だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#446 It’s yesterday once more・・

 
日々に飲み込まれそうになる。
日々の雑事というか、日常は何でこんなに忙しいんだろう。
いつもあっという間に一日が終わってしまい、目の前に積み上げられたものが減ることはない。
いつからこうなった 
いつからこうなった?
 
開業してもうそろそろまる20年がやってこようとしており、
カルテの患者番号が3万台になったという話を昨日聞いた。
地域医療だとか偉そうなことを言うつもりはさらさらないけど、
こうやって目の前を3万人の患者さんが、うちの病院を選んで来てくださったということは、これは本当になににもかえがたい財産だと思う。
開業したての時はまだひよっこだったやつが、結婚して子供を作り家を建て、その子が大学に進学したなんていう話もあったりして、これはこれで恐ろしいことだけど素晴らしいことでもある。
そうやっておいらもいつのまにか年老いてしまった。
でも年老いていく事は決して悪いことばかりでもない。
 
何が言いたいのかと言うと、
坂本龍一さんが以前、「人生の大切な事は20歳までにほとんど決まる」みたいなことを言われていたけど、本当にその通りだと思うんだ。
音楽といろいろ接していて思うんだけど、新しいフレーバーは身に付くけど、本質は何も変わってないんだってこと。
 
今更ではあるけど、甲斐よしひろという人がいて、
彼がやっていた「甲斐バンド」は自分がティーンエイジャーの時から20代前半にかけては多大な影響を及ぼしたものだが、
彼が、どうして甲斐バンドの曲しかやらないのか、なぜオリジナルの楽曲を出さないのか?
・・などと非難されながらも決してエクスキューズしないのには、
ちゃんとした理由があるということが最近わかったような気になってきたのだった(いえ、勝手に思うことなんですけどね)。
 
甲斐さんが好きなものはやはりずっと変わらないのだと思う。
だから自分が宝のようにしている楽曲たちを、フレーバーを変えて自分の好きなように提示したいのだと思う。
年に一回、アコースティック編成で、自分の楽曲をリアレンジして披露するツアーがあって、そのリハの映像を見てて思ったのでした。
甲斐よしひろ  Billboard LIVE & Blue Note 2018  EAST with WEST」
甲斐さんにとって、それが一番楽しいんだからね。
そしてそれがきっと音楽を愛するということなんだろう。
 
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自分の人生はおうおうにして酒の席でいろんなことを進んでいくことが多く、これがいい面でもあり弱点でもあったりするんだけど、
今度はたまたまトランペットの相棒のOくんと英語の堪能なキュート女将のMさんとで、カーペンターズの「yesterday once more」をみんなでプレイしようという話になったんだよね。
(^^)あのカーペンターズの有名なイエスタデイワンスモアだよ!
やると言ったのはいいけど、
いざサックスで吹こうとするとフラットが5つ位のとんでもない楽譜になってしまって、今、呻吟(あはは、singin'じゃなくって呻吟だって^^;)しているところ。
でもこれも一期一会だから、何とか3人で楽しめる形に持っていきたいと考えているんだよね。
 
そう思ってカーペンターズの昔の曲を聴いてると、泣ける泣ける泣ける泣ける。
このメロディも聴いたことある、このメロディもどこかで流れてた。
そんな感じで自分のリアルタイムの人生の傍らにカーペンターズは組み込まれていたのだ。
yesterday once more・・
ほんとまるで昨日のことのようだって・・ほんとにそう思えるんだ。すべてのいろんなメモリーがね。
実際もその歌を歌ってた頃のカレン・カーペンターズはまだまだ若かったのにね。
彼らは、若いからこそ人生の深淵がのぞけたのかもしれないね。
ほんと、そうやって好きなことなんてそうそう変わりはしないんだよね。
そんな爽やかなカレンが拒食症に苦しみ、たったの32歳であの世に行っちまうなんて、
「once more」が流れていた頃の誰に想像できたっていうんだ?
 
今日はそれでいいのかなって話です。
昔好きだったものを愛して、またplayするのは決して後退ではないってことですかね。
それじゃいかんて、バタバタして今までの自分に抵抗する時だってあるんだけどね。

#445 今日は医師会と泌尿器科学会のeラーニング3つ聴いた。疲れた。

本文とは全く関係ない昨日の燻製写真とピータン^^
 
処方料・処方せん料算定に伴う「不安または不眠に係る研修会」開催という FAX が医師会から送られてくる。
 
これを受けないと、
「不安もしくは不眠の症状を有する患者に対して1年以上継続して別に厚生労働大臣が定める薬剤の投薬は、当該症状を有する患者に対する診療を行うにつき十分な経験を有する医師が行う場合又は精神科の医師の助言を得ている場合その他これに準ずる場合を除き、処方料、処方せん料が減額されることになりました」
ということで、減額になるのかよー、てなことでしょうかねえ。
それで、いろいろ疑問に思って調べると、
日本医師会の E ラーニングでも可能と書かれているし、
 
