だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#363 「似顔絵美人300展」の自作パネルの原画とか日々のこと その2-3

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2枚めは「before FUDE」
3枚目は「after FUDE」と密かに題した。
 
2016.12月から「筆ペン」という新しい武器も加わった。
ある日、とある「ワイン会」で、目の前の美女が懐から筆ペンを取り出して、「これでわたしを描いてよ」とのたまったのがきっかけだ。
その日は、店のワイン飲み放題お品書きの裏に描いた描いた。
筆のタッチは大型の紙を必要とすることもわかった。A4とかのサイズですかね。こうやってしょうもないことであっても新しい発見は続いてゆうく。唯一腕前の進歩がないだけなのだけれど。
 
実は、最初は、iPadとかでも描いてた。
だから2枚めのカラーの作品はiPadです。でもリアルタイムでモデルさんと対話しながら(酔っ払ってるし)描く楽しさには勝てずに、そのうちお蔵入りになって(なんせ酔っ払ったときだけ描く「酔っ払い画伯」ですからね)、それからボールペン→鉛筆→再びボールペンみたいな変遷で描いてきました。
最近は、サインペンとか、マジックとか(ダンボール紙にも乞われて大晦日に描きましたよ!)いろいろやってるけど、まあ腕はともかく、どのタッチもそれぞれの味があるのはあるもので、面白いです。
 
「美人似顔絵300展」に出かけるときに、銀天街の「三浦屋」さんという文具店で、あらたに「コピック」というペンも購入してみた。どうも漫画を志す方たちの愛用のものらしい。かなり種類も多く、非常に細いものが多かったので、自分は一番太い0.5とかを買ってみた。
 
漫画といえば、中学生の頃、永井豪先生の漫画の女の子のおっぱいどーんとか、ハヤカワSF文庫の松本零士先生の美女イラストとかを模写したのが絵との関わりだった気もする。中学(高校?)の美術で、好きなもの描けと言われて、その頃傾倒していた永井豪の「デビルマン」とシャガールの初期の作品をパチったような絵を描いた記憶があるけど、とても見られた代物ではなかった。なんか変な生物がただ並んでるっていう。まあ美術の才能はないですわ。だからどの絵もおんなじやんとか言われても、そうは傷つかないんですよね(笑)。でも言わんといてくださいね、ですけどね。
 
ともに過ごす空気と時間と、強いて言うならアルコールのはいった独特な高揚感。
それでいいし、それがいいんだと思いますよ。

#362 「似顔絵美人300展」の自作パネルの原画とか日々のこと その1(「似顔絵美女300展」at萬翠荘 2017/01/31-2017/02/05 )

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しばらく、「似顔絵美人300展」の自作パネルの原画をupします。
 
一枚目は、いつも懇意になっている「道後椿倶楽部」の女将さんの特集。
店に行く度に被写体になっていただき、ああでもないこうでもないと妄想も含めて描き溜めた作品の中からpick up。
 
以前も書いたけど、でもこうやって描き溜めた作品を、iPhoneの画面とかパソコンの画面で見てると、その時の空気が容易に蘇ってくるのだから不思議なものであります。
 
人間ってやつには、やっぱり、場所と時間が必要なんだと思う次第です。
たとえバーチャルでもそれら愛おしんだものだけが身になってくのかもしれないってホントのことかもしれません。
 
それって恋愛と一緒なのかもね。
 
で、「恋愛」といえば、1頁1頁いとおしむように読み続けていた小説を、昨夜読み終えてしまいました。
川上弘美さんの「センセイの鞄」です。
 
そこに出てくるヒトたちは、ツキコさんにせよセンセイにせよ、トレンディドラマの中の人でもなく、さりとて普通の人種でもなく、変わったヒトばかりです。
アラフォー女性と老人のセンセイの人生(恋愛)の話なんだけど、舞台となる居酒屋で、これまた長い長い一見無駄にも見える時間の積み重ねが、二人の人生が交錯させてゆくのを(読者として)見守りながら、毎日短い一話ずつを読み進めていくことは至上の歓びでありました。
 
読み終えちゃったよ、、。
 
知らないヒトとヒトとが酒場の隣で出会って、いつの間にか、知らぬ仲でもなくなってくる。
それが果たしてほんとにいいことなのかどうかは誰にもわからないけど、人間存在ってやつにおいて、複雑なようで結構単純な自分の狭いテリトリーでの関係性を自分の意志で選び取るということの連続は、たしかに人生そのものと呼んでもいいのかもしれないよね。
誰もの人生が立身出世の物語だったり、感動秘話だったりするわけじゃないんだから。
 
本をお腹の上にして寝とりました。
気付いたのが22:30でそれからまた寝てしまいました。
どんだけ寝るんやろうね。眠りはでも決して無駄ではないからね。
おれ、ちゃんとよみがえれるんやろか?
センセイの鞄 (文春文庫)

