だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#451 About my drawing その1

https://www.instagram.com/p/BkEimhgA1cW/

朝6時から働いとりますよ。なかなかヌード以外で全身像がわかるものって探しにくいので(ホントはすぐにネットで出てくるんだろうけど)、ユニクロチラシ重宝してます。やっぱ愚鈍に(考えながら)コツコツ描くしかないですね。#おえかき #ballpen #sketch #らくがき #モルフォ人体デッサン #ユニクロチラシ

 

2週間でマスター!  スケッチのきほん なぞり描き 練習帖

2週間でマスター! スケッチのきほん なぞり描き 練習帖

 

 

ほんとにたまにではあるけれど、ぽっかり時間があいたり、なにかから逃れったくって本屋でぼーっとすることがある。

昔から本屋は好きだった。立ち読みできるしね。
その時はたまたま「絵イラスト」のコーナーで何かイラストの教科書がないかなと、いろいろ見ていたのだった。
とにかく11冊やり遂げることができたらいいなと思ったので、
分厚い専門書に関しては、最初だけめくったりトライしただけで積ん読になるので諦めた。
それにしても世の中知識の宝庫であり、どれも実は魅力的な本ばかりだった。
絵にもう少し深入りするまでに諦めさせられるような、そんな雰囲気さえあった。
 
その中でなぞり書きの本を何冊か発見した。
漫画の本もあったのだけど、それだとあくまで作者の絵柄のトレースになってしまうので諦めた。
そして何冊もこの手の本を出されている山田雅夫さんの本にたどり着いたのだった。
「2Wでマスター」と銘打たれてるけど、もちろん2Wで完結するわけもない。
それだけに集中してやってりゃ別だけど。
 
簡単な形から初めて、徐々にレベルを上げてゆく。
最後は建造物の遠近法を用いたスケッチ(彼は一級建築士さんだった)になるので速度がだいぶ落ちたのだけど、
なるほどふむふむと丁寧に彼の手本をなぞっていった。
 
そのうち飽きて余白に落書きを書き込むようになったりした。いつもの悪いのかいいのかわからないくせだ。
結局は、でも、スタートはあの教科書の隅の落書きなのだ。
みんなそうして、始めるのだと思う。
今日一応最後のあたりに到達して(2ヶ月以上かかったよ)、この本から卒業することにしたんだよ。
 
その間に、
愛媛県立美術館での「熊谷守一」があり、
もう一冊のテキストである「モルフォ人体デッサン」があり、
自分の「酔っ払い画伯」としての日常のお絵描きがありだったけど、こんなにコツコツと絵に取り組んだのは、
多分人生で初めてじゃないだろうか。
 
まあそんな感じで、今は自分の年齢から考えると、
人生の「秋」なのかも知れないけど、学習に関しては「春」がやっときた気分でもあったりする。

#450 さよならぼくのともだち 森田童子さんのいない夏がくる・・

 

 

 
おれにはもう思い出せない
ストゥブがわりの電熱器のあの暖かさが
唇の裏のあの血の味も
頭を押さえつけられて飲んだドロの味も
 
おれにはもう見えない
雨の日のクロールのはるか彼方
日傘の下で微笑んでいたはずの君の表情も
 
おれにはもう涙はない
淋しいときに
君の菜の花畑で今更泣いたとしても
それはスポットライトでもなんでもないよ
 
君はそっと忘れてほしいと言った
音も立てずに去ってゆく
君は風に揺られるたんぽぽの種子のように
そっと去ってゆく
 
さよなら僕の友達
さよなら僕たちの友達
 
あなたのいない夏を
僕らは息を潜めて待つことに
もうすっかり慣れてはいるけれど・・
 
ーーーーーーーーーー
 
昨夜は飲みながら、逝ってしまった森田童子さんのことを脳裏に浮かべながら絵を描いてたら、
出てきたのは、何故か中原中也の「汚れちまった悲しみに」だったよ。
汚れちまった悲しみは懈怠の内に死を望んだんだねえ・・。
ってことなのかなあ。
ヒトが死んだことに理由をつけられるのは生きた人だけの特権で、
それはとんでもなく愚かしい行為でもあるけど、時にはそれが許される夜があってもいいと思う。
 
先日義理の父の百箇日法要に出向いた。
墓に水をかけて頭を垂れる。数珠を握って手を合わせる。
遠くに海が見える。
向かいの墓には犬の置物とか、ゴルフのクラブの墓石が置かれている。
そうやってヒトは埴輪を作ったのか、そうやって墓石を作ったのか。
 
死んでいったヒトは当然還らない。
だったら残された人はどうして生きていくんだろう。
その人を思うときにその人の死は一瞬でも二瞬でもなくなっている。
それだけで十分だ。
 