Q
①座学による研修会等へは出席せず、e-ラーニングのみの受講によって要件を満 たすと考えてよいか。
②過去(平成 30 年 4 月 1 日以前)に受講した実績をもって要件を満たすか。 
③受講証明書のようなものは必要か。 
 
A 
①そのとおり。 
②満たす。 
③原則として不要だが、座学の研修会であれば受講証明書、e-ラーニングであれば 受講履歴等で受講を確認できることが望ましい。

 

なので、今日は外来業務がないので、1時間以上かけて2講座のビデオを拝聴して、アセスメント問題にも答えて、やっと2単位を取得する。
なかなか世知辛い世の中だね。
でも不眠症とか入眠障害のちょっとしたことはわかったので、こういう勉強もたまにはいいかもです。
 
実は、泌尿器科の方の機構認定の専門医でも、eラーニングというのも得点の取得において可能となってるけど、
eラーニングは全体の点数の30%までしか認めないとかややこしいことが書かれている。
どうしたもんか困ったもんである。
まあわれわれロートルはお情けで専門医更新させてやるけど(3回以上更新の専門医には診療実績の提出は免除されていて自分もそれに該当するのだった)、
それはまあ威力があるもんでもなんでもないとゆー事をわかっとけやーワレェ(懐かしき谷岡ヤスジ)ってなかんじなんでしょうねえ。
でも、頑張って受講してみました。
「卒03 感染症に対する苦手意識をなくそう」
こちらは8割以上の得点で合格となっとりました。
 
みんながみんな(今の若い先生、卒後2年目の医師、93.2%が新専門医制度へ、だって)最先端を行く専門医になってゆく世の中は果たして正しいのか?
でも医療の技術進歩も著しいし、最先端を走る医者は、最低限専門医であることは必須だし、
広く浅くの開業医であるロートルな自分は、専門医制度認定ありきのための専門医制度(大病院に若手が偏在するとか)にだけはならんことを祈るのみである。

#444 人生はきっと「永い言い訳」(2016)

永い言い訳

 

映画館に行ったのは先日の「坂道のアポロン」が何年かぶりだった。
この映画も、行きたいと思っていたのに結局知らない間に終わっていた。
 
西川美和監督の「永い言い訳」(2016)。
もっくんが主演の映画だ。
 
「長い」言い訳なら終わりもあるだろう。
でも永遠の永を使われた「永い」言い訳には多分終わりがないのだろう。
 
そしてそれはきっと生きているがゆえのことで、
ついでにいうなら死んでも多分何も変わらないのだろうとさえ思う。
だったらせめても永い言い訳を続けるしかないのだ。
 
時間が変われば関係性も変わる、それも真実だ。
でも、それなら愛なんて求めないほうがいいのか?
 
映画の最後の方でもっくんは「人生は他者だ」とメモ書きに書いた。
片岡義男さんも小説の中で「自分の鉱脈みたいなものはなく、関係性の中でしか成立しない」みたいなことを書かれていた。
なんとなくわかった気もするし、わからないままの部分もある。
 
言い訳と単語で書くと、悪いイメージばかりが先行しそうだが、
今日も明日も自分に言い訳をして、言い訳をしている自分も周りもそれで納得がいくのなら、それはそれで全然ありかもしれない。
 
きっとおれは死んでも醜く言い訳するだろうけど、「負のスパイラル」のための言い訳だけはやめとこうよね。
 
それにしても、だよ。
愚かしく、まったく愚かしき人間存在として半世紀以上生きてきた言い訳だらけの自分を、
突き落とすわけでもなく救ってくれるわけでもなく、
だから西川美和監督は見過ごせないのだ。

#443 うちごはん燻製編 しんすけsきっちん

 
今日は、いろんなトラブルやら入院やら救急搬送やら臨時透析とかで、終わる予定の仕事が今も終わっていない。
疲れた。
最近疲れに至るまでの時間が早くなった。
もうこれ以上頭が動こうとしないのだ。
それでも絞り出さなければいけない仕事は絞り出してでもしなくてはならない。
 
ま、そんな感じ。
 
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さて、昨日の料理を。
 
staub鍋の数が増えたので、余った鍋を燻製用にまわした。
 
先日天神橋(大阪)の路上で(店は満席で外の席ならOKと言われて是非にと言ったのでした)、燻製専門の店でいろいろいただいてから、また燻製熱がちょっとぶり返したのだった。
 

