だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#440 透析患者さんとの歩こう会。

 
透析患者さんとの「お弁当&歩こう会」もなんと今年で13回目だそうだ。
 
10回目の記念を城山登山にあてて(もしものためにクルマ別働隊用意したり、車イス手配したり、弁当を病院からタクシーで輸送したり・・とそれはそれは大変)、
それからは初心に戻って、
病院から歩ける範囲で歩くというコンセプトの3回目ってことなのかな。
 
今年は、病院から、ぼっちゃんスタジアムのある「松山中央公園・親水広場」まで、畑の中をとおって歩いていった。
飛行機が飛ぶのを3回位観た。
重信川の堤防が左右に広がり、トラクターがゆっくり動いて、空の青と緑に彩られて、そこだけみたらまるで北海道みたいな光景だった。
いいとこに住んでるよなあ、おれたち、とか思った。
歩きながら、日頃はパーソナルなことまでは突っ込まない患者さんとの素の会話もしたしね。
 
当院の栄養士さんの献立で作った弁当を食べるために、歩いて疲れて、それで美味しくいただいて、ちょっとだけ勉強するというコンセプトに基づいて始めたような気もするけど、あまり覚えていない。
まあ昔は元気で威勢だけは良かったんだろうね。
それでもいろんな患者さんが少なからず参加してくださって、今年も無事3キロ(往復6キロで去年よりも長い)ぐらい歩くことができた。
 
まさに継続は力なり。
 
少し早い昼。
外は暑かったけど、公園の木陰にビニールシートを敷いていただいた弁当は格別だった。
新緑と、軽やかな風と、少しの汗と、たわいもない会話と。
少しならいいよと言っておいたら、案の定、お一人は「越乃寒梅」持ってこられてました。あはは。
「まあええが」と薦められたけど、午後からクルマのらんといかんので、と、丁重にお断りしましたよ。
飲めたらそれはそれで格別だったのになあ。
今回は午後から納骨式があるので早めに退席したが、みんな無事に歩いて帰れただろうか?
 
栄養士さんが計画を立て、透析室のスタッフがいろいろ準備をしてくれて弁当の仕切りもしてくれて、
自分はほんとに参加するだけなんだけど、
どんどんすばらしいチームワークができあがってきており、これは誇れることだと思っている。
偉そうに言うと、親がいなくても子供はすくすくと成長するっていうことかな。
 
おつかれ。

#439 電子カルテもいよいよmajor ver.upする。

 
今日無理やりねじ込んでの会議。
 
院内無線LAN計画とは関係なく、電子カルテのメジャーverupのキックオフ・ミーティング。
これから、またバタバタの日が続く。GOは7月末。
今後は、クラウドにデータを上げたり、ネットの海からデータを吸い取って提示するAI機能なんてものが、電カルにほんとに実装されたりして。
 
大きな病院だけだと思うことが、どんどん下まで降りてくる。
そんな便利な世の中になっても、達成感がないのが今の世の中の特徴なんだろう。
そしてそんな装備をしたりクラークを置いたりしても診療報酬に反映なんてされもしない。
電カルに限らず、まだまだ、次があるんじゃないのか、そう思いつつ、老いてゆく実感もないまま老いてゆく。
時間に取り残されて、時間を追いかけて、ため息をつく。
 
キリがない。
キリがないからどこかで、自分の可能性に見切りをつけて線を引くという努力も大事だと思う。
 
ジャニーズをやめるというあの男の子のこともよくは知らないが、
自分の現役人生の半分なので、あとは自分の音楽を追求してゆくのだ、なんて内容の発言にはちょっと感動した。
人生が無限だと思ってみんな踊り続けている。
スポットライトを浴びてくるくる廻るのもいい。こっちの水は甘いよ。
自分で終幕を引く準備も考えながら踊ってくことも時には必要だ。
あっちの水がからいとしても。
 
今回手に入れたのは「Staub」のブレイザーという大きな鍋。
でっかいすき焼き鍋に重い「Staub」蓋がついていると思ってもらえたらいい。
しんどいので、
肉と、冷蔵庫の中のネギとナスとトマトとブロッコリーで、なんとなくすき焼き風にしてみんなで突っつく。
そんなうちごはん。

#438 診断書を書く。なにかを思い出す。なにかを忘れる。繰り返す。ただ繰り返す。聡明でもなく、愚かしさでもなく。

 
患者さんが亡くなられる。
 
ご臨終を告げ、処置させていただいて、マジマジと患者さんの顔を見る。
迎えが来るまでの間に死亡診断書を記入する。
その際にカルテをくって(電子カルテなのでスクロースだけど)、その方の現在に至るまでの状況を思い出す。
反芻するって方がふさわしいかな。
お見送りをする。
深くお辞儀をする。スタッフにお疲れ様という。
 
