だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#417 最近のSIONのこと (その1大人の夏休み(東京編)SION-YAON 2017.8.19.)

【追記】2018/01/31
もう半年ぐらい前の話になったね。やっと腑に落ちたので書くことにしたよ。
何かがあって事切れるまで、ヒトは生きていかなくちゃいけない。
輝かしい場所にいて陽が当たっていても、誰にも顧みられなくなるような日陰にいても、その人の人生は朝目覚める時から夜の眠りまでずっと繰り返しながら続いてゆく。
たまには句読点みたいな穏やかな凪の時間があるのかもしらんけど、それでも眠れば朝はやってくるし、自然に悩みが解決されるわけでもない。
かつて「好きで生きていたい」と歌ったSIONは、
「生まれたその時からもう死に向かって走り続けるのかガードレールも超えれずに・・」とも歌ったSIONだ。
へこたれの自分は、昔みたいにヒーローじゃないSIONの隣にいることに感謝してるよ、今も。

 

久々に日比谷の野音に「SION」を見にゆく。

でも東京はなんだかへんてこな天気で、その日の夕方からの降水確率は60%だ。なんど見てもその数字は変わらない。
そして出発の日がきて、慌ただしい外来を終え飛行機に乗る。
雲の上は快晴。羽田でも青空が見えてるよ!やったね!
でも青空を取り囲むように、ダークな雨雲が層状に連なってるのがみてとれる。

モノレールで都心に近づくと、雷雨の様相。
以前も、SION野音で、開催まで大雨で、ローソンでレインコート買った経緯があり、今回は完全武装で臨む。
といっても、ユニクロのステテコとストーンズのTシャツの上にレインコート、だけどね。
足は現地調達のビーサンと思ったのに、雷雨の中探しても、「季節物なのでもうないんですよ」、とユニクロで言われて顔面蒼白。
一人で家族と分かれ、マルイでやっと手に入れて、そこからダッシュでホテルに。

ホテルで、家族全員完全武装して(家人たちは長靴までスーツケースに入れとりました)、歩いて野音に。
始まりとともに小ぶりになる雨。でも止むことはない。照明に霧のような雨が浮かんでは消える。
そして、大音響の野外音楽の壁の向こうでは、何度も雷のフラッシュが。
もっとも、The MOGAMISIONのバックを固める鉄壁の男たち!)のサウンドに打ち消されて雷鳴は聞こえないんだけどね。
なんでもこの夜、都内では2時間で1000発の落雷があったとか。
最後には雨も終わり、出てきたSIONと乾杯をしてお開き。

いやあ、SIONは、自分が大学生の3年くらいから、気に入って聴かせてもらってる、長い付き合いのミュージシャンだ。
偶然おない歳でもあったりする。
SIONもレコード会社クビになったりとかいろいろあったけど、今もこうやってミュージシャンとして演ってくれてて、年に一回は野音でライブを開いてくれてる。


SIONのライブでいろんな楽曲を聴いてると、いろんな昔のこととかあの時の思いとかを思い出して、ちくしょうとか思ったり泣けてきたりと、まあそんな感じなのである。
その夜も、随分、感極まった。めったにあげない拳を上げて一緒に叫んだ。
いつもと違うのは、雨なので、飲酒を遠慮したってことくらいかな。
最後の最後に「このままが」演ってくれて、また泣きそう。

 

SION-YAON 2017 with THE MOGAMI [DVD]

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#416 狩撫麻礼も死んじゃったね

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22:15
どうしてこんなに時間が早く過ぎていくんだろう。時の流れを止めることはできないけど、もうちょっと時間が欲しい。いろんなことを考えたり、いろんなことをしたり、いろんな人と話したり、お酒だってもっともっと飲んでいたい。


オレはキリギリスか?


買い物して帰って、今日は鯛の切り身も入れた鯛茶漬けだよ。アハ。いくらものっけたよ、豪華版だな。大トロが半額で売ってたのでそれも買ってきた。きゅうりとわかめとトマトのサラダも作った。娘と二人で食べた。


30分だけサックスの練習をしたら、精も根も尽き果てた。今日の夕方、音楽教室であった同年代、いやちょっと後輩の男の子に「俺は負けませんよあなたには」と言われたので、「俺はあんたの10倍は練習してるよ(嘘^^;)」と大人気なく言い換えしたりした。何やってんだろうねいいおっさん達が??


