だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#404 また師走が来るね。 16:27

John Lennon Wall

不意打ちのように音楽が流れ出す。
どこからどうやってこの曲が流れ始めたのか。
イントロはちょっと違っても知ってるよ。
坂本冬美さんの歌う、
甲斐バンドの「安奈」が、クルマのスピーカーから流れ始める。
♪寒い夜だった つらくかなしい
一人きりの 長い夜だった

 あの頃が、まるで昨日のように蘇る。

この数十年の師走のおれのうたは、
SIONの歌う「12月」と、この「安奈」と、とレノンの「HappyXmas」と、
時々ではあるけれど、
やはり甲斐よしひろの歌う「百万ドルナイト」だ。
そいつらは脳の中の草むらの奥深く、赤い舌をちろちろ覗かせるヘビの様相で鎌首をもたげる。
 
お前さん進歩ないのか?
ないない。
そしてこの季節になると思い浮かべる「安奈」さんは、
もう誰でもない象徴としての安奈で
その中に、家人の要素が見え隠れしていることに気づいて、急に焦ってみたりする。
ついでに書くと、これは、あの頃が良かったとかそういう話ではない。
♪眠れぬ夜を いくつもかぞえた
おまえのことを 忘れはしなかった
それでも一人で生きてゆこうと
のばせば届く愛をこわがってた
安奈 寒くはないか おまえをつつむコートは
ないけどこの手で あたためてあげたい

ふとした仕草の中に自分の両親を見つける時、

DNAの偉大さを思ったりする。
だからおれが死んで、墓が残ろうが残るまいが、そんなことはどうでもいいことなんだと思う。
忘れられない過去と、忘れてしまった過去とを天秤ばかりにかけても、答えなどありはしないようにね。
もうすぐ12月になって、
また一つ歳を重ねようとしてるろくでもない男が、今日も歩いて息をしてるよ。
酒を飲んで、陽気になって、幾つもの後悔を落っことすのが関の山でも。
とにかく、こうやって生きてるってことが奇跡に違いねえ。
まったくだ。まったくだ。まったきだ。
 
♪なにもことばに残る 誓いはなく
なにも形に残る 思い出もない
酒に氷を入れて 飲むのが好き
それが誰の真似かも とうに忘れた頃
 
愛してる愛してる 今は誰のため
愛してる愛してる 君よ歌う
やっと忘れた歌が もう一度はやる
 
「りばいばる」中島みゆき

  

 

 

#403 いの町(高知県)で買った和紙ではがき絵を描く。

 
もう随分前なので忘れてしまったけど、今年の7月に家族旅行で高知県に訪れた。
吾川郡いの町というところに、「いの町紙の博物館」というのがあって、そこに連れて行ってもらったのだ。
何でも和紙が盛んな頃にはずいぶんと栄えたらしく、
元をたどると、平安朝時代にあの紀貫之が土佐の国史として赴任したときに製紙業を奨励したとも言われているらしい。
すごい街が全国各地にいっぱいあるのだ。
きっと他にもたくさんあるのだろう。
そこで和紙の紙漉き体験もさせてもらった。
自分の手作業でドロドロの水みたいなものから和紙ができるのはなかなか感慨深いものだった。
 
その興奮からか、博物館で「第11回全国土佐和紙はがき絵展」の応募用はがきを買った。
5枚セットで、その葉書に絵を描いて応募するというものだ。
ずっと置いてあったんだけど、締め切りの12月が迫ってきた。
色々考えて、単色だけではなく色を載せようとかも考えた。
水彩色鉛筆とかも考慮してみた。
 
(何週間かの時間経過)
あ、あかん・・すすまん。
やはり構想だおれで、
やはりこれは一発描きしかないだろ、
飲みに行った時しかチャンスはないぞ、と、
いつものごとく美女たちの横に座らせてもらって、一晩で10枚ぐらい描かせてもらった。
宿題をする学生みたいなもんですな。
その中から5枚を作品に応募するわけです。贅沢な宿題場面だなあ。
モデルになって頂いた皆さんありがとうございました。
 
いやー、
それにしても(一晩でいつもたくさん描いてはいるけど)、
この時は応募用のハガキに直接描きで失敗は許されないので、
ただでさえ高いテンションが、さらに上がりましたねぇ。
 
