一日で代替え機は送られてきて、現在復元中であります。
 
自己負担は7500円で、これを高いと考えるか安いと考えるかは個人次第でしょうけど、あの悩んだ日数を考えると安いものです。
スマホはもはや、PC並だもんなあ。いついかなる故障が起こってもブラックボックスみたいな部分に対してはお手上げだもんなあ。
 
でも完全復元というわけにはいかず(まず送られてきた交換機に最新のiOSを入れるところから始めなくてはならなかった。こうゆうのって、いつまで自分だけで対応できるんだろうかねえ・・)、
ドコモの携帯アドレスは消えてて、焦りましたが、これもネットで調べて、プロファイルをinstallして復元しました。
 
iTUNEと音楽同期設定してなかったので、iPhone内の音楽は消えとりましたけど^^;
まあなんとかなりそうな感じですかね。
 
久々のガジェット覚書であります。
 
 
 

#354 旅する流れるとどまる

水惑星年代記 月刊サチサチ (ヤングキングコミックス)

今日の一言;
 
「それでも人間には便利な機能がついていました
ヒューズが切れたら寝ちゃえるってことだ」
(月刊サチサチ 大石まさる より)
 
いえい!
眠りは誰もを等しく殺し、状況が何も変わってないとしても、蘇らせてくれるよ。
 
旅に出たいと希求する。
 
それは最初はこの日常から逃走したいという安易な発想からだ。
でも日常は生活の基盤であり、そこに帰ってこなければならないことはわかっている。
基盤が崩れたらそれは、放浪で、旅にはならない。
 
非常に都合の良いコトバに「ノマド」なんていうのがある。
このITの進んだ世の中なので、PCと通信環境さえ揃っていればどこでも仕事になるというものだ。すんばらしい。
でも、man to manで仕事しているオイラにはそのコトバは、「旅」という単語同様遥か彼方できらめいているだけだ。
 
若い女の子が、バイク一台で気ままに旅に出る。彼女は放浪しながらも、雪の中の小屋に居住地を定める。生活が生まれる。なんかどうも彼女は翻訳の仕事で下訳しながら生計もたてつつ、掘っ立て小屋暮らしをしてるらしいよ。うらやましいなあ。そんな漫画を久々に読む。
涙がぼろぼろこぼれてくる。
どうしてかわかんない。
彼女はまた次の旅に出る。今度は南に向かって。
たぶん彼女の辞書にはサヨナラの言葉はないんだと思う。
 
ずいぶんサヨナラを言ってきた。知り合いにも、そうよく知らない人にも、患者さんにも、自分の親にも。
こんにちわよりサヨナラの数のほうが増えてきてるような気もする。
サヨナラの前には、それはともに過ごした時間とか経験とかが横たわってるせいなのかもしれない。
だからサヨナラの重さのほうがまさってきてるのかもしれない。
生まれた赤ちゃんにこんにちわを言っても、そのつぶらな瞳の中に、今後オレと共有する時間があるのかどうかなんて誰にもわかりゃしないからね。
 
ノラ・ジョーンズの声が心地よい。
どんなに離れていても自分の耳元にあるような、そんな彼女の声のような、
別れた人たちはそうやっておれの耳元でたぶん囁いていったのだ、だから忘れることができないでいる。
 
だからどこに行っても実はおんなじなのかもしれない、おれがおれであるかぎり。
あなたがあなたである限り。
それでも、違う景色の下で、違う風に吹かれながら、
あなた達の囁きをまたまどろみの中で聴きたいと余計に思うのも、これまた真実。

#353 誕生日が来て、56歳になり、「さしむかいラブソング」というコトバを発掘する。

 
誕生日。56歳になる。
 
片岡義男さんの「さしむかいラブソング」という短編を読む。
誕生日は祝日で、祝日はいつも透析業務だ。毎年のこの繰り返しがいつまで続くのだろうか。
答えは風の中に舞っとるんですかねえ・・てなわけで、院長室の本棚を探してみると案の定古い角川文庫が見つかった。
「マーマレードの朝」という短編集だ。
大街道の古本屋で買ったみたいで、「愛媛堂書店」というシールが張ってある。
リアル古本屋もどんどん消滅してるんだけど、愛媛堂まだあるのかな?
購入は多分S56年。自分がちょうど大学生になってしばらくの頃だ。
 