なかなか忘れそうで忘れられない。でも忘れている。いつの間にか記憶の奥深くに埋没してしまっている。
そんなときに、忘れた頃に、また保険会社の「診断書」の依頼が来る。
ボールペンで記入しながらまた反芻する。
そんな今日。
 
中島みゆき姉御の、忘れられない歌を突然聞く、というあれだね。
この歌の趣旨とはちょっと違うけど、
書類を書いてると、ホントに不意打ちされたようにいろんなものが突然頭の中に湧いてきて、
湧いてきはじめるとそれはとめどもなく、そんな時はほんとに身のやり場に困ってしまうんだよ。
 
死んでしまったはずのあの人はもうこの世にいない。
消滅てしまって魂なんてないはずなのに、でもその人が今もどこかをさまよい続けてる、そんな空想に苛まれるんだよ。
診断書を書いている刹那に、その人以外の今まで色々通り過ぎていった人たちも、自分の前をまた通り過ぎていくんだ。
まあ、自分だけではなく、みんなが同じような感慨を抱きながら、仕事してるんでしょうねえ。
聡明でもなく、愚かしさでもなく。ただそんな営為の中に人は生きているのだと思う。

#437 映画「坂道のアポロン」(2108)

坂道のアポロン BONUS TRACK(10) (フラワーコミックスα)

 
リアル映画館に行ったのはどの位ぶりだろう。
 
STARWARSさえ見逃したというのに、この映画はリアルで観たかったんだ。
小玉ユキ原作のコミックの映画化で、最近はそんなんばっかみたいだけど、ツボはきっちり押さえられてた。
 
1966年という時代設定でしかJAZZが成り立たないのは仕方ないかなあ。
 
自分たちより更に上の青春。
 
1970年、作家の三島由紀夫自衛隊の駐屯地で割腹自決した。
その頃自分は附属小学校の学生だった。
小学校の校庭で大学生がなんだか決起集会をしてた。
教育学部附属の小学校だったので、教育学部の実習の学生さんが入れ替わり訪れた。
特に女の学生さんに対して、思春期の前期の自分は憧れたものだった。
そんな中のお気に入りの彼女は、太宰とか三島の話をやはりしていた。
いつかキミもおとなになるのよ、とか、遠い視線でタバコをふかしてた。
わかりもしないのに気が引きたい自分は頷いていた。
桃井かおりはもうちょっとあとだったと思うんだけどまあそんな感じかな。)
大学医学部に講師として勤務していたうちの親父は、そんな学生運動を一言で切り捨てた。
くだらん、と。
あの日々の狂騒感は自分にはもうさかのぼったとしても理解することはできない。
そんな時代に寄り添ってJAZZはあったのだろうか?
自分が天地真理にのぼせてたあの頃に?
 
でも青春というのは、誰かさんが言われてたように心の状態を表す言葉でもある。
この自分でさえまだまだ足りないと思うもんね、passionってやつが。
だからいつも「青春」に関しては「まだ遅くはない」って思うんだ。
 
どんなに歳くっても、心を飼いならしてはいけない。
 
教会、ドラム、piano、学園祭、学生運動、JAZZ、恋愛、海。
いろんな青春を示すアイテムがキラキラ配置されてるのに、最後はオーソドックスかつピタッとピースにハマってゆく。
 
この瞬間が好きなんだよ、って、そう言えることをもっともっと増やしていかんといかんのですよね。
しんどくっても、うちのめされてもね。
 
でもリアル映画館での上映は、この町では1日たったの1回で、
自分たちが剣を購入したときには完全な空席で、自分たちのあとで入ってきたお客さんもたったの一人という低調ぶり。
 
これって、なんなんだろうね?

#436 知恩院の納骨堂で木魚を叩く。fiddleで「月の砂漠」を弾く。等価なんだよ。

 
名前だけは知ってたけど、はじめていった(日本全国そんなところばっかよ)「知恩院」、
「なんまいだぶ」浄土宗・法然上人の寺だった。
例の、みんな念仏を唱えさえすれば往生できるというものだ。
 
ちょうど見物してたときに、何組かのご供養をされていて、最後にお坊さんが「南無阿弥陀仏」を10回ご唱和くださいと行って、その場にいたヒトも自然な形で追従していた。
これが日本という国なのだ、と、感心したのは、
歩き疲れた足をさすりながら、無宗教の自分さえもが畳の上に足を投げ出したまま合掌してとなえていたからでもあった。
この世は地獄だから、あの世に西方浄土を求めるという考え方には、でも承服できずにいる。
だからいつまでたっても、仏事の中では居心地悪いままの自分だ。
 
