だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#466 210円のロック(music)

YOU MAY DREAM

YOU MAY DREAM

YOU MAY DREAM

  • シーナ&ザ・ロケッツ
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

NHK福岡が作成した「you may dream」を観る。
 
シーナ&ロケッツの2人の若い頃の話をもとにしたドラマだ。
録画し忘れたのでDaily motionで観たんだけど、5分ごとにCM入るのは腹立つわ。
それでも最後まで見て、ロックの初期衝動を体感したわけです。
 
でも、シーナ、死んじゃったんだなあ。
 
シナロケの「#1」と言うLPに「400円のロック」というのがあって、
どこでもいいから400円分の切符をください と歌う
まさにブルース(有名な詩がそのまんま貼り付けられてるかんじ)風の名曲があるんだけど、
 
僕は、
いつも郊外電車・郡中線の鎌田駅から松山市駅まで行く時に、現金で210円の切符を買う。
電車に乗って揺られながら、
松山市駅という駅について、
そこから歩いて、飲みに行ったり、楽器を抱えてライブに行ったりするわけで、
その時の気分が、まさに「400円のロック」の気分だったんだということに今更ながらに気づいたのだった。
 
その時、楽器を携えていることが最近は多いわけで、
サックスだっりフィドル(バイオリン)だったりするわけだけど、
音楽を奏でる場所・音楽が流れている場所に向かっての片道切符が210円だって、なんか素敵じゃないか。
 
そしてね、自分の楽器を携えて、市駅からてこてこと歩いていくんだよ。
 
ここではないどこかを目指して、ね。
 
 

#465 about my drawing その3

 
今日は大学の先生がアルバイトで来てくれるので休みです。
ちょっとやっと落ち着いたかな。でもやることは山積みだけどね。
貧乏性なので無為な時間を過ごすのは嫌で嫌で焦りまくる自分ではあります。
 
昨日の外来は、昼一番の人が50分以上かかって、後はもう大変大変大変の一文字でした。
でも一人の患者さんを大事に診ることしかないわけで、時間配分で仕事するわけにはいきませんからね。まあその患者さんもまた次にやってくるんだし、その時にどういったことにつながるかというのは、医者である自分にもわからないわけですけど、今日蒔いた種がうまく孵化してくれるといいなと思います。医療は、見立てして投薬することがそりゃメインですけど、その人の心の中にある「病の概念」も正して普通の生活により近づけることでもありますからねえ。
いやー、だから面白いようなハードのような。やっぱり仕事も捨てがたいですね
 
今日も朝からなんとなく水彩のアプリ「Tayasui Sketdhies」というのをいじってますけど、リアル水彩をやったことがあるわけではないですから(そりゃ小学校や中学校ではいじったことはありますけどね・・」、なんやわからんような感じで進めております
 
iPad なんていう素晴らしいガジェットがあるもので、それで遊んだりしていると、あっちのアプリに飛びつき、こっちに飛びつきと、取り止めがなくなってしまうのですけど、基本はやっぱり鉛筆でのデッサンですね。
 
「モルフォ人体デッサン」というシリーズで人の解剖学に基づく手や足やらかをやらを一生懸命夏ぐらいには描いてましたけど、
やっぱり何て言うのかな、基本的には「永井豪」とか「松本零士」とか「望月三起也先生」とか「石ノ森章太郎先生」とか、あーゆーひとたちが好きなので、リアルな絵を描いていると、なんだかモチベーションが落ちちゃうというのもある種の事実だったんですよね。
 
それで最近はもっぱらユニクロのチラシのお姉さん達をちょこちょこ描いたりしてました。
(あのチラシは日本の宝だと思いますよ!まじで!)
 