きっかけは、
先日、Qちゃんの店で、お客さんがはけて放心の中、
カウンター越しに彼女と二人っきりで話してて、ほんとにふと思いついたわけですよ。
「こうゆうのをね、なんていうのかな、さしむかいラブソングっていうんですよ、いえね自分がQちゃんに下心があるとかなんかそういうんじゃなくってもですよ、そのね、だからね、なんかいいでしょ、さしむかいってコトバ」とか言ったとか言わないとか。
 
初期の片岡義男さんらしく、ハードボイルドなラブ・ストーリーだった。
 
ラスト、バイクの事故で全身損傷になり、病室にいるサチオを、売春で捕まりやっと釈放された19歳のミキが訪ねるシーン。
 
薬品の匂いに満ちた部屋に、外の自動車の音が、地鳴りのように聞えた。
しばらく、ふたりは、無言だった。
「おい、ミキ」
と、幸雄が言った。
「はい」
「こういうのを、さしむかいと言うんだ」
食い入るように幸雄を見ていた美紀の、血の気がひいてよけいに美しい顔が、まっ赤な唇から頬そして目と、くしゃくしゃになった。
唇が両側からひっぱられて、「へ」の字にさがり、ぷるぷるとふるえた。頬が急激にべそをかき、両目の下まぶたに涙が盛り上がった。
涙は頬にあふれ、一斉に流れ落ち、頬の途中から、そして唇や顎のさきから、つづけさまに落ちた。いくつもの涙の滴が、美紀のひざに置いたエナメルのバッグに当たり、ぽたぽたと音をたてた。
 

 

もしかしたら、酔っ払って、絵を描いている時、絵の対象の彼女だったり(時には彼だったりします)と、おれは「さしむかい」で、もしかしたら、そのときの二人は「さしむかいラブソング」なんじゃないのかな、なんて思ったんですよ。
一瞬でもいいからそんな時間を積み重ねて、
その濃密な時間の中に、対象の方の笑顔を見つけられたら、それだけでもうオールライトなんじゃないのかな、人生それで十分じゃん、たとえそれがほんの僅かなふれあいでもね。
多分酔っ払って描いてる時の自分は、目の前のモデルさんの顔の中に、その人の人生やらその人のキュートな部分とかハニカミとかそんなものを見つけさせてもらってるんじゃないのかなあ。
だから稚拙な絵ではありますけど、みんなに喜んでもらえる限りはまだまだ「お絵かき」を続けようって思うんですよね。
 
誰かに生かされて、それで誰かを少しでも生かすことができたらな、なんてそんなことを思ったりもするんですよね。
それは本業の医療に関してもおんなじじゃねえか、なんだそういうことだったんだよね。
 
いえね、いつも思ってるわけじゃないんですけどね。

#352 ここにいないあなたへ

ここにいないあなたへ

 
カウンターに座って戻ってこない人の名を呼ぼうとして
想い出せないことに呆然とする
そういうおれはいったいどこの誰なのか
曖昧な記憶を確かめるようにポテトサラダを食す
 
目の前のコップの中身はたぶん芋焼酎
それだけでも思い出せるのはきっといいことだろう
あなたの不在だけが中心にあるのだけれど
あなたのその仕草とか唇とかは思い出せるのに
あなたとの日々はもう靄の中のようだ
 
ここにいてほしいと思いながら
ここにいてほしいと言い出せなかったおれを
あなたは責めもしないで小さなため息をひとつついて笑った
そんなこともあんなこともどこか遠い他人の日記を盗み読んでるみたいに思えてくる
 
いつか笑えるのかな
いつか声を出して笑えるのかな
この人はねぇいつも酔ってからしかこないんですよ
カウンターの中で白い割烹着の男が笑いながらおれを指差す
 
これはおでんの匂いかな
甘い味噌で食べるこんにゃくは最高だな
たまごも好きだけど
そういえばあなたの好きな銀杏もこの店にはあった気がする
熱燗の季節が知らないうちにやってきて
おちょこの淵の神様が湯浴みしながらおれの魂のドアをノックしてく
 