死んでから49日旅をして、やっと「仏」になるという。
自分のvisionでは、その旅路は、法衣をまとった「故人」が、ラクダにまたがって「月の砂漠」をしずしずと薄明かりに導かれてどこまでも進んでゆくというものだった。
拙すぎるvisionではあるけれど。まったくねー。
 
だから、3月最後のviolin(fiddle)のセッションでも、相棒のAkikoにお願いして、「月の砂漠」をアレンジして弾いた。
ブレーメンの音楽隊」みたいにせめてものにぎやかしでね。
その場の誰も知らなかったけど、これがおれの鎮魂歌なんだとそう思いながら弾いた。
 
知恩院の見物の最後の当たり、
階段の上に開かれたお堂があって、そこに木魚がいくつも置かれていて、自由に叩いていい感じだった。
一人が叩くと、やがて他の子供達もならってくれて、幾つもの音階の違う木魚の音が、調べになって、それは南無阿弥陀仏にも聴こえてきた。
 
自分は特定の「宗教のコトバとか戒律」とか、持ちはしない。
だけど、知恩院の納骨堂に置かれた「木魚」を無心に8ビートで叩き続けて、目を閉じて片方の手を合わせたときに、
なんだか、月の砂漠を行く「故人」の姿を、遠くから優しい目で見守れたような気が、一瞬だけしたんだ。
 

#435 Netprintで出力してみました。

 
なにもないところから何かが生まれる。
それを自分の手で描いて、誕生に出会えるところが、「お絵描き」の醍醐味でもあります。
最近またちょこちょこiPadで描いとりますが、
性格からか、何日も費やすのはとても無理なので、せいぜい40分位で完成です。
 
まあ、デッサン力もないので、
一応デジタルの場合は、最初は写真とか見ながらスケッチするのですが、結局はパースも狂って、いつもの自分のタッチに直してしまいます。
まあ、それでも、どこかからsomethingが湧き出てくるのでよしよしです。
 
急に暖かくなって、桜がほころび始めるどころか、咲きまくってくる感じですね。
何年か前、
開花が早すぎて断念した「吉野山」の桜に、今年また挑戦する予定が、
この陽気ではまた涙をのむことになるかもです。
 
春は、そんなこんなで特別な季節です(それを言うなら毎日が特別な一日かもですが^^;)。
それでかどうか、こんなスケッチが二日酔いの脳みその何処かから生まれてきました。
 
デジタルはデジタルなんですが、
今回初の試みで、プリントアウトしてみました。
 
普通の紙ではなく、写真のLプリントでもなく、少し厚めの紙に印刷したいと思って、いろいろしらべました。
まず、手軽に予約して、セブンイレブンでプリントアウトできる「Netprint」で、ハガキ大に印刷です。
はがきの用紙だけがしっかりした厚みを持ってるようでしたので。
色の再現性も自分なりには満足です。
 
昨日「えひめ排泄ケア」の仕事で出かけた新居浜セブンイレブンで出力してきましたよ。
 
デジタルの画面で見るのもいいですが、手元で紙媒体で手にとるのはやっぱりなんだか格別でした。

#434 巨人に喰われるという死に方

「巨人 食う」の画像検索結果

進撃の巨人」のアニメをiPadで見る。
 

巨人の謎だとか、人類の生命線をかけた攻防とかよりも、

どんなに頑張って超人的な調査兵団に属しても、
一瞬で巨人に食べられてしまうという驚愕の事実。
 
それくらい恐ろしいものはない。
 
どんな崇高な信念も、鍛え上げられた鋼の肉体も、一瞬で無に帰してしまう。
それも意識のある状態で、巨人の口の中に入れられて食べられちゃうという恐怖。
 
それを思うだけでぞっとする。
 
生きてりゃ
恥にまみれ、膿もヘドロも吐き通すこともあるだろう。
生きてりゃ、
いいこともあるし、例えようもない哀しみにちぎれることもある。
 
でも結論としておれは生きてる。
 
でも、でも、そんなこんなとりあえず「生きてる」を飛び越して、
ただただ無念を叫ぶこともなく巨人に喰われちまうのである。
 
それでThe END.
 
オレの人生も、チェット・ベーカーの歌みたいに
「born to be blue」かもしんない。
それでもまだ生きてる。
 
だからこう思うことにした。
生きてっるって、最低生きてるって、それだけでも唯一かつ十分な矜持だって。