#465 about my drawing その3
箱と円筒で描く モルフォ人体デッサン ミニシリーズ (モルフォ人体デッサンミニシリーズ)
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あかしや 筆ペン 水彩毛筆 彩 20色セット CA200/20V
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#464 台風の日のうちごはん、小皿料理と「伯楽星」。そして絵を描き続ける。
その日の昼の残り物パスタ。
#463 安野光雅先生の「絵の教室」を読む。
続きです。
で、安野光雅先生の「絵の教室」からは学ぶべきところは、非常に多かったのですけど、最後に先生が言われているように、何をするにしても、イマジネーションー「想像する」ことが一番大事だということは、本当に納得できます。
自分が普段は普通に生きていて、何か熱狂とかパッションに駆られている時に、急に背後から何者か別の大きなものが出てくるような感じを抱く時があります。
でもその何者かは普段はどこにいるのかわからないような気もします。それを安野先生と対談されたアメリカの数学者のクヌース先生は、
「背後にいるといっているのはミューズだよ」と安野先生に言ったそうです。
確かにそういう言い方ですると、背後にいるのが神だと言っても嘘ではないような気もしますね。
「その赤い靴を履いて、お前は絵を描くのだ、お前が青ざめて冷たくなるまで、目の前のものはなんでも、手当たり次第に描くのだ、そして高慢な、みえぼうの子供達がお前の来たのをこわがるように!さあ描け!休まずに」
という呪文をかけられたというくだりは、恐ろしくも甘美な罠のようであり、ゴッホのことを詳しくも知りもしないのに、あのタッチの奥底にあるものを的確に掴んでいるような気さえして続々したのでした。
モリ(熊谷守一)の映画を観たときも思いましたけど、なにかを感じたら、形にせざる負えないような人生だってあるんですよね。
(樹木希林さんがお亡くなりになって非常に残念ですけど・・)
そして、そのパッションさえあれば、
これも下手な自分に対する言い訳かもしれませんけど、ミスタッチやらミス線があっても、最後に塊として出てくるときに自分のものになってたら、それはそれで下手くそでも正解なんだと思います。だから子供の絵が目を見張るようなことだって多々あるしね。
結局はそれにどのぐらい没頭できるかっていうことなんでしょうね。
そのためには自分を肯定することが大事だと思います。
あはは、なんだか言い訳みたいに聞こえたら、まだまだおれがぬるいってきっとそういうことなんでしょうね。
奥田元宋美術館で買い求めた、マルマンF4スケッチブックに描いた。
#462 「安野光雅展-花と歌、文学の絵本から-」(at奥田元宋・小由女美術館 2018/09/9)
今日は敬老の日ですね。
ところでこんな時代で、敬老って一体何歳からなんだろうね?
先日広島の三次市の「奥田元宋・小由女美術館」に行きました。
お二人とも三次市出身の方で、一人は高名な日本画家(故人)で、もう一人は人形の造形作家で、お二人は夫婦であったとのことで、とても素晴らしい美術館がとんでもない田舎に急に出現するわけで、近くにはワイナリーとかもあったりするという、世の中本当に地方の時代なのかもしれませんね。
そこで絵本作家の安野光雅さんの展覧会をしていました。
「安野光雅展-花と歌、文学の絵本から-」
安野さんの絵は水彩タッチで、かつ非常にロジカルな感じだと思っていましたけど、他にも知性と教養に満ち溢れた絵がたくさん展示してあって楽しめました。
売り場で、安野さんが絵について語った「絵の教室」(中公新書)という本と、大判のスケッチブックを買いました。
自分が、朝ホテルでiPadに描いた絵も、店員の方に見てもらいましたよ。なんだか嬉しくなっちゃってね。
もう一度巡回したあとに立ち寄ったミュージアム・ショップでは、実は自分が以前東急ハンズで買って使わないで持っていた「あかしや水彩毛筆ペン」が置いてあったので、それで遊んでみて、それ用のパレットを買って、これ使って何かやってやろうというような高揚した気分にもなったりしました。
なので、雨で急に決めた訪問ではありましたが、とても良い展覧会で美術館でした。
ミュージアムショップで落書き
実は前夜は、尾道から少し外れた海辺の高級ホテルに泊まって、美味しいご飯とワインをいただいたのでした。
泊まったその部屋に、Diorをまとったスターたちの写真集(洋版)が置いてあったので、食事とお酒の後に、一心不乱で 、iPad に彼女たちをモチーフにお絵描きを始めたのでした。
酔ってるせいもあってか、Zenbrushという筆のアプリを使って描いていると、だんだん恍惚状態になってきて、次はこれ次はあれだという風になってきて、5枚は描いたでしょうか。
それなのに、実は保存してから delete しなければいけないのに、上書き上書きで描いていたために、翌朝起きてみると手元に残っていたのは最後に残った1枚だったという。
とてもとても悲しい結末だったわけです。
それでも高揚感はまだ体の芯に残っていたのでしょうね。
朝食を食べてから昼のチェックアウトまでに、また iPad に向かって昨日と同じモチーフでまた違う絵を描き始めたのですから。
で、思ったのは、絵も演奏もパッションだよね、ってこと。
その場で悩んでいても前に進む瞬発力がそがれるだけだ。
だからパッションを出し切るために、日常の努力とか練習とかデッサンとかがある、そう思えば努力は努力ですでになくなっている。
そうでしょ?
#461 語りおろしで、音楽とかそのへんのいろんなことどもについて
#460 井上堯之さんの歌が教えてくれたこと