あなたの不在は
あなたの不在は
どうしようもなく存在しているから
だから今宵も酒を注ごう ぬる燗よりちょい熱めでお願いしますよ
だって今もこの熱燗の徳利の隣の湯気の向こうに
あなたは困った笑いで座ってるんだからね
 

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古い本を読む。20年前、入院した彼女のためにチョイスした本だ。

古い本を読んだからといっていつも古い記憶がよみがえるわけでもないけどね。
それでも、いろんなことを思い出すことはできる。少なくともその周辺のことは曖昧でもなんとなく。だから、何度でも、死んだ人や、目の前から消えていった人たちは蘇るだろう。この自分が生きている限りはそうであって欲しい。でもその自分が自分でなくなる日が来るとしたらそれはちょっと怖いことだなあ。実際「そこに、わたしの目の前に昔の友達がいるんですよ」と、真顔で言う患者さんもいる。もしかしたらそれは間違いじゃないのかもしれないな。

#351 「石の繭 殺人分析班」

 
昨日は、「大人のピアノコンサート」でした。
単独演奏の「Waltz for Debby」と、あゆみ先生と連弾の「虹の彼方に」で燃え尽きて、そんで一人で自宅で祝杯あげてコップこぼしたりして、朦朧としながらもまた焼酎ロック飲んで寝て、そんでもって朝の6時から覚醒して、延々と録りためていた番組観とりました。
 
「石の繭 殺人分析班」という5回ものなので、約5時間のシリーズです。
 
まあ手に汗握ってみてましたけど、こういった推理ドラマっていうのは、なんか、わかってしまえばあまりにもストーリーが巧緻すぎて、こんなの普通の人生にはそうそうないよな、けっ、という感じで、なんか面白くもあるのですが、興ざめになってしまうんです。観てるときはそりゃあハラハラですけどね。だから逆にあとに残らなくっていいっていう話でもあるんですけどね。
操作する側である警察の内部構図、親子二代の刑事で主人公である殺人課の彼女はとっても凛々しい木村文乃さんで、その主任でありバディであるのが青木祟高さんというまあカッコいいキャスト、連続殺人を犯す犯人が実は・・と次から次へと事実が明らかにされると、なるほどと思いながらもやはり興ざめするわけで、だから自分は警察モノとか推理モノ(「コナン」とかもその範疇なのかな、それともこの言葉自体死語かな?)とかはやっぱり近寄らないジャンルなんですよね。まあ自分のオツムが弱いってことなんでしょうけどね。
でも、シリーズ内には、親の因果を乗り越えていっぱしの刑事になってゆくという成長ドラマも同時に内包されてるわけで、その主人公が凛々しい女の子としたらそりゃ文句のつけようありませんよ。
 
自分も、若いときは可愛い系の女の子も好きだったんですけど、今はどちらかと言うと、凛とした感じの方が好きですかねえ。まあ相手がこちらのことを好いてくれるかどうかはまったくの別問題ですからねえ。あはは。
 
まあそんなわけで、実はこの「石の繭」は再放送であり、この制作から1年後の今、新作の「水晶の鼓動」というのが現在進行形であり、それをまとめて観れるのが楽しみですねえ。
 
ドラマ観終わって、いただきものの「出石そば」をザル風にしていただきましたよ。
今日は夕方から医師会の忘年会です。ほんま時間の絶対量が足りません。
 
連続ドラマW 石の繭 [DVD]

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#350 54歳からのピアノ その7 (最終回?) 「大人のピアノコンサート」で今回は「Waltz for Debby」を。

 
いつも何かに追われてるような感じ。
時間との戦い。
でも人生は有限で、人の持ち分は誰しも平等だから仕方ないよね。
まあ早逝する人は別ですけど、誰も自分の人生の残り時間知らないからね。
 
そんなわけで、追われるものを作るのは、仕事は別とすれば他ならぬ自分であることがほとんどで、だから誰にもエクスキューズできんわけですが、その一つである「大人のピアノコンサート」が昨夜無事終わりました。
これは島村楽器のピアノ室でひっそり・・行われるはずなんですが、昨日はおそらく30名以上の観客だったでしょうか。その前で、スタンウェイのピアノで弾かせてもらうわけです。10組の出演者があって自分は2番めのエントリーでした。演目は「Waltz for Debby」とあゆみ先生と連弾の「虹の彼方に」でした。
 