電熱器のぬくもりをもう思い出せないとしても、あのヒトの手のぬくもりはもうなくっても、
僕らはまた夏を迎えることができる。
そして僕のいない夏だって全然平気になるんだろう。
それでいい。
それでいいんだよ。
きっとね。
 
だから涙はいらない。
 
ーーーーーー
 
「春爛漫」という昔書いた詩をrefrainしておくよ。2008年だね。
 
ーーーーーー
 
雨にサクラが流れてゆく。
薄い頬の紅が流れた先は、涙の河のよう
 
そして狂おしい女の赤い腰巻からは
白い白い脚が覗いている
 
さて、本日、雨の中を行進した子供たち。
 
晴れやかな笑顔、
モノクロの虹はやがて七色に変わるだろう、
 
でも待てないで、
手をつないで渡ってゆく。
 
今日がサクラには一番いい日ですよ、
男は遠い目で語った。
 
曇天の下、薄い太陽がぼんやりと見える。
大洲城のサクラが川面に色を映す。
 
そして何かを始めたり、何かを終わらせたりするのにもね、
 
今日はとってもいい日です。
 
もちろん死ぬのにも、
 
夜になるとね、サクラの樹全体がざわめくんですよ。
 
夜になるとね、
 
よるになるとね。
 
ーーーーーー
 
 
森田童子 66歳 心不全で逝く。9歳上の僕らの友達。
 

#449 ひとりごと

「幸福とは、自分の人生が自分の手中にあると感じられること」
という言葉を、新聞の片隅に見つけた。
 
自分の人生を、自分のものにすること。
それを「是」と言える人は案外少ないんじゃないんだろうか?
 
今日、
「何もかもが衰えていくんですよ、しょうがないんですけどね・・」
と、背中をかがめて言われた80歳を越した患者さんに、
「小さなことでも夢中になれることをひとつずつ見つけたら、それだけで褒めてあげたんでいいんですよ、自分のことをね」
と話した。
 
それは自分にも当てはまることだった。
自分で自分を見つけてあげること、その先に、自分の人生を自分の手中にするという鉱脈が眠っているんだと思う。
 
ともすれば流されてゆく。
流されるのもまた人生だろう。その中にも隠されているものは少なくはない。
でも、自分の意志で、なにかを始めることを止めてはいけない。
そうやって、50年の人生を越した頃からやっと自分の「鉱脈」を探し始めたところだ。
そしてその「鉱脈」とは、
ほとんどが10代の頃にしたかったのに十分できないことだった。
なんだよ、単純な人生だな。
 
好きなことをでも一生懸命やったらいいと言われて、
10代の自分はできただろうか?
あほみたいに取り組めるのは、やっぱり、腹が座ったここ何年かだからできるんだろう。
そうやって、音楽や、絵を描くことに、向き合っている。
 
昔小説を書くことに向かい合ってたときも、
今から思えば、むちゃくちゃ自覚的ではなかった気さえする。
だって、その頃は医者になるという一大命題があったからね。
 
ところで、アインシュタインはviolinうまかったんだろうか?
死んだ親父は、下手だったけど、チェロをplayすることを生涯愛し続けた。
ピアノの先生を呼んで、自宅で手合わせしてもらってた。
ブラームスを愛し、たしか彼が出てくる本も書いてたなあ。
先代の泌尿器科のT先生も、女と酒とチェロを愛していたという。
脳出血やら梗塞を繰り返し、チェロも弾けなくなった先生は、悔しかったろうなあ。
でも彼もきっと彼の人生を手中にできたんだとおれは信じているよ。
 
おれもおれで、こうやって毎日おれの本を書き続けていこうと思ったんだよ。
命が尽きるその日まで、ちゃんとまっとうできたら嬉しいね。
 
「ビルロートの生涯」
 

ビルロートの生涯

 

#448 Maybe

 
肥大する自我。
欲望はとめどなく、
あるいは泉のように湧き出るのか、
あるいは下痢便のように滴るのみか。
 
良くも悪くも、正義も悪もない。
ただ混沌あるのみ。
 
誰もとめるものなどいない。
口を開けたら貪り喰らい、ブヒブヒと鼻を鳴らして飲んで、酔って濁った眼で他人を見下す。
おれの場所もお前の場所もとっくにないのに、まだ居座っている。
いや、目があいたまま気絶してるだけのことか。
 
足るを知れ。
足らぬを悔いるな。
おのれの寸法を把握せよ。
 
小人が巨人の服を着て歩いている。
あの娘は一生懸命つま先立ちで未来を見ようとしたよ。
でもあの娘はそのままの姿勢で、天に登ってったよ。
誰も彼女をとめることはできなかった。
 