センセイの鞄 (文春文庫)

 

 

#361 松さんへのオマージュ(「似顔絵美人300展」at萬翠荘 2017/01/31-2017/02/05 )

なんかココロの中にぽっかり穴が空いたような脱力感を味わっております。
原因はわかってるんですよね。ひとつが終わったのに、まだその夢か幻かわからない世界から脱してないってことなんですよね。
ホント抜け殻ですね。
 
国の重要文化財施設である「萬翠荘」というところで、盟友の松さん(69歳)が、「似顔絵美人300展」を開催された。
まさしく、彼の描いたスケッチの美女300点が並ぶというものでした。壮観であります。
それに声をかけてもらって、友情出演させてもらったのですよ。
まあ一応ライバルという触れ込みなんですけどね。てへへ。
自分は300枚の美女の片隅に、60cm角くらいのパネルを3枚だけ並べさせてもらったのでした。
開催は、2017/01/31-2017/02/05の6日間。
萬翠荘」は観光の拠点でもあるので、思ったより観光客の方も来られる。なので、よその県とか東京のご婦人の似顔絵も現場で描かせていただくことができたのは僥倖でした。こちらをやや俯瞰気味の視線で見ている方に、「よかったら描きますよ」とか声をかけるわけですけど、中には「お金は取らないんですか」と言われる方もいて、おれたちお金もらえるほどうまくねえよとか内心思いながらもそれはそれで嬉しいもんだねえ。なんかいいよね、こういう時間の過ごし方ってねえ。
昨日の最終日は日曜ということもあり、松画伯と自分の両者が揃い、二人で一つの被写体である美女を同時に描くという「対決」も繰り広げられたのでした。東京、神奈川、徳島、岡山、新居浜、いろんな方を描かせてもらったなあ。年齢で言うなら1歳から推定70歳位(?)まで。まさに美女ばっかり!
 
 
 
そこに書いてピンで止めた「松さんへのオマージュ」文章を掲載しときますよ。
 
 

この度は、「美人似顔絵300展」開催おめでとうございます。
このたび友情出品させて頂いております、松さんの飲み友達ドクターで、自称「ヨッパライ画伯」であります。
この場をお借りして、出品の機会をいただけたことに感謝いたします。ほんと自分の絵を展示させていただけるという光栄に酔いしれております。

折角ですので、自分と松さんのことを記しておきます。

松さんと知り合ってもう2年位になるでしょうか。
はじめて「道後椿倶楽部」を教えてくださったのも松さんだったんですよね。
そのときに、松さんも書かれてましたけど、女将の「あゆみさん」をモデルに似顔絵対決をしたのでした。
でもそれから、似顔絵描き修行に精進し始めたんだなんて知りませんでしたけどね(知ってたか^^;

*今回、特別に本人の許可をえて、「道後椿倶楽部」の女将さんのあゆみさんだけ、顔出しOKになってますんで、ご観覧ください。

松さんは、人生の先輩であり、実業家であり、ジェントルマンであり、多趣味のヒトであり、なによりもホント計画性の高い人で、そんな人はゴマンといるけど、自分で決めたことは完全に実行するというveryすごい人でした。

なんせ、600枚の美人似顔絵を描いて、その半分を用いて展覧会を開催してしまうという、自分にはとても思いつかないことをしてしまうし、
読書にしたって、年間100冊読むと決めたらほんとに読んでるのにもびっくり。

びっくりさせられる人はまだまだ世の中に多いですけど、若い人よりも、自分の歳上の松さんに驚かされたことに、自分でもさらにびっくりしましたよ。
おれもうだうだと枯れるとか言ってる場合じゃないよなあ、と、ホント励ましてもらいました。

自分も何でもやりたい方なので、あちこち手を広げるのですけれど、途中でしょぼんとしぼんでしまうものだってないわけじゃないんですよね。
それでも、あきらめずに続けているのは、音楽と似顔絵と酒くらいのもので、それはやっぱりそこに愉しみを見つけてるからなんでしょうね。

酒と旨い料理があって、その雰囲気の中で美女の似顔絵を描かせていただく(いえね、最近では男の方もちゃんと描かせていただいてますよ^^;)、それにまさる歓びはないですね。

描かせていただいた方に出来上がった似顔絵を持っていただいて、それをiPhoneで写真に収めるんですけれど、みんな素敵な笑顔なんですよね。
絵を描かれてる時の緊張がほぐれて(こいつ似顔絵描くとかゆうてこっち見てるけどほんまはやばいオッサンなんやないやろなー、不細工に描いたらしめたろか、とかね)世界一の笑顔でこちらを向いてくださる、ほんと絵描き冥利に尽きます。

だからまだまだ似顔絵を描きつづける予定ですし、それはきっと松さんにも言えることだと思いますよ。

だからね、夜の街で出会ったらですね、このへんな親父たちに声かけてくださいね。

でも、松さんは自分よりももっとすごくって、スタバの女の子とか、ANACAの方まで描かれてるんですよね。
どうやって仕事中の彼女たちを止めるんでしょうね??