そんなさなか、たまたま行った広島の美術館(「安野光雅展」を観に行った「奥田元宋・小理女美術館」)で発見したあかしや水彩毛筆ペンを、実は自分も以前に高島屋で手に入れたことを思い出して、それを使い出してみたらし楽しく、また彩色すると、やはり白黒の筆の世界よりなんだかカラフルになるので皆さんの評判も良く、それで20色セットも手に入れて、ちょこちょこ塗ったりしているわけです。
 
たまたまとか言ってるけど、あとから思うとアンテナさえ貼っとけば、人生無駄なことなんてない気もしますよね。昔から知ってる安野先生の本だって、今まで真面目に見たことなかった。「旅の絵本」をじっくり眺めてると色んな発見があります。いまさら遅いかもしれませんけど。
 
今までは、とにかく失敗してもその線の上から描き足して消さない、いう信念で、ボールペンで描いてましたけど、
線を取捨選択するということを選ぼうと思って(と言っても基本の線を何重にも描くんではなく、確信の1線を描こうということではあるんですけどね)、
それで、まずは鉛筆でクロッキーをして、その上からコピックのマルチライナー0.3 mm で線を入れ、そしてあかしや水彩毛筆で彩色をするというのを一連の練習にする予定です。
ただし現時点ではの話ですけど。
 
あー絵も仕事も音楽もどれもがっぷりだぜ。
 
箱と円筒で描く モルフォ人体デッサン ミニシリーズ (モルフォ人体デッサンミニシリーズ)

箱と円筒で描く モルフォ人体デッサン ミニシリーズ (モルフォ人体デッサンミニシリーズ)

  • 作者: ミシェル・ローリセラ,布施英利,ダコスタ吉村花子
  • 出版社/メーカー: グラフィック社
  • 発売日: 2018/02/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 
旅の絵本 (安野光雅の絵本)

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あかしや 筆ペン 水彩毛筆 彩 20色セット CA200/20V

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Tayasui Sketches

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#464 台風の日のうちごはん、小皿料理と「伯楽星」。そして絵を描き続ける。

 
朝、ゴミを捨てる。
挽きたての豆でコーヒーを淹れる。ちょっとの手間で生活は膨らむ。
2年使ったshaverのヘッドだけを交換してみることにする。
電化製品の寿命はいつを考えればいいんだろう?
でもこういった日常を彩るものは、地味だけど確実に自分の生活にbenefitを与えてくれる。寄り添うようで主張しないけど必要不可欠なんだ。
でもそのかたわらで消えてゆくものだってあるだろう。
ーーーー
2018/09/30(Sunday)
 
台風の雨の中、予定がキャンセルになったので、
絵を描いていたら止まらなくなって、続け、
食材の買い物に近所のスーパーマルヨシに行く。
 
結構な雨の量だ。
傘を立てかけて食材を購入して、帰ろうとすると傘がない。
こんな雨だから、誰しも傘を携えてると思って、立てかけといたんだけどなあ。
傘を拝借するのはそれはまだ許せるとしても、もし借りるとしたら、それは元の場所に戻しとくのが礼儀なんじゃなかろうか?
怒りというよりも悲しみが先行する。
そしてそういった御仁には、そういった感情さえがスルーされるのだと思うと、ますます悲しくなる。
 
で、うちの冷蔵庫に宮城の「伯楽星」の一升瓶が置かれていた。
その日本酒に合う小鉢料理をちょっとずつ作って、今夜の晩飯にしようというコンセプト。
ということでたくさん作る。
そのため、時間が押して、準備はしてたんだけどstaubで炊く白ごはんはなし。
炊飯器で、1.5合を仕掛けて、作り始める。
 
1.大豆もやしとザーサイのピリ辛炒め、
2.鯛ときゅうりの梅味噌和え
3.エビと香味野菜(みょうが)のさっと炒め
4.ネギとベーコンのホカホカstalub蒸し(白ネギ斜め切りを載せてベーコン載せて、ネギを載せてベーコン載せて、ベーコンの塩気とネギの甘味のみで調理 うまし)
5.タコと長芋のカルパッチョ風、
6.白ご飯。
 
そして伯楽星!いえい!
 