そんな夜を今日もさまよっている。あんたの愛を身にまとってこの夜にさよならさ。また頭の中で甲斐よしひろが歌ってるよ。

 

 

ulala-roo.hatenablog.jp

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#415 宇都宮餃子から始まる。

https://www.instagram.com/p/BeiUFpunfdh/

うちごはん。宇都宮餃子。大根と人参とニラのサラダ。お吸い物。ご飯。#うちごはん #しんすけsきっちん

 

22:57
今日は宇都宮の餃子を焼いて食べた。


宇都宮という街には生まれてから一度だけ行ったことがある。この四国の片田舎からは、遠い遠い場所だった。地下の寒い寒い採掘場跡を歩き、大谷観音の頭の辺りまで登って、地上は暑い夏の盛りで、タクシーの運転手さんに連れて行ってもらった店で餃子を食べた。
前の夜は地元の居酒屋で知らない夫婦と、店を出てからしばらく一緒に散歩をしたなあ。祭りの集団が威勢よく店に入ってきて、みんなで酒を飲み始めたんだっけ。その法被の後ろ姿もスケッチしたなあ。写真も素敵だけど、時間をかけて自分の拙い技術で切り取るのも、記憶への刷り込みであり、とても素敵だ。


付け合わせの大根サラダは思いつきで作ってみた。今回はマヨネーズ系は使わず、漬物とか塩昆布中心で味付けしてみた。油も使ってないのであっさりした感じだった。
お吸い物とご飯でいただきました。


でもね、そんなこともこんなことも、俺が死んだらみんな無になるんだよ。
ああと、これはブレードランナーレプリカントのセリフの受け売りです。


喋れば喋るほど全てが希薄になってくるような気がするのに喋らずにはおられない。


こんな夜は寝てしまえ。眠ってしまえ。

#414 「第11回 和紙はがき絵展」入選しました。

実は入選しました。
本人もびっくりです。

観光で訪れた「いの町 紙の博物館」で、ちょうど「第11回 和紙はがき絵展」応募用のはがきが置いてありました。
ちょうど和紙を漉いたりしてテンションも上がってた為5枚一組を買い求めました。

締切も近づいて、色付けとかも考えてたんですけど、間に合うわけもなく、
一気に美女を描いて応募しようという、いつものなし崩し作戦で、「椿倶楽部」で一晩で描き上げて5点応募しました。
入選者にだけ通知が来る、入選した作品は戻らないがそれ以外は設定すれば送り返してくれるとのことで、そうしました。

先週自宅に帰ると、封書が届いてました。

なんと613点から、
「厳正なる審査の結果、あなたの作品「憧憬」は「入選」に選ばれました。」とのことでした。

作品は平成30年2月27日から3月31日まで、高知県吾川郡の「いの町紙の博物館」で展示されてるとのことでしたよ。


まあ、5店とも筆ペン画なので、おんなじタッチと言えばそうだけど、どれが選ばれたのかなあ?
実は急いでタイトルつけたので曖昧な記憶なんですよね^^;


できたら、この目で確かめに行きたいですね!

いやあ、それにしても、ほんと、無茶うれしいですよね。
ヤッパリ好きで描いてても、こうやって誰かが評価してくださるってことは、励みになりますからねえ。
賞とか無縁の人生を生きてきとりましたけど、長生きするとたまにはええこともあるものです。
これもひとえに、自分を増長させて、描かせてくださるモデルの方々のおかげだと思っとりますよ。
ほんとありがとうございます。

まだまだ、精進しますので、是非全国の美女の皆さん、モデルになってやってくださいね。
変な下心なんて全然ありませんからねぇ。
いえい\(^o^)/

 

一応昨日描いた最新作・・

 

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#413 「半身浴の油淋鶏」とか、instaでrecipiをかいてみる。

https://www.instagram.com/p/Becy5_pn0bh/

「半身浴 油淋鶏」【レシピ】もも肉は厚いところは切り目入れて平たく。皮にはプスプス穴を開ける。塩コショウして、片栗粉をまぶして、フライパン1cm弱の油で皮から焼く(皮の油も取り込む作戦)。そんで両面に焼き目がついたら、蓋をして揚げ蒸しに。ソースは、しょうゆ2、酢1.5、はちみつ2、ごま油1、そしてねぎの刻んだモノ。よおく色づいた肉をねぎを敷いたボウルに入れて、上からソースをかけて軽く混ぜて完成。名付けて「半身浴油淋鶏」、色っぽいでしょ!ソースが油と程よく絡んでごはんとの相性バッチリの一品となりました。つけあわせは焼き野菜に、ディップソースをつけて。え。 #うちごはん #notdiet #しんすけsきっちん

 

自分で思いつきで作った料理を、メモとして残しときたいなと思った。
音声入力とinstaがやっぱり手っ取り早そうに思えたので、喋って入れてみた。
tagづけも慣れてはないのだけど、「しんすけsきっちん」とかしてみる。
英語でなんちゃら’s recipiとかかっこよく行きたかったんだけど、なぜかなんちゃらのところで止まるので、ひらがなにしてみた次第。
それをこうやって、ちょっと言葉を追加にして今度はblogに残してみる。
なんか、考えすぎてなかなかblogの更新が停滞しがちだった。
でも、よくよく考えていると、この「おちんちんblog」は自分のための備忘録でもあったはずなのだ。
だから自己満足かもしれないけど、こうやって残してみる。

この文章のために、新たに取り入れたのは、
#remoto mouse
#G board
というスマホ用のアプリだったりする。
前者は、PCにiPhoneからしゃべくりで入力できるようになる得画期的なもの。
後者は、iPhoneGoogle音声入力付きのキーボードが使えるというもの。
そして、自分の備忘録という意味でのblogの位置を改めて教えてくれたのは、
「人生にゆとりを生み出す知の整理術」というphaさんの本だ。

 

www.seojapan.com

rinyan.net

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

 