自分もせいぜい5分位で描きあげるんだけど、松さんのあの絵はもっとハイスピードだろうなあ(本人は3分以内と書かれてました)。
「あっ」てお辞儀して顔上げたら絵ができてるって感じでしょうか??ホント謎のオッサン(いや、先輩^^;)ですよね。

まあこんな二人ですが、出会うべくして出会って、広いような狭い松山の街で、お互いを一応意識しながら、そうそう触れ合うこともなく、色んな所で似顔絵描いてるっていうのもなんだか乙なものでありますよね。

こうやって、とった写真からセレクトして、顔を排して並べてると、こんなボケナスの自分なのに、なんとなく描いた時の空気とか状況が思い出されるんだから、絵って素晴らしいですよねえ。
時間と空間と時には美味しいお酒を、ほんの一瞬でもモデルの方と共有できたという実感は、なににも代えがたい宝であります。

生きてて良かったです!

それと、これも、今回作品をまとめたりしてて思ったことなんですけど、こうやって形にすると妙な達成感ってものがあるんですよね。

あゝ、シコシコやってきたことだけど、こうやってまとめてみるとなかなかなものじゃん、とかね。
でもね、それはそれでいいんですけど、自分の経験則から照らし合わせると、人生って「まとめ」に入るとろくなことないんですよね。
自分も松さんも、まあええ歳で、決して子供ではないんですけど、それでもあくまで「現在進行系」だからこそ素敵なんだ(自分で言うなよ!)と思います。

だから、この展示会やら、自分のパネルは、「通過点」ってことで、いいですよね?松さん?

最後になりましたけど、
松さん、友情出演させていただき、深謝ですよ。

今後とも末永く宜しくお願いしますね!いえい!

酔っぱらい画伯でちんちんドクターより。

平成29131

 

#360 2017/01/07-08 ③岡山県・奈義町現代美術館にて・・

この美術館は、建築の段階から、芸術家とコラボして、空間的作品と建造物ができたのだという。
なんて贅沢で素晴らしい。
「太陽」「月」「大地」が象徴的にそのメタファーとして使われているとのことだ。
ちょっとびっくりですよね。
作られたアーティストの方は、大半が亡くなられていた。
でも作品はこの地でに残り、生きつづけるのだ。
中学校のときの英語の文章そのまんまだね。
Life is short,art is long.
ぜひ皆さんも、行かれてみるといいと思いますよ。
ほんと訪れるお客さんもぼちぼちですから、アートを独り占めできますよ。
あゝ、目を閉じると今でもあの空間の広がりを感じることができるんです。
そんなものを心の中にいくつ持つことができるのかってことですよね、ほんとに大事なのはね。
星の王子さまが言った、ほんとに大切なものは目には見えないんだ、のspritですかね。
 
美術館の隣の、町立図書館も素敵な空間だった。
自分はそこで、「暮しの手帖」のバックナンバーの、
土井善晴さんの話を読んだりした。料理もまた、artであり、ideaである。
 
 

#359 しかたねえよね。ほんとしかたねえ。

年の瀬もいろんな死があった。
 
患者さんが死亡したときには、当然だけど、その患者さんの死亡診断書を書かなければならない。
じゃないと、火葬できないからね。
亡くなられてから葬儀屋さんがこられるまでの短い時間で書類は作成されるわけだけど、
病気のはじまりのこととか、カルテを眺めながら思い出してちょっととまるんです。
ああこんなこともあったなあ、そういえばあのときはああだったよなあ。
 
病歴の長い方のほうが、そして合併症の多い方のほうが、これがいいのか悪いかは別にして、印象に残る、残りやすい。
自分の場合は、透析患者さんとは自然と付き合いも長くなってくるし、2日に1回は顔を合わせるので、まあ密度も濃いといえば濃い。
透析室のスタッフだとなおさらだろうなあ。彼らにとっては家族よりももしかしたら接する時間が多いかもしれんもんなあ。
 
そして、死の記憶が一段落するかしないかの頃に、生命保険の書類を頼まれる。
またそのときに否が応でも、患者さんの人生をトレースすることになる。それはわかってはいても結構ハードな作業だ。
生の最終地点には、死しかないことを今更のように思い知らされる。
幸か不幸かそこから逃れうる方法を人類は発明していないからね。
 
それはいつか自分にも訪れるのだと知っても、知らん顔をしている自分がまだそこにいる。
だから、灰になっても、実は消え去るものではないんです。薄れてゆくだけの話。
そうやってみんな積み重ねていってるから、
HDDみたいに初期化で真っ白にするなんてことはそうそうならぬことも知っていて、
それでもあがくのはどうしてなんだろうね?
しかたねえよね。ほんとしかたねえ。
 

Death.