タコと長芋のカルパッチョは、
長芋を薄切りにしたものの上に、タコの薄切りを乗っけ、
塩ポン酢とオリーブオイル、黒胡椒でいただくというもの。
アレンジしてわさびドレッシングとした。
 
シンプルだけど、素材同士がいいマリアージュを醸し出して、満足の晩御飯で、
どのくらい残ってたかわからん「伯楽星」は家族全員で、あいちゃいました。とさ。
 

その日の昼の残り物パスタ。

#463 安野光雅先生の「絵の教室」を読む。

 

カラー版 絵の教室 (中公新書)

カラー版 絵の教室 (中公新書)

 

 

続きです。

 

で、安野光雅先生の「絵の教室」からは学ぶべきところは、非常に多かったのですけど、最後に先生が言われているように、何をするにしても、イマジネーションー「想像する」ことが一番大事だということは、本当に納得できます。

 

自分が普段は普通に生きていて、何か熱狂とかパッションに駆られている時に、急に背後から何者か別の大きなものが出てくるような感じを抱く時があります。

でもその何者かは普段はどこにいるのかわからないような気もします。それを安野先生と対談されたアメリカの数学者のクヌース先生は、

「背後にいるといっているのはミューズだよ」と安野先生に言ったそうです。

確かにそういう言い方ですると、背後にいるのが神だと言っても嘘ではないような気もしますね。

 

ゴッホの章では、アンデルセン童話の「赤い靴」を引用して、

「その赤い靴を履いて、お前は絵を描くのだ、お前が青ざめて冷たくなるまで、目の前のものはなんでも、手当たり次第に描くのだ、そして高慢な、みえぼうの子供達がお前の来たのをこわがるように!さあ描け!休まずに」

という呪文をかけられたというくだりは、恐ろしくも甘美な罠のようであり、ゴッホのことを詳しくも知りもしないのに、あのタッチの奥底にあるものを的確に掴んでいるような気さえして続々したのでした。

 

モリ(熊谷守一)の映画を観たときも思いましたけど、なにかを感じたら、形にせざる負えないような人生だってあるんですよね。

樹木希林さんがお亡くなりになって非常に残念ですけど・・)

 

そして、そのパッションさえあれば、

これも下手な自分に対する言い訳かもしれませんけど、ミスタッチやらミス線があっても、最後に塊として出てくるときに自分のものになってたら、それはそれで下手くそでも正解なんだと思います。だから子供の絵が目を見張るようなことだって多々あるしね。

 

結局はそれにどのぐらい没頭できるかっていうことなんでしょうね。

そのためには自分を肯定することが大事だと思います。

あはは、なんだか言い訳みたいに聞こえたら、まだまだおれがぬるいってきっとそういうことなんでしょうね。

 

奥田元宋美術館で買い求めた、マルマンF4スケッチブックに描いた。

#462 「安野光雅展-花と歌、文学の絵本から-」(at奥田元宋・小由女美術館 2018/09/9)

 

今日は敬老の日ですね。

ところでこんな時代で、敬老って一体何歳からなんだろうね?

 

先日広島の三次市の「奥田元宋・小由女美術館」に行きました。

お二人とも三次市出身の方で、一人は高名な日本画家(故人)で、もう一人は人形の造形作家で、お二人は夫婦であったとのことで、とても素晴らしい美術館がとんでもない田舎に急に出現するわけで、近くにはワイナリーとかもあったりするという、世の中本当に地方の時代なのかもしれませんね。

 

そこで絵本作家の安野光雅さんの展覧会をしていました。

安野光雅展-花と歌、文学の絵本から-」

安野さんの絵は水彩タッチで、かつ非常にロジカルな感じだと思っていましたけど、他にも知性と教養に満ち溢れた絵がたくさん展示してあって楽しめました。

 