なかなか自分なりには良い作品だと思います。
ただしはがき絵展の応募作品のレベルはそれの数十倍も上なので、入賞する確率はゼロに近いんですけどね。
まあこういうのはやることに意味があるんでね。
 
応募、応募。
 

#402 strange,but strange 2017/11/12 13:20

今日は全く奇妙な気分だ。本当にストレンジdayだ。
SIONの歌にあった。
水の中にいるみたいだ。水の中にいるようだ。誰かに会いたい。
そんな気持ち。
 
昨日はとあるお店の(3店舗を展開されているやりて美人オーナーのお店)11周年の記念飲み会に招待いただいた。
美人揃いで、自分の居場所はなかなかなさそうだったが、みなさんのオトナな対応で、素敵な夜が始まった。
美味しいオイルフォンデュを頂いて、早速 bluetooth スピーカーのバックミュージックにあわせて、バイオリンで3曲弾いた。その後まさかのアンコールを言われて、清志郎の「デイドリームビリーバー」に合わせてアドリブバイオリンを弾いた。
その後は、また例によってお絵描きタイムが始まったのだった。
今回は店のスタッフの方が自分の真似をして画伯になっちゃったので、モデルさん相手に画伯対決が続き、さらに盛り上がった。
それから夜はどんどん回り続けて、お酒の席での失敗を挟んで、最後の焼き鳥屋で一人で愚痴をこぼすまで、延々と宴は続いたのだった。
 
で、今日だ。
 
みんないるのに、自分がこの地球でたった一人ぼっちで取り残されてしまった、そんな違和感がある。
こんな時は動くに動くに限ると思った。二日酔いの身体は重い、風邪も治っちゃいない、重すぎる。
だ・け・ど、だ。
新しくできた道路を通って、港の近くの「エフマルシェ・海響市場」の魚売り場に行ってきた。大アサリとかサザエとか、ツメをしばられたカニとか、見るだけでワクワクだ。あれっ、おれってそんなに魚好きだっけ?
 
そのついでにリアル本屋に行って、色々悩んだ挙句、料理の本を4冊も買ってしまった。
最近愛用しているストゥブの本と、京都の料理家の大原千鶴さんの鍋料理の本と、IH魚焼きグリルを使って天板料理をするための参考書と、Dancyuの出してるマヨネーズの本だ。
ほんと、自分のオリジナルに近づくためには、やはり学習が必要だと思う。すべてのことに関して。
 
学習といえば、愛媛県のジャズ界の大御所である、耳鼻科のT(玉木)先生が、先日のY'sセッションで自分のバックでピアノを弾いてくださった。
ジャズセッションなんで、突然物事は決まるわけで、N先生の「じゃあせっかくこられたんでバックはT先生お願いします」で決まるわけだけど、こちらは素人なんで焦りまくり。
そんなかんじで、その日用意した「Just szueeze me」をplayしました。
ドラムにベースにpianoに、自分のSAX。エンディングのT先生の演奏に、サックスでなんとか絡めたのは僥倖だった。
 
その後で、手招きされて、先生はさっきPlayした曲の楽譜を自分に見せながら、ジャズのうんちくを語ってくださった。楽曲のコード分析から始まって、「理論から入るのがいいんだよ、医者は勉強が好きだからね」という風に何度も言われたのだった。「Just szueeze me」を何故選んだのかから始まって、メロディ進行(AABA)、コードの進行の解釈とか、リディアン7とか、ブルーノートスケールとか、色々教えて頂いた。
一応頷いてはいたものの、実際自分に分かっているのは30%ぐらいだということに今更のように気づいて、そんな拙さで図々しくも毎月セッションさせてもらってる自分の未熟さを後悔して、徹底的に打ちのめされたのだった。(でもあつかましくやりますけどね^^;)
 
ご存知のように自分は泌尿器科医で、愛媛大学泌尿器科に所属しているわけで、その同門会が毎年5月に開催され、同門会報が11月になると送られてくる。
その送られてきた同窓会報を熟読したわけなんだけど、海外の学会にでバリバリに発表したり、ロボット手術の研修をしたり(彼女はこないだ「華泉」で絵を描かせてもらった女の先生だった)、大学院で実験をしたりと、若い人たちの活躍ぶりが詳細に書かれており、なんだかよその国の話みたいで、悪いけど、そこにも自分の居場所がないように思えた。おいらはもうロートル泌尿器科なんだよね。おいらがかつて働いたあの大学はもうどこにもないんだと、そんなふうに思った 。
 