それなのに、
中身のない陰茎に、血液以外のなにを入れて、
お前は欲望以外のなにをこの期に及んで膨らませようとしている。
 
自分のメロディを歌えよ。
はずれても稚拙でもいい。
自分のメロディしか、血にも肉にもかわってくれないんだから
 
等価交換で十分だ。
あの錬金術師も言ってたろ。
何かを失わないと何かを得ることはできないんだって。
誰も右の手を落として差し出せなんて言ってはないよ。
お前は鉛で金を釣ろうとしているんだよ。
 
鯛釣り船に帆かけてシュララララ
泥の船は溶けかけて
たぬきの背中は行灯の油で燃えている
 
足るを知れ。
足らぬを悔いるな。
おのれの寸法を把握せよ。
 
きみと風になれたら
きみと水滴になれたら
きみと宇宙(そら)になれたら
 
そんな夢を見たんだ。

#447 「豚」を思い出した。

紅の豚(イタリア語版) Porco Rosso

 
最近何をやってもマンネリというか、完全燃焼できていないような気がする。
 
その場その場では一生懸命やってるつもりなんだけど、きっとツメが甘いんだろうな。
バイオリンも随所随所で音を外してしまう。
絵を描いても、自分の理想の線と数ミリずれた感じが拭えないんだ。
どうしてだろう。それは基礎能力がないからに決まってるだろうって思うんだけど、やっぱイライラする。
アニメ「ピアノの森」に出てくるイチノセカイは、天才だから自分の思うようにピアノを弾けるんだけど、
あれはアニメだし仕方ねぇなと思いながらも、自分の思い通りにいろんなことがいかなくって地団駄を踏む。
まあ思い通りにいかないのが人生だからねえ、と、大人みたいにつぶやいてみる。
 
歳とったからってみんなが大人になれるわけじゃないんだぜ、
どこかでハモニカ加えたディランが笑いながら話しかけてくる。
 
夏を謳歌して落ちてゆくセミのように、
人生の「青春期」はとっくに終わりかけているのだから、
今のうちに叫べるだけ叫ぶ、歌えるだけ歌う、弾けるだけ弾いておかなければ取り返しがつかないのだという思いで、
色んな所に顔を出しているけど、
所詮インプットがないのにアウトプットばっかりしているから痩せほそっていくだけなのだ。
なのに体はアルコールと脂肪にまみれてるいるというお粗末さだ^^;
 
飛ばねえ豚はただの豚だ。
ポルコはそう言った。
 
でも、飛べない豚でもいいじゃないか、
飛ぼうとしなかった豚よりは、
走ろうともしなかった人間よりはちっとはましだぜ。
 

 

時には昔の話を

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#446 It’s yesterday once more・・

 
日々に飲み込まれそうになる。
日々の雑事というか、日常は何でこんなに忙しいんだろう。
いつもあっという間に一日が終わってしまい、目の前に積み上げられたものが減ることはない。
いつからこうなった 
いつからこうなった?
 
開業してもうそろそろまる20年がやってこようとしており、
カルテの患者番号が3万台になったという話を昨日聞いた。
地域医療だとか偉そうなことを言うつもりはさらさらないけど、
こうやって目の前を3万人の患者さんが、うちの病院を選んで来てくださったということは、これは本当になににもかえがたい財産だと思う。
開業したての時はまだひよっこだったやつが、結婚して子供を作り家を建て、その子が大学に進学したなんていう話もあったりして、これはこれで恐ろしいことだけど素晴らしいことでもある。
そうやっておいらもいつのまにか年老いてしまった。
でも年老いていく事は決して悪いことばかりでもない。
 
何が言いたいのかと言うと、
坂本龍一さんが以前、「人生の大切な事は20歳までにほとんど決まる」みたいなことを言われていたけど、本当にその通りだと思うんだ。
音楽といろいろ接していて思うんだけど、新しいフレーバーは身に付くけど、本質は何も変わってないんだってこと。
 
今更ではあるけど、甲斐よしひろという人がいて、
彼がやっていた「甲斐バンド」は自分がティーンエイジャーの時から20代前半にかけては多大な影響を及ぼしたものだが、
彼が、どうして甲斐バンドの曲しかやらないのか、なぜオリジナルの楽曲を出さないのか?
・・などと非難されながらも決してエクスキューズしないのには、
ちゃんとした理由があるということが最近わかったような気になってきたのだった(いえ、勝手に思うことなんですけどね)。
 