#358 2017/01/07-08 ②岡山県・作東美術館で「ペイネ」をみつける。

新聞で見たのだった。
 
現代美術館が町立であるのだと。そこでは体験型でアートに触れることができるのだという。
立体的に作られた竜安寺の石庭。庭に巨大なオブジェが生えている。ひさしと音響の空間は、奈義町中秋の名月の午後10時を向いて建造されているという。
こんなよだれものの空間が、あるというのだ。いわばなんにもない場所に。
その場所は、岡山の北部で、美術館の名は「奈義町現代美術館」という。
 
今回の旅はそこにゆくという望みから始まった。
それだけから膨らんでいった。
 
そこに辿り着く前に、作東町の美術館に立ち寄ることにしたのだった。
 
ペイネの絵(リトグラフ中心)が常時60点ほど展示されているという「作東美術館」に、雨の中たどり着いた。
美術館らしい建物なんてない。
庁舎の一部、図書館の2Fにその美術館はあった。
失礼だけど、なんでこんな田舎にという感じだけど、ロビーにはロダンの彫刻も普通に鎮座している。
 
絵を見てまわっていて、
90すぎまで愛をモチーフに描き続けたこの画家が愛おしくってたまらなくなった。
絵があるから、もしかしてそれだけの長寿を生き得たのではないかと、確信もなく思った。
いやこれだけの絵を描くというか、愛のモチーフを想起できる感性と頭脳があったから、生きたのだ。
それはシャガールをも想起させた。
だから、酔っ払って描くおれの絵も捨てたもんじゃないかもね、とも。
 
絵を見て、なんだか懐かしい気持ちになった。
 
そして、ある絵の前で止まって、はたと思い出したのだった。
そうだ、この絵は、薬局のN先生が、記念でうちの病院にくださったあの絵だよ!
海の上のボートの上で恋人たちは見つめ合い、水の中に映し出された自分たちを見ている。
「恋の湖」というリトグラフだ。
その絵はうちの病院の受付の壁に飾られている。
 
「 私たちほど愛し合っているカップルはいないわね 」
「 そうかな、見てごらん、水の中を… 」

 

こんなにもおれの身近で、ペイネの恋人たちは愛を囁いていたのだ。
 
愛はここにある、きみはどこにもいけない
これは玉置浩二さんの歌だけど、ね。そんな感じ。
 
 

http://atelier-de-paris.jp/pic-labo/peynet_L112.jpg

 
 

 

#357 2017/01/07-08 ①湯郷温泉

土曜の仕事を終えてクルマで、瀬戸大橋を渡り、かなり遠い、どちらかと言うと鳥取に近い湯郷温泉に。
今回の本来の目的は、さらに遠い「奈義町現代美術館」というところなんですけど、
そこに行くまでのお泊りということで「温泉宿」をチョイスしたわけです。
これがまあ自分の正月休みってことで。
この酉年の一年も始まったばっかりですが、またまた忙しい1年になりそうですけどね。
岡山には高校までいたんですけど、自分のうちにはクルマもなかったので(そもそも運転免許を有しているヒトがいなかった)、こんな県北まで多分行ったことないのではないかと・・。
まあそんなわけではじめて行った小さな温泉街なのに、そこはちゃんとした温泉街でしたよ。
料理もそれなりにゴージャズでした。なんせ鷺の浸かった温泉だもんなあ。由緒あるよなあ。
写真の羅列で温泉気分を思い出しましょうかねえ。
 

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まだ暗い中、湯に浸かっていると、体の中からアラーム音がした。周りを見回しても誰もいない。バブルのはじける向こうに確かに音はあったんだ。そうか自分は自分というアプリを入れられた箱だったんだなと気づく。だから確固たる自分なんてどこにもないんだよとすべてはドロドロに溶解していく朝。まだ酔っ払っているのかもしれない。そう悪い気分でもない。でも夢なら夢でいいよ。こんな朝には誰かあの世から来てくれるかもしれないから。やあって手でも振ってね。また一緒に飲めるといいね。

https://www.instagram.com/p/BO-5hkxArv4/

日本庭園という意匠をこらしたに庭は実はあまり好きではない。一幅の絵画の中に人生を埋め込むというやり方も確かにありかもしれない。ゴーギャンあの有名な作品のわれわれはどこから来てどこへ行くんだろうと言うアレもありかもしれない。でも人生なんてケセラセラでのほうがいいんじゃないのかな。今日はそんな気分です。この水が廻廊をしていく作りの庭ならなんとなく心を解放できるかななんて思ったりもしましたよ。