売り場で、安野さんが絵について語った「絵の教室」(中公新書)という本と、大判のスケッチブックを買いました。

自分が、朝ホテルでiPadに描いた絵も、店員の方に見てもらいましたよ。なんだか嬉しくなっちゃってね。

もう一度巡回したあとに立ち寄ったミュージアム・ショップでは、実は自分が以前東急ハンズで買って使わないで持っていた「あかしや水彩毛筆ペン」が置いてあったので、それで遊んでみて、それ用のパレットを買って、これ使って何かやってやろうというような高揚した気分にもなったりしました。

なので、雨で急に決めた訪問ではありましたが、とても良い展覧会で美術館でした。

ミュージアムショップで落書き

 

実は前夜は、尾道から少し外れた海辺の高級ホテルに泊まって、美味しいご飯とワインをいただいたのでした。

泊まったその部屋に、Diorをまとったスターたちの写真集(洋版)が置いてあったので、食事とお酒の後に、一心不乱で 、iPad に彼女たちをモチーフにお絵描きを始めたのでした。

酔ってるせいもあってか、Zenbrushという筆のアプリを使って描いていると、だんだん恍惚状態になってきて、次はこれ次はあれだという風になってきて、5枚は描いたでしょうか。

 

それなのに、実は保存してから delete しなければいけないのに、上書き上書きで描いていたために、翌朝起きてみると手元に残っていたのは最後に残った1枚だったという。

とてもとても悲しい結末だったわけです。

 

それでも高揚感はまだ体の芯に残っていたのでしょうね。

朝食を食べてから昼のチェックアウトまでに、また iPad に向かって昨日と同じモチーフでまた違う絵を描き始めたのですから。

 

で、思ったのは、絵も演奏もパッションだよね、ってこと。

その場で悩んでいても前に進む瞬発力がそがれるだけだ。

だからパッションを出し切るために、日常の努力とか練習とかデッサンとかがある、そう思えば努力は努力ですでになくなっている。

 

そうでしょ?

#461 語りおろしで、音楽とかそのへんのいろんなことどもについて

その美人シンガーの方がお誕生日だったので、嬉しくなって、翌朝描いて、彼女に送りましたよ♪
 
昨日夜遅く(もう一昨日のことか・・)「ハノイカフェ」で白木さんとスタッフのあんちゃんと話した。
「先生はいろんなことやってますよねえ」と言われて、
実はやりたいことっていうのは、よくよく考えてみると子供の時にやりたいことばっかりなんだよね、という話になる。
 
そこで坂本龍一さんの話を出す。
 
人生でやりたいこと(というか人間の根幹ってやつ)って実は20歳までほとんど決まってしまう・・というそういう話だ。
ほんとそう思うでしょ?
 
だから、いろいろ手繰り寄せてみると、
実は子供の頃とか思春期のときにやっとけばよかったというアレヤコレヤを再現してるというか、
追求してるってことになるわけである。
 
いつ死ぬか分からないから、
やりたいと思った事はなるべく早く、へたくそでも手をつけたほうがいいのだ、という話をする。
 
ピアノはホントは老後にゆっくりやる予定だったんだけど、人生は有限だと言うことである日、急に気づいて、
それで55歳から始めたわけだし、今も結局は基礎練習を続けているだけの感じではありますけどね。
 
音楽に関しては、かぐや姫とかアリスとかそういうところから入ったけど、今はなぜかジャズにトライしている。
なんでジャズかと言うと、ジャズは楽譜通りに吹かなくっても許されるという、
何と言うのかな懐の深い音楽だからなのかな。
正解というのがないから何かごまかしながらもやっていけるんだと思う。
(まあ浅はかな素人考えではありますけどね)
 
みんな子供の頃は、
漫画家になりたいと思って、
自分は永井豪先生とか松本零士先生の絵とかを真似して描いていたりしたけど、今でもその気持ちは全然変わらない。
だから絵を描くのはやっぱり楽しい。
へたくそでも なんでも、すきあれば「絵を描かせてもらっていいですか」って(女の方にですけど)お願いしている。
なはは。
 