甲斐さんが好きなものはやはりずっと変わらないのだと思う。
だから自分が宝のようにしている楽曲たちを、フレーバーを変えて自分の好きなように提示したいのだと思う。
年に一回、アコースティック編成で、自分の楽曲をリアレンジして披露するツアーがあって、そのリハの映像を見てて思ったのでした。
甲斐よしひろ  Billboard LIVE & Blue Note 2018  EAST with WEST」
甲斐さんにとって、それが一番楽しいんだからね。
そしてそれがきっと音楽を愛するということなんだろう。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
自分の人生はおうおうにして酒の席でいろんなことを進んでいくことが多く、これがいい面でもあり弱点でもあったりするんだけど、
今度はたまたまトランペットの相棒のOくんと英語の堪能なキュート女将のMさんとで、カーペンターズの「yesterday once more」をみんなでプレイしようという話になったんだよね。
(^^)あのカーペンターズの有名なイエスタデイワンスモアだよ!
やると言ったのはいいけど、
いざサックスで吹こうとするとフラットが5つ位のとんでもない楽譜になってしまって、今、呻吟(あはは、singin'じゃなくって呻吟だって^^;)しているところ。
でもこれも一期一会だから、何とか3人で楽しめる形に持っていきたいと考えているんだよね。
 
そう思ってカーペンターズの昔の曲を聴いてると、泣ける泣ける泣ける泣ける。
このメロディも聴いたことある、このメロディもどこかで流れてた。
そんな感じで自分のリアルタイムの人生の傍らにカーペンターズは組み込まれていたのだ。
yesterday once more・・
ほんとまるで昨日のことのようだって・・ほんとにそう思えるんだ。すべてのいろんなメモリーがね。
実際もその歌を歌ってた頃のカレン・カーペンターズはまだまだ若かったのにね。
彼らは、若いからこそ人生の深淵がのぞけたのかもしれないね。
ほんと、そうやって好きなことなんてそうそう変わりはしないんだよね。
そんな爽やかなカレンが拒食症に苦しみ、たったの32歳であの世に行っちまうなんて、
「once more」が流れていた頃の誰に想像できたっていうんだ?
 
今日はそれでいいのかなって話です。
昔好きだったものを愛して、またplayするのは決して後退ではないってことですかね。
それじゃいかんて、バタバタして今までの自分に抵抗する時だってあるんだけどね。

#445 今日は医師会と泌尿器科学会のeラーニング3つ聴いた。疲れた。

本文とは全く関係ない昨日の燻製写真とピータン^^
 
処方料・処方せん料算定に伴う「不安または不眠に係る研修会」開催という FAX が医師会から送られてくる。
 
これを受けないと、
「不安もしくは不眠の症状を有する患者に対して1年以上継続して別に厚生労働大臣が定める薬剤の投薬は、当該症状を有する患者に対する診療を行うにつき十分な経験を有する医師が行う場合又は精神科の医師の助言を得ている場合その他これに準ずる場合を除き、処方料、処方せん料が減額されることになりました」
ということで、減額になるのかよー、てなことでしょうかねえ。
それで、いろいろ疑問に思って調べると、
日本医師会の E ラーニングでも可能と書かれているし、
 
Q
①座学による研修会等へは出席せず、e-ラーニングのみの受講によって要件を満 たすと考えてよいか。
②過去(平成 30 年 4 月 1 日以前)に受講した実績をもって要件を満たすか。 
③受講証明書のようなものは必要か。 
 
A 
①そのとおり。 
②満たす。 
③原則として不要だが、座学の研修会であれば受講証明書、e-ラーニングであれば 受講履歴等で受講を確認できることが望ましい。

 

なので、今日は外来業務がないので、1時間以上かけて2講座のビデオを拝聴して、アセスメント問題にも答えて、やっと2単位を取得する。
なかなか世知辛い世の中だね。
でも不眠症とか入眠障害のちょっとしたことはわかったので、こういう勉強もたまにはいいかもです。
 
実は、泌尿器科の方の機構認定の専門医でも、eラーニングというのも得点の取得において可能となってるけど、
eラーニングは全体の点数の30%までしか認めないとかややこしいことが書かれている。
どうしたもんか困ったもんである。
まあわれわれロートルはお情けで専門医更新させてやるけど(3回以上更新の専門医には診療実績の提出は免除されていて自分もそれに該当するのだった)、
それはまあ威力があるもんでもなんでもないとゆー事をわかっとけやーワレェ(懐かしき谷岡ヤスジ)ってなかんじなんでしょうねえ。
でも、頑張って受講してみました。
「卒03 感染症に対する苦手意識をなくそう」
こちらは8割以上の得点で合格となっとりました。
 
みんながみんな(今の若い先生、卒後2年目の医師、93.2%が新専門医制度へ、だって)最先端を行く専門医になってゆく世の中は果たして正しいのか?
でも医療の技術進歩も著しいし、最先端を走る医者は、最低限専門医であることは必須だし、
広く浅くの開業医であるロートルな自分は、専門医制度認定ありきのための専門医制度(大病院に若手が偏在するとか)にだけはならんことを祈るのみである。