 
→けむパー
 
実はtaubでも燻製いけると本には書いてあるんだけど、やっぱり鍋の手入れとかスモークの匂いがつくこと考えて思案していたのだ。
ちょっと違うけど、セラミック製の鍋というのをこの用途に充てることとする。
 
まあ本格的なものではなく、室内での燻製なので、だいそれたものはできない。もともとそんな気もない。
燻製ってね、いくら気をつけても何回もやってると、鍋の底がやっぱり焦げてくるんだもんなあ。
もちろんアルミホイル敷いてその上にチップ並べてますけどねえ。
昨日調べてたら、鉄の皿しいて、その上にチップというのがあったので、次回はそれを試そうかなどと。
そうか、普通のアルミ皿で使い捨てのほうがいいかも!
 
ホタテ、チーズ、うずら卵、ちくわ、と、ビギナー編終えて、
男のあこがれ(ほんまか?)の塩鯖じっくりスモークも満足。
いよいよ塩と砂糖コーティングして一晩眠らせてた胸肉にトライするが、
分厚すぎて、食事時間に中心部までのスモークが間に合わず、
思いつきで表面が燻製された状態でグリルで焼いていただくと、これがいい感じだった。
まあ誰にも文句言われないので、この手法もありかなと。
 
ベーコンとか(こちらのほうが男の憧れかなあ・・)も書いてあるけど、
これも前述の手法で、表面をチップでコーティングしてから、ジュージューに焼くのもありだなあと、閃いたのでした。
 
やっぱり、かける時間は十分じゃなくっても料理は面白い。

#442 54歳からのピアノ その10 先生代わって、またイチからやっとります。

NHKで「ピアノの森」というアニメが始まった。
 

「ピアノの森」Piano Best Collection I

 
ピアノをめぐる素晴らしい作品だ。
実は漫画の方もちょっとしか読んだことないんだけど、
主人公のカイも周辺も、音楽に携わる素晴らしい人達で、これからショパン・コンクールに向けて進んでいくんだろうな。
アニメの方はまだ3話までしか見てないんだけど、3話目は思わず泣いてしまった。
 
音楽だけではなく、いろんなことに真剣に携わってゆくと、必ず最後には自分とむかいあわなければいけない。
そのことを幼いカイが、他者に向けて言葉にしてきっちり告げたのは素晴らしかった。
 
自分は逃げてるんじゃないのかって思うことは多々あるよね、この歳になっても。
技術云々ではなく。そりゃあ精神(スピリット)だけじゃどうにもならんことが多すぎて毎日うんざりではあるけどね。
だから、たった一度の人生だからこそ、最後の最後に、自分には、自分だけには嘘をつきたくないなと切実に思ったんだよ。
 
自分は残念ながらカイみたいに音楽の「神」にも選ばれていないし、
音楽とまだ交わる(まさにFUCKという意味でも全然そこまで行ってないかなあ)こともできていない。
だけど音楽という自分の手で鉱脈を見つけて、必死でしがみついてるんだ。
 
ピアノのあゆみ先生が、諸事情で3月いっぱいでやめられて、すっぽり抜け落ちた穴が埋まるのか心配だったけど、
おかげで、新しい先生と、ゆっくりではあるけど、基礎からやり直してます。
今度の先生は理論派で、かつ、油断すると先に先に行きそうになるので、自分のペースでお願いしてますけどね。
 
kindle unlimittedで見つけた、
簡単「ピアノ入門レシピ」も2冊制覇したし、今度は「エリーゼのために!7日で弾く」に少しずつチャレンジしてます。
ジャズピアノの本で、スケール練習に取り組んでるところ。
でもスケールはすべての楽器に通ずるものがあるから、いろんな楽器で少しでも関連付けて進歩していきたいものです。
 
新しいI先生の名言より。
「ピアノも打楽器なんですよ。だからね、タッチが大事なの。」
うーんこれは目からウロコだったよなあ。
 
ピアノ基礎レシピ 2 (おとなのピアノレッスン)

ピアノ基礎レシピ 2 (おとなのピアノレッスン)

 
ジャズピアノテクニカルメソッド ジャズの練習 ビギナー編  中島久恵 著

ジャズピアノテクニカルメソッド ジャズの練習 ビギナー編 中島久恵 著

 

 

 

#441 満中陰

 
そういうわけで四十九日が来て、満中陰の法要と納骨式が行われた。
自分の親(母も父も)は無宗教という故人たちの意思だったので、全くそういう儀式めいたものもなく、
親父は死んですぐに彼をお骨にして、その足で墓に入れた。
それだけだった。それで全ては終わり。
 