 

#412 「日出処の天子」から「Devilman crybaby」に。

山岸凉子『日出処の天子』古代飛鳥への旅 (別冊太陽 太陽の地図帖)

 

なんだか遠くまで旅をしてきた気分だ。
 
そしてもう元の場所にはどうやったって戻れないのだということを今更のように認識する。
 
日出処の天子」のラストあたり、愛するものに嫌われてしまった聖徳太子がひとりで座している。
 
たくさんの天空仏が太子の前に現れる。
彼らは何も語らない。人が作った仏の象の形をしてそこにあるのみだ。
 
ふーんなるほど、自分でも自分を救えぬものの前に現れるというわけか?
それにしてはそなた達が何者をも救わぬのをわたしは見てきたぞ。

 

そう仏は誰も救いなどしないのだ。
天使とか仏とか如来とか、そんな神々しい形をしてそこにあるのみなのだ。
彼らと呼べるのなら、彼らは、我々人間の愚かしい営みなどには興味なんぞ抱いてはいない。
だから、嘲笑いもしないし、無視もしないし、救いの手も差し伸べやしない。
神は天におわしますのみだ。
 
そんな単純なこともわからずにいたのか?
 
Netflix で全世界同時配信をしている「デビルマンcrybaby」全10話を観た。
 
1話が25分ほどだとすると、250分の超大作だ。
たぶん原作と同じエンディングを用意した作品は、多くのデビルマンの中でもこれが初めてじゃないんだろうか?
エロく、グロく、悲しくて、純粋で、そして切ない物語だった。
牧村美樹ちゃんが惨殺されるシーンもちゃんと描かれていたよ。
わかっていても、結末はわかっていても、目を背けることも許されない。まるで現実みたいに、おれは頭のなかで何度も何度も、10代の頃からそのシーンを再生し続けて57歳になったんだから。
あの頃のおれはペシミストを気取ってた。たしかに人間には救いはなかった。
でも、そんな若造も、そうやって人間界でもう57年も生きてきたんだ。
エクスキューズなんて出来なくなったんだから、ちっとは顔を上げてもいい。
ああ、でも、それはおれの個人の物語。
それを語る舞台ではなかったよ。
 
そうなんだ、結局、不動明は愛する者を救うことはできない。
そうなのだ、誰も誰かを救うことなんてできやしないのだ。
それに気付いた時、もうヒトは元いたの場所に戻れないことを思い知らされる。
だから Cry Baby 暗い夜に、
Cry Baby、 戻れない。
 

#411 「日出処の天子」山岸凉子(白泉社文庫・全7巻)やっと読み終えました。

日出処の天子 完全版 7 (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)

元旦の晩御飯の片付けを終えて。
山岸涼子さんの「日出処の天子」(少女漫画の名作、聖徳太子の話!)を、実はずっと前から読破しようと思って家人から借りていたのを、半年ぶりぐらいに引っ張り出してきて読み始めました。
昨日の二日、仕事を終えてピアノのレッスンを終えて帰ってきて、最後の一冊を読破しました。
この物語では、聖徳太子は同性愛嗜好者でもあり、非常にクレバーで仏教の経典にも深い読解力を有しており、その上超常能力を有しているという、そして権棒術数にも長けて無慈悲に不要なものを切り捨ててゆくという、1万円札からは想像できないキャラとして描かれているのですが、それが日本の歴史とシンクロしているというなんとも摩訶不思議な物語でありました。
自分は2016年の9月に法隆寺を訪れたわけですが(小学校以来?いった?)、その時は9月だと言うのにまだ非常に暑く、足も棒のようで、とにかく広い境内を歩くのがやっとという感じだったと記憶しております。つまり聖徳太子どころではなかったのかな。
宝物館とかではさらにギブアップだったということしか覚えておりません。
そちらに玉虫の厨子の復元モデル(レプリカ)があって、それはそれはこの世のものとは思えぬくらいきれいなものでした。
最近いろんなところで、もとの時代のきらびやかな色彩とかを復元した CG とか、こういったレプリカとかを見るんですけど、そういった形を庶民が崇拝したということはうなづけます。往時の仏教ってど派手だったんだと思いますよ。東大寺の大仏さんだって本当はきんきらだったんだろうからね。金箔だからね。仏像は形でありますが魂を込めた入れ物だったんです。 でも、そのために、一般の人たちがどれくらい犠牲になったかを考えると、宗教とか国家というものはますます信用できなくなってくるんですよね。
この話、聖徳太子と関係有るようでないようで、やっぱりあるんだと思います。
まだ仏教が完全に日本に根付く前の、神道vs仏教、朝廷と豪族の関係、新羅百済、そして隋の国、そういった混沌の中に、日本はその形を作っていったのですから。
この「日出処の天子」の中に、「仏は誰も救けない」というふうに太子がつぶやくシーンがあるのですが、仏はたしかにおわしめすだけ、衆生を見られているだけの存在なのかもしれないなあ、と、宗教心のない自分は妙に納得したのでした。
そしていつの世にも、ヒトの煩悩やら悩みなんて変わることないのだなあという、安堵と諦念も。