まあそんな風にうんざりしながら人生は続いていくわけですけど、うんざりしながらもやはり続いてゆかさなければならないので、その中でじたばたとあがき続けるしかないわけですよ。
たとえ水の中で色んなものが絡まって身動きが取れなくなっててもね。後ろを振り返って誰もいなくても、自分の足で進んで行かなくてはならない。
右か左かも、後ろか前かも、自分で決めるしかない。
でも水の中で伸ばした手で、誰かに触れたいと思うんだ。
 
まるでどこか知らない国へ
まぎれこんだ感じだ
こわいくらい全てがひんやりと
ひんやりとそこにあるだけ
いつもならこの時間そこいら中
人や車で大騒ぎなのに
ビルに張り付いた看板だけが
遠い誰かを呼ぶように小刻みに揺れている
 
水の中にいるようだ
うれしいやら悲しいやら
水の中にいるようだ
誰かに触りたい (水の中にいるようだ/SION

 

#401 2017/11/05,16:45,okayama.

鳥取から、岡山に向かって、ハイウェイを走っていた。
家族旅行の帰り道。少々眠たい。
これから瀬戸内海を越えて、自宅のある愛媛まで帰る。旅の途上だ。
高速は旅人にとってただ通り過ぎるための道でしかない。
 
でも、ふと思った。
 
もうこの(岡山の)街には自分の親父はいないんだね。
あの家のあの場所にはもう親父は座ってないんだね。
自分が18歳まで住んだ街が岡山だ。
20歳の時、愛媛県にやってきて、もうそこで36年を過ごした。
だからといって愛媛県が故郷なのかどうかはわからない。でもそこで暮らして働いて、自分の居場所はたくさんできた。
医者という仕事柄、特に開業してからはお盆も正月もなかった。
だから自分の中には帰省という概念はない。ないまま、両親ともいなくなったがそのことに関する後悔は微塵もない。
 
50過ぎてからだ。やっと少しだけ自分のことができるようになったのは。
一泊二日の旅行まではなんとかできるようになった。
父親は「息子よ、優雅にまあやれや」といつも言っていた。
彼の人生が優雅だったのかどうかはわからない。
でもね、優雅でうらやましいとか、まわりからは言ってもらえてるよ。あなたもきっとそう言われたであろうくらいにはね。
でも、自分ではまだまだだと思ってますけどね。あはは。
でも、あなたに、即物的なこと以外のものが内包している、よりよく生きるすべはたくさん教えてもらったような気がしてます。
 
その父親はこの春に自宅で急逝した。
おふくろはその十数年前に膵臓がんで見つかってからわずか3ヶ月で死んだ。
親父とおふくろだけの墓は実家の近くにある。
仏事も何もないし、自分もことさらその場所に訪れる気もない。
 
人の死とはなんなのかと考えることは、生を考えることでもある。
自分の人生は何かと考え、実は「主体」としての生と考えていたのは、実は「生かされている」方の生なのではないかとも最近思ったりした。
そして「生かされた」人生なら、その中で目いっぱいの「主体」として生きることが、「生かされた」もののつとめではないのかと。
 
死んで墓が残るのか?死んで墓になるのか?死んで戒名になるのか?残せるものがあるのが人生か?残せるものなんてこの世にあるのか?それは金か土地か?名声か?誰かの言う社会性か?
そんなくだらないことを思う間もなく日々は過ぎてゆく。それもまた真実。うまいもん喰って酒をあおって寝て、ある日はラッパを鳴らし、ある日は蟋蟀のごとく下手くそな弦楽器を奏でてみる。
Days.日々がおれを嗤い、蔑み、日々がまたおれを助けてくれる。
 
だけど、ふっと肩の力が抜けて、頭の中の空気が薄まって、走るクルマの外の空気の流れを感じて、たまたま今はこの世の中にはいない親父のことを思い出す、なんてぇのもありかな。
まあそんな感じ。
過ぎてゆく風のように、全ては流れていくだけ。
それだけでもいいよね。
 
 
 