法要の時、導師が言われていましたけど、
法然上人は死にあたって「自分は墓はいらない」と言ったそうだ。
なぜなら墓という形ができると、そこに行かないといろんなことが始まらないような感じを弟子たちがもつだろうからだそうな。
南無阿弥陀仏と唱えた時に、そこに法然上人はいるという、それでいいのだ、と。
自分もどちらかと言うと常識にも疎く、前述の理由で、死後の儀式とは無縁で生きてきており、
浄土宗に帰依しているわけではまったくなく、
今回の故人の宗教がそうだったということで、松山の浄土宗の寺で法要をしていただいたのだけれど、
やっぱり偉い人はすごいいいことを言うものだと思った。
ホントそのコトバには納得して感動した。
 
だから自分も、自分が思う時に死んだ親やいろんな人はよみがえるのだと、そういう風に勝手に決めているんだけど、それも間違いではない。
こんな世知辛い世の中、それで十分じゃないか、
その上にまだ「カタチ」なんてどうして必要なんだろうね?
カタチが精神を規定するのだという意味もわからないではないけど・・。
 
アーメンでも、南無阿弥陀仏でも、南妙法蓮華経でもいい。
思ったときだけその人はいる。それで十分だ。
市井の人たちは、伝記やら評伝も描かれることなく、ただただ風化していくだけだ。
記憶を有しているヒトが滅したらなにも残らない。
でもそれでいいんだと思う。
誰が砂漠の中の砂の一粒の一生を振り返る必要があろうか?
 
だから、やっぱりね、
「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」のスピリットで生きていこうと、またまた思い直したのでした。
 
*満中陰
 
そもそも中陰とはどういう意味でしょうか。
中陰は中有(ちゅうう)とも呼ばれ、古代インドの仏教では、人が亡くなってから次の生を受けるまでの49日間のことを指します。
中陰は、生と死の間の期間とされ、七日ごとに十王による裁きが行われます。ちなみに、閻魔大王は十王の一人として、五七日に現れます。 
中陰のあと、さらに百か日(100日目)、一周忌、三回忌と、計10回の裁きを受けるとされてきました。
日本の仏教では、七七日にあたる49日を区切りに極楽浄土に行けるかどうかの判決が下されるといわれています。
 
「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」

 

#440 透析患者さんとの歩こう会。

 
透析患者さんとの「お弁当&歩こう会」もなんと今年で13回目だそうだ。
 
10回目の記念を城山登山にあてて(もしものためにクルマ別働隊用意したり、車イス手配したり、弁当を病院からタクシーで輸送したり・・とそれはそれは大変)、
それからは初心に戻って、
病院から歩ける範囲で歩くというコンセプトの3回目ってことなのかな。
 
今年は、病院から、ぼっちゃんスタジアムのある「松山中央公園・親水広場」まで、畑の中をとおって歩いていった。
飛行機が飛ぶのを3回位観た。
重信川の堤防が左右に広がり、トラクターがゆっくり動いて、空の青と緑に彩られて、そこだけみたらまるで北海道みたいな光景だった。
いいとこに住んでるよなあ、おれたち、とか思った。
歩きながら、日頃はパーソナルなことまでは突っ込まない患者さんとの素の会話もしたしね。
 
当院の栄養士さんの献立で作った弁当を食べるために、歩いて疲れて、それで美味しくいただいて、ちょっとだけ勉強するというコンセプトに基づいて始めたような気もするけど、あまり覚えていない。
まあ昔は元気で威勢だけは良かったんだろうね。
それでもいろんな患者さんが少なからず参加してくださって、今年も無事3キロ(往復6キロで去年よりも長い)ぐらい歩くことができた。
 
まさに継続は力なり。
 
少し早い昼。
外は暑かったけど、公園の木陰にビニールシートを敷いていただいた弁当は格別だった。
新緑と、軽やかな風と、少しの汗と、たわいもない会話と。
少しならいいよと言っておいたら、案の定、お一人は「越乃寒梅」持ってこられてました。あはは。
「まあええが」と薦められたけど、午後からクルマのらんといかんので、と、丁重にお断りしましたよ。
飲めたらそれはそれで格別だったのになあ。
今回は午後から納骨式があるので早めに退席したが、みんな無事に歩いて帰れただろうか?
 
栄養士さんが計画を立て、透析室のスタッフがいろいろ準備をしてくれて弁当の仕切りもしてくれて、
自分はほんとに参加するだけなんだけど、
どんどんすばらしいチームワークができあがってきており、これは誇れることだと思っている。
偉そうに言うと、親がいなくても子供はすくすくと成長するっていうことかな。
 
おつかれ。