昨日は久々にトランペットの相棒がいなくて、
1人で「you’d be so nice to come home to」をやった。
1人でやると1人だけで全部しきれるので、良い面もあるけど、
やっぱり隣にいるべき相棒がいないと寂しい。
彼ともこのライブハウスで知り合って、じゃあ飲もうかで、飲んで、じゃあやろうかで、
男二人のユニット「夜明け前」が始まった。
 
後半のセッションでは、
美人シンガーに楽譜をもらって、誘っていただいて、急遽飛び入りでフライ・ミー・トゥー・ザ・ムーンのセッションに参加した。
コードは何とかiReal pro(iPhoneのアプリ)で探して変換して、
由美子さんに最初の音をpianoで教えてもらって
(というのは、シンガーの楽譜のDmがサックスではBmになるんですよね、
サックスは移調楽器なんで、ボーカルの人とおんなじ音吹いてもおんない音にならないという非常にややこしい楽器で、
やり始めてしばらくしてその事実に気づいて途方に暮れまたわけです。)
それでやったんだけど、なんと歌のバックでそれなりにvocalを邪魔しない感じでいい感じの音が吹けたんですよね。
自画自賛かもしれないけど、ね。
1番の歌が終わって、振られて、自分なりにソロアドリブまでやりましたよ。
それもなんとか一応形になったんですよね(途中で止まったけど)。
 
なんだかこーゆー緊張感のある場所しか、
人生の中でも、人間ってやつは育たないんだろうなあってほんと思いましたよ。
 
だから、やるんですよね、
どんなゲームでも始めなきゃプレイヤーにはなれないからねえ。
負けても勝っても、死ぬわけじゃあない。
 
SIONが昔歌ってたよね、
「気にすることはないさ 殺されるわけじゃない 多分いつかのツケが回っただけさ」って。
 
そしてこんな場所にいることを許してくれる音楽の仲間とプロの先生たちに本当に感謝しながら、
またお酒を飲んでしまいました。
 
3日連続だとほんとにすぐ酔っちゃうよね。
Y'sでは強めのハイボールを2杯。
 
一人でフラフラいった「ハノイカフェ」はベトナム料理の店なのに、
生タイガービールの後は、黒霧島を飲み始めて、
冒頭のごとく喋り始めたら帰れなくなっちゃって、
結局3杯飲んでしまいましたよ。
 
だはは。
 
iPhoneの音声入力で喋って、それからいじりました。

#460 井上堯之さんの歌が教えてくれたこと

ウォーター・マインド(2017 Remaster)

井上堯之さんのCDをアップルミュージックで聴いている。
 
「Water Mind」、これは高校生の時、中古レコード屋でゲットした堯之さんのファーストLPだ。
それが堯之さん亡き後もこうやって聴けるというのは素晴らしい。
多分CDとしての発売は難しいと思うもんなあ。
そして、これを聴いていると、あのときから自分は何も変わっていないんだ、進歩していないんだと言うことがよくわかる。
 
実は後日譚があって、堯之さんが何年か前に松山にliveに来たときに、この中古のLPを持っていってサインをしてもらったんだよ。
うれしかったなぁ。
 
「ちんちん電車」と言う名曲があり、初めてのデートでキスするまでに至った心の高ぶりを描いた(多分中学生くらいの男の子の歌)曲だけど、そのラストバースでは彼は年老いて、残り時間少ないおのれの人生を見つめていたいするわけで、もう彼女がどこでなにをしているかさえ知らない(まあそれが普通といえば普通ですけどね)。
この「諦念」とか「寂寥感」とか「無常観」みたいなものが、いつも堯之さんの歌にはあったんだ。
1stソロLPにしてね。
「厭世歌」って歌も入ってる。今日も誰かの葬式が出るよ、とか、歌ってるしねえ。生まれいづるものあれば必ず死に至るものもあるという、無常を、教科書ではなく、自分は井上堯之さんの歌で教わったんだ。
だから惹かれたんだと今にしてやっとわかった。
厭世歌

厭世歌

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