随筆家の若松英輔さんがこんな風に書いていた。
 

「感じたこと」を語るようにしています。考えは変わるし、思いは移ろいやすいけれど、感じたことは生きて得たものだから、確か。ワインのように時間とともに深まっていく。

 

朝日新聞be フロントランナー 2017/11/05)

#400 夢とブルーとジンメンと

https://www.instagram.com/p/BbBB5fhnPk5/

 
夢を見た。
 
夏目漱石の「夢十夜」みたいな書き出しだな。
患者さんが本屋のカウンターで仕事されてた。「あれっどうしたんですか」「いや最近アルバイト始めたんよ」彼女は素敵な笑顔で笑って答えてくれた。この本ありますかね?さあ私はまだ初心者だから分からないから、自分で探してみてくださいね。はいそうします。
本屋をぐるぐるしていると、立ち読みをしてるNくんに会った。
あれどうしたん?九州いったじゃなかった?もう何年になるかなあ。いやちょっと奥さんの実家に帰ってきたんですよね。奥さん、そういえばいますよ。
彼は駐車場に連れて行ってくれる。
駐車場に停まったワゴンの中で、久々のこれまた奥さんのRちゃんの笑顔に会えた。彼女は、あれあれ、、アコーディオン弾いてたよなあ、一回聞きたかったよなあ。あらら、なんだか涙が出てきたよ。クルマの後部座席には、男の子と女の子がちょこんといる。女の子は2歳か3歳なのにやたら大人びた顔をしている。
女の子を抱かせてもらって iphone で写真を撮ってもらう。いえい!
うーん、なんだろうこの普通っぽい展開は。
 
もしかしたら俺ももう長くないのかもしれないなあ。
 
何も残さず灰になって、煙になって、どろんと消えたいと思う。
でもきっと思うだけなんだろうな。
いろんなしこりみたいなものがカラダのあちこちにくっついてくる。
デビルマンの「ジンメン」みたいに、甲羅からいろんな思い出の顔が生えてくるんだ。
泣いてる顔もあれば、笑ってる顔もある。睨みつけてる顔もあるし、黙って泣いてる顔もある。おれだって聖人君子ヅラして生きてきたわけじゃない。多大な迷惑をかけて、誰かを裏切ったりもしたよ。だから笑って許してなんて言えっこない。そんな顔たちがおれの甲羅からにょきにょきとはえてくるんだよ。
 
病院にはスプリンクラーの工事。
この上にでっかい貯水槽がたって、その横には専用の自家発電装置がつく。
またひとつ重荷が増えるのをもう止めることなんてできやしない。
 

https://c6.staticflickr.com/9/8167/28381986133_d8d1be23ed.jpg

 

デビルマン (1) (KCデラックス (435))

デビルマン (1) (KCデラックス (435))

 

 

#399 機構専門医制度の案内が来たよ。 15:46

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日本泌尿器科学会から専門医更新についてのご案内が来る。
一応目を通して、途中で挫折する。ムツカシスギルワ。
 
自分は2017年の4月の更新なので、次回5年後となると2022年になる。
そうなるともう専門医機構専門医の選択しかないわけだ。
指導医については一回は取ったけど、その後は開業して基幹病院では働いてないので、一回でパーになった。
それまでは大学とかにいましたからね。これも変な制度だけどね。
そもそも専門医というのは、誰のための何のための制度なのかというのがいまいちはっきりせず、患者不在で走り続けてる気もするけど、そんなこと、もうおれには実際は関係ないことなんだよな。
そんな日々だけど、それでもなんか資格があった方がいいなと思うのは、ケチくさい貧乏ったらしい男である所以なのである。
 
長いこと大学に勤めて、結構ちやほやされて(今から思えばですけど)、
それから日赤に行ってボコボコになって、それからあまり知る人のないこの土地で開業した。
自分の腕もまずまずだとか過信していたので、来てくださった患者さんから「お前はどこの誰ぞ、よそもんが」みたいな感じでボコボコにされて、愛媛大学に長いこといたんですよと言っても、そんなことは屁の突っ張りにもならず、自分は今まで、医局とか・大学とか・なんとか病院とか、そんな後ろ盾だけで生きてきたんだだけなんだ・・ということを嫌というほど思い知らされた。
それでも、へこみながらも日常診療を続けていてもう18年経つと、今ではなんかこの土地に生まれてからいるかのように患者さんに接してもらえる。
おかげさまで患者さんの数もまだまだ増えている。
それは、でも自分が作りあげきたものだと実感できるので、まあ文句も多いけど、なおさら力が入るのである。
そういうのを人生って呼んでもいいんじゃないのかな。
 
