だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#469 「しめじとトマトの炊き込みご飯 Staub」(2018/12/11)

 
今週の食事当番は月曜と火曜。
てなわけで、頂いてた新米で炊き込みごはんを作ることにした。
ちょうど、ぶっといしめじ(京都亀岡)が冷蔵庫にあったので、しめじとミニトマトで作ることにする。
冷蔵庫のごぼうの漬物も入れて、その分、塩と醤油は加減しましたよ。
水加減はちょっと今回180cc/1合にしたんだけど、トマトときのこの水分が出たので多すぎたかな?
次回はその辺を配慮してみよう。
でも、ちゃんとおこげもできて、むちゃおいしいゴハンで、
2合作ったのだけれど、家族三人ほぼカンショクでした。
牛肉とネギの炒め煮と、中華スープとでうちごはん。
素晴らしいね、いつもながら惚れちゃうよ、ストゥブ。
みなさんがストゥブ愛を語られるのもわかる気がします。
普段の晩御飯なので、ほんと限られた時間でしか調理できないけど、瞬発力と経験とあとは、食い意地とかそういったものが、「炊事」の本質なのかもしれないなあなどと。
まあ、うまいものを自分で作ってくれたら、日々蓄積してる披露とか、ストレスとか、いろんなマイナスも少しは減っていくというものだよねえ。
 

#468 今日は相棒と6曲と長めのjazz sessionです。

 
今日はトランペットの相棒と2人でワインバーでライブをする。
そんな大層なものではないのだけれど、ワインバー「グラン・クリュ」のオーナーのご厚意で、30分ほど、プロのピアニストがバックをつとめてくださって、我々二人が、サックスとトランペットでjazzをplayするというものだ。
 
彼と知り合って、来月で1年になる。
1年なのに果てしなく長い気もして短い気もする。
でも1年前には彼との関係性はnothingだったんだから、遠くまで来たんだろう。
彼は実は転勤族なので、その関係性が、彼が去ってたとえ消滅しても、残るものはきっとある。
そう思いながら練習しても、
・・・オイラの楽器から出る音色は相変わらずしょぼいのだけれど。
 
その前に、本業の仕事もある。
夜に、某製薬会社で1時間くらい社内講師もするのだ。
 
今日は大学のセンセイがバイトなので、ひさびさゆっくり。
アサからコーヒーを飲んで、練習をして、またスケッチを1枚描いた(上のです)。
 
自由になるということはどういうことなのかといつも思っている。
どういう状態なったらおれはハッピーなのかって。
チェロ奏者のヨーヨーマさんのドキュメンタリー映画を何回かに分けて観た。
シルクロードプロジェクトの映画だ。
みんな音楽という自由を手にいれるために、いろんな不自由をうちに秘めながら弾いていた。そんな映画だった。だけど最終的に解き放たれた音楽は何よりも素晴らしかった。
そこまでどうやったら到達できるのかとか思いながら、いつもよちよち歩きを繰り返しているような気がする。
 
戦時中に拘束されて獄中で死んだ「尹東柱ユン・ドンジュ)」さんの新聞記事を読む。
彼は治安維持法違反の疑いで逮捕され、福岡刑務所で獄死したとのことだ。
彼の詩が掲載されていて、中原中也のようにシンプルでココロを射った。
 
失(な)くしてしまいました。/何をどこで失くしたのかわからないまま (略) 石と石と石が 次から次へ果てしなくつづき/道は石垣を縫い込んで延びていきます。 (略) わたしが生きているのは、ただ、/失くしたものを探しだすためなのです。
 
「道」より

 

いつも同じようなことを書くけど、一つ一つ解決していくしかないだ。
それがよちよち歩きでも。
 
なくしたものはかつて存在したものなのか?
なくしたものだって、生まれる前からあったわけではないのだったら、今から見つけて、涙しても決して遅いわけではないんじゃないか。
 
だから、今夜一緒にやるトランペットの相棒とも、(オレは信じてないけど)1年以上前のどっかの時空で触れ合ってたのかもしれないじゃないか?
 
自由になるためには、自由に音を奏でるためには、、、
 
・・まだまだ途上だ。
 
 
空と風と星の詩人~尹東柱(ユン・ドンジュ)の生涯~ [DVD]

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#467 ひとりごとです。

BORN TO RUN

 
器用そうに見えるかもしれない。
何でも出来るように見えるかもしれない。
でも実は愚鈍で亀のような速さでしか進めないでいる。
それなのにいろいろ手を広げるので困った事態に陥る。
 
サックスからはじめて、バイオリン、そしてドラムに、piano。
金に任せてマーティンのアコギも買った。
 
去年はまだ色付きの絵を描いてなかった。
今年からは色を塗る術やら、iPadを用いて作成することも思いついた。
それで、「医師会の趣味の美術展」に、はじめて出品することにした。
なんと愛媛県立美術館の南館にただで展示してくれるのだ。
12/5-9の短い期間ではあるけれど。
 
コツコツ作っていって、A4サイズで16枚のものをプリントアウトして、今日、業者の方に託した。
なにもないところから絵が生まれるという行為は、音楽を紡ぐことにもにている。
 