実はWaltzの方は、うちの奥さんの持ってるCDで昔から知ってて、あこがれの曲でした。ジャズピアノするならこの1曲って思ってる人は他にも多々いると思われます。そんな名曲であります。
「やさしくひけるジャズ」というような教本で練習したわけですが、この本を選んだのも、この曲があったからそうしたのだと記憶しております。
54歳からピアノを初めて、超入門編の本をなんとか1冊終えて、新しい本に取り掛かり、最初にこの曲を選びました。ええ、それから延々と6ヶ月練習して、人前での発表というわけです。
一人でやるとまあ成功率70%くらいまでの精度になったのですが、隣に誰かいるともう大コケです。それが30人を前にしてしかもスタンウェイですから、その緊張感たるや想像を絶するモノでした。それでもなんとかまがりなりに最後まで弾き通せましたよ。前回のこのコンサートでは途中でフリーズしちゃったので進歩ではあります。弾き通せたのは、あゆみ先生の指導の賜物と自分の努力の賜物だと思います。褒めてやりますよ、ええ、自分をね(いっつも褒めとるでしょうに?あれそうだっけ?)
 
この曲が弾けたらおれもうピアノやめてもいいや、と思ってました。
 
だって、あと10年やっても、昨日のピアノコンサートのトリをつとめた16歳の女の子にかなうはずないですからねえ。
だから「54歳からのピアノ」もこれで最終回になるかもです。
まあ、少し深呼吸して、力を抜いて、自分の底から何かがまた沸き起こってくるのを待とうとは思うんですけどね。
 
でもいまは、クニ河内さんじゃないですけど(知ってる?)、そっと、そっとおやすみなさい・・です。
 
読んでいただいてありがとうございます。

#349 Mannish Boys and Zucchero,come on!

 
昨日は「Mannish Boys」のコンサート。
 
銀天街の地下にある新しいハコ「W Studio Red」。
オールスタンディングだけど「サロン・キティ」よりは広い。
キティは「クロマニヨンズ」で前回いったけど、あの狭さは、頸の悪い自分にはもうちょっと恐怖だ。
「Red」の方は前回はトータル6時間位という有山じゅんじさんの復活祭だったけど、あのときは高齢者のことも考えてくれたか、真ん中は椅子席だったからねえ。それはそれで冷房効きすぎて辛かったけど。
今回はホントのオールスタンディングで300名以上。近々クロマニヨンズも来るみたいなんでそのときは>300だろうね。
 
「Mannish」は斉藤和義中村達也さんのユニットで最近3rdがリリースされたそうだ。
今回はベースも加わっての3ピースで演奏は実にソリッド。ギターも低音ビンビンきかせてて、とっても心地よい。斉藤和義であって斉藤和義でないっていうのかな。とにかく久々にhardな音に包まれての至福な時間でした。
 
そういえば、ストーンズがなんとブルースのアルバムをリリースするそうで、スタジオ入ってplayしてたらアルバム1枚分のストックができてたそうで、ミックのハープの影にはなんでもブライアン・ジョーンズが見えるそうだ、とのこと。
これもちょっと欲しいかも。
 
終わってから、近いこともあって「ズッケロ」さんでこれまた至福の時を。
やっぱり美味しいですよねえ。
 
御荘牡蠣のピンチョス、小海老のアヒージョ、チーズ。
薪焼きのリブロースとかも頂いて、無理言って、隣の「イルバンコ」からオルホ持ってきてもらって、いつものソーダ割りでグビグビ。
家人と一緒だったのですけど、彼女はコシ落ち着けて一件の店でゆったり飲むタイプとのことで、
あたり見回すと皆さんそんな感じでしたよ。
オーナーに聞いても、最近は最初の一軒からうちでずっと最後までいてくださる方も増えましたねえとのこと。
 
性急な自分の「次どこにしよ?」の飲み方とは違うんやなあと、久々に56歳にもなることだし飲み方を再考してみようかなあとも思った夜でした(みんな無理や思うてるでしょ^^;)。
ゆったり料理を待ちながら飲むのもいいもんだなあ、などと、柄にもなく。
 
まあそんな素敵な夜だったってことなんでしょうねえ。