今回からは、診療実績という臨床のレポートもいるわけだけど、ラッキーなことに専門4回目以降の更新者では診療実績は免除になっていた。
調べてみると、自分もそれに当てはまるわけで、これもラッキーというか年の功なだけのお話。
いっそのこと、開業医はもう専門医の更新せんでええよとか言うてくれたらいいのにね。なはは。そのうち、泌尿器科専門開業医とかなんていう「臨床」の制度ができたりなんかしちゃったりしてね。そこまで財源は豊富じゃないか^^;
 
今後は、こんな風にblogはショートな長いtweet風にでもしようかなと思った次第。
でもこれも前も思ったことあるなあ。
進歩ないなあ。
 
キヨシローはかつて歌った、
おれは河を渡った、渡った、渡った。Baby.

#398 iPhone8plusを手に入れて、こんなことを繰り返しながらも、結局はやり続けるしかないんやなあと思って、なんだか泣けてきた。

 

Steve Jobs

jobs

 
やっとiPhone 8 Plusが来た。
1M以上待った。GOLD,256GB。
 
ドコモショップには、ネットで、4時半の予約をしたのだけど4時に取りに行った。でも結局店を出たのは5時半だった。
帰宅して、ドコモのお姉ちゃんの言う通りに設定しようとするのだがうまくいかない。フリーズした感じ。
なのでいっそのこと初期化して、それからiOS 11にあるクイックスタートという機能で設定した。
これは便利!
6plusの設定がほぼ引き継げるというものだ。
 
iOS 11」でAppleは、新しいデバイスを検出する新しいシステムであるクイックスタート(Apple WatchまたはAirPodの設定と同様)を使用して、既存の電話機で新しいiPhoneを設定することをさらに容易にし自動的に環境設定を行います。
 
そのあとはdocomoメールの設定と、LINEの引き継ぎ(これはiCloudを使うやり方をショップのお姉ちゃんが教えてくれた)。
そしてiPhone 6 PlusのiTuneバックアップから無事復元した。
 
以前の6plusは64GBだった。
 
2年11ヶ月使用していて、バッテリーも膨張してきて、そのせいで液晶も時々消えて、もうどうしようもなかったのだ。
(だから下取りも不可だった)
だから必然として手に入れたわけだけど、
新しいCPUの処理速度はたしかに早く、今回はメモリも目いっぱいにしてみたので、満足感もうしうし。
 
こうやって2年に一回端末を変更して、
10回位の変更の季節を迎えたら、オレの人生も終わるんだなあと思ったら、なんだか、ちょっと切なくなったりもした。
 
♪踊り疲れた ディスコの帰り
これで青春も終わりかなとつぶやいて
あなたの肩をながめながら
やせたなと思ったら泣けてきたって思ったらなんだか泣けてきた

 

・・・ってやつである。
 
だったら、たけしが言ってたように、
「やれるチャンスさえくれればやる。
どうせ頂上まで行くわけないし、過程でくたばるのは間違いないけどね」
と思って進むしかないんだろうね。
 
それにしても、どうしてクイックスタート教えてくれなかったんだろうな。
でも、ドコモの主力機種がiPhoneであるわけないし、彼女たちはAppleの人間でもないんだから、しかたないといえばしかたないか。
女の子たちも1番新しい知識について知ってるわけじゃないんだろうからね。
だから腹はたたなかった。
まあ、わからなかったらまたおいつでも越し下さいね、とは言われたよなあ。
 
それでも帰宅してからずっといじってて結局7時半ぐらいまで1時間半ぐらいかかった。
連絡先とかまぁ狂ってなさそうなのでよしとしなければいけないのでしょうね。
 
端末に意思などない。
でも新しいガジェットはやはり心を震わせてくれる。
それを持ったから、自分がことさら変わるわけでもないのに、ね。
まあ、結局くたばるまでやるしか、やりつづけるしかないのだ。