だからなのか、
いやいや、自分の周りにいる相棒たちが自分を「気持ちよくさせてくれ」すぎるせいか、
彼やら彼女やらに、自分の作ったメロディや歌詞を歌ってほしいと思って、作詞作曲まで始めた。
1曲めは「Akiko Song」というものだった。
2曲目は、人生流され流れてこの街にたどり着いただけのかもしれないけど、ここで生きてくことを改めて決意したというような内容の「椰子の実song」というレゲエだった。
パワハラのごとく、自分の病院の忘年会で、それらの楽曲をギターを弾いて自演したりもした。
きのうはその3曲めを「神戸ガレージカフェ」でお披露目した。
 
やっぱり嬉しかった。
 
昨日、実は音楽の相棒と喧嘩した。
で、夢で、
彼女と酔っ払って、また二人で、居酒屋でフィドル(バイオリン)をおたけびをあげながら弾いてた。
とても気持ちよかった。幸せだった。
だから、また彼女とやりたいと思った。
至らない男だけど、多分また付き合ってもらえると思うので、・・・それがわかってうれしかった。
だって、この世の中でそうそう相棒は見つからんからね。
 
とにもかくにも、着実に一歩一歩歩んでいくことでしか、千歩先にはたどりつけないのだと思う。
だからその一歩を大事にして、例えば三歩飛ぼうなどとは思わないようにしている。
 
病院に来て、さっき、年末の仕事であるBONUSの作成をほぼ終えることができた。
この作業を終えると、なんだか、どっと疲れるんだけど、そういえばいつも疲れ喘ぎながらも、何かを探しているのかな。
 
今宵は医師会の講演会で座長をさせていただく。
日赤のK先生の「CKD(慢性腎臓病)ガイドライン2018」の話だ。
 
そして明後日の12/1には、「カホン」をプロの先生方が支えてくれる中、叩きます。
島村楽器の年末の音楽発表会。
 
「Day Dream Believer」、自分にとってはまさにキヨシローの歌だ。
 
そして、親父が亡くなって骨にして帰りみちに立ち寄った倉敷の大原美術館で、ふと流れてきて脳内に住み着いた曲でもある。
だから、この歌は二人の偉大な亡骸、キヨシローと自分の親父にかぶさって脳内再生され続けている。
 
その楽曲を叩く。
 
苦しい苦しい。
でも楽しい、そんな感じかな。
 
スプリングスティーンが歌ってた、まさにborn to runな感じです。

#466 210円のロック(music)

YOU MAY DREAM

YOU MAY DREAM

YOU MAY DREAM

  • シーナ&ザ・ロケッツ
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

NHK福岡が作成した「you may dream」を観る。
 
シーナ&ロケッツの2人の若い頃の話をもとにしたドラマだ。
録画し忘れたのでDaily motionで観たんだけど、5分ごとにCM入るのは腹立つわ。
それでも最後まで見て、ロックの初期衝動を体感したわけです。
 
でも、シーナ、死んじゃったんだなあ。
 
シナロケの「#1」と言うLPに「400円のロック」というのがあって、
どこでもいいから400円分の切符をください と歌う
まさにブルース(有名な詩がそのまんま貼り付けられてるかんじ)風の名曲があるんだけど、
 
僕は、
いつも郊外電車・郡中線の鎌田駅から松山市駅まで行く時に、現金で210円の切符を買う。
電車に乗って揺られながら、
松山市駅という駅について、
そこから歩いて、飲みに行ったり、楽器を抱えてライブに行ったりするわけで、
その時の気分が、まさに「400円のロック」の気分だったんだということに今更ながらに気づいたのだった。
 
その時、楽器を携えていることが最近は多いわけで、
サックスだっりフィドル(バイオリン)だったりするわけだけど、
音楽を奏でる場所・音楽が流れている場所に向かっての片道切符が210円だって、なんか素敵じゃないか。
 
そしてね、自分の楽器を携えて、市駅からてこてこと歩いていくんだよ。
 
ここではないどこかを目指して、ね。
 
 

#465 about my drawing その3

 
今日は大学の先生がアルバイトで来てくれるので休みです。
ちょっとやっと落ち着いたかな。でもやることは山積みだけどね。
貧乏性なので無為な時間を過ごすのは嫌で嫌で焦りまくる自分ではあります。
 
昨日の外来は、昼一番の人が50分以上かかって、後はもう大変大変大変の一文字でした。
でも一人の患者さんを大事に診ることしかないわけで、時間配分で仕事するわけにはいきませんからね。まあその患者さんもまた次にやってくるんだし、その時にどういったことにつながるかというのは、医者である自分にもわからないわけですけど、今日蒔いた種がうまく孵化してくれるといいなと思います。医療は、見立てして投薬することがそりゃメインですけど、その人の心の中にある「病の概念」も正して普通の生活により近づけることでもありますからねえ。
いやー、だから面白いようなハードのような。やっぱり仕事も捨てがたいですね
 
今日も朝からなんとなく水彩のアプリ「Tayasui Sketdhies」というのをいじってますけど、リアル水彩をやったことがあるわけではないですから(そりゃ小学校や中学校ではいじったことはありますけどね・・」、なんやわからんような感じで進めております
 
iPad なんていう素晴らしいガジェットがあるもので、それで遊んだりしていると、あっちのアプリに飛びつき、こっちに飛びつきと、取り止めがなくなってしまうのですけど、基本はやっぱり鉛筆でのデッサンですね。
 
「モルフォ人体デッサン」というシリーズで人の解剖学に基づく手や足やらかをやらを一生懸命夏ぐらいには描いてましたけど、
やっぱり何て言うのかな、基本的には「永井豪」とか「松本零士」とか「望月三起也先生」とか「石ノ森章太郎先生」とか、あーゆーひとたちが好きなので、リアルな絵を描いていると、なんだかモチベーションが落ちちゃうというのもある種の事実だったんですよね。
 
それで最近はもっぱらユニクロのチラシのお姉さん達をちょこちょこ描いたりしてました。
(あのチラシは日本の宝だと思いますよ!まじで!)
 
そんなさなか、たまたま行った広島の美術館(「安野光雅展」を観に行った「奥田元宋・小理女美術館」)で発見したあかしや水彩毛筆ペンを、実は自分も以前に高島屋で手に入れたことを思い出して、それを使い出してみたらし楽しく、また彩色すると、やはり白黒の筆の世界よりなんだかカラフルになるので皆さんの評判も良く、それで20色セットも手に入れて、ちょこちょこ塗ったりしているわけです。
 
たまたまとか言ってるけど、あとから思うとアンテナさえ貼っとけば、人生無駄なことなんてない気もしますよね。昔から知ってる安野先生の本だって、今まで真面目に見たことなかった。「旅の絵本」をじっくり眺めてると色んな発見があります。いまさら遅いかもしれませんけど。
 
今までは、とにかく失敗してもその線の上から描き足して消さない、いう信念で、ボールペンで描いてましたけど、
線を取捨選択するということを選ぼうと思って(と言っても基本の線を何重にも描くんではなく、確信の1線を描こうということではあるんですけどね)、
それで、まずは鉛筆でクロッキーをして、その上からコピックのマルチライナー0.3 mm で線を入れ、そしてあかしや水彩毛筆で彩色をするというのを一連の練習にする予定です。
ただし現時点ではの話ですけど。
 
あー絵も仕事も音楽もどれもがっぷりだぜ。
 
箱と円筒で描く モルフォ人体デッサン ミニシリーズ (モルフォ人体デッサンミニシリーズ)

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旅の絵本 (安野光雅の絵本)

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あかしや 筆ペン 水彩毛筆 彩 20色セット CA200/20V

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Tayasui Sketches

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#464 台風の日のうちごはん、小皿料理と「伯楽星」。そして絵を描き続ける。

 
朝、ゴミを捨てる。
挽きたての豆でコーヒーを淹れる。ちょっとの手間で生活は膨らむ。
2年使ったshaverのヘッドだけを交換してみることにする。
電化製品の寿命はいつを考えればいいんだろう?
でもこういった日常を彩るものは、地味だけど確実に自分の生活にbenefitを与えてくれる。寄り添うようで主張しないけど必要不可欠なんだ。
でもそのかたわらで消えてゆくものだってあるだろう。
ーーーー
2018/09/30(Sunday)
 
台風の雨の中、予定がキャンセルになったので、
絵を描いていたら止まらなくなって、続け、
食材の買い物に近所のスーパーマルヨシに行く。
 
結構な雨の量だ。
傘を立てかけて食材を購入して、帰ろうとすると傘がない。
こんな雨だから、誰しも傘を携えてると思って、立てかけといたんだけどなあ。
傘を拝借するのはそれはまだ許せるとしても、もし借りるとしたら、それは元の場所に戻しとくのが礼儀なんじゃなかろうか?
怒りというよりも悲しみが先行する。
そしてそういった御仁には、そういった感情さえがスルーされるのだと思うと、ますます悲しくなる。
 
で、うちの冷蔵庫に宮城の「伯楽星」の一升瓶が置かれていた。
その日本酒に合う小鉢料理をちょっとずつ作って、今夜の晩飯にしようというコンセプト。
ということでたくさん作る。
そのため、時間が押して、準備はしてたんだけどstaubで炊く白ごはんはなし。
炊飯器で、1.5合を仕掛けて、作り始める。
 
1.大豆もやしとザーサイのピリ辛炒め、
2.鯛ときゅうりの梅味噌和え
3.エビと香味野菜(みょうが)のさっと炒め
4.ネギとベーコンのホカホカstalub蒸し(白ネギ斜め切りを載せてベーコン載せて、ネギを載せてベーコン載せて、ベーコンの塩気とネギの甘味のみで調理 うまし)
5.タコと長芋のカルパッチョ風、
6.白ご飯。
 
そして伯楽星!いえい!
 
タコと長芋のカルパッチョは、
長芋を薄切りにしたものの上に、タコの薄切りを乗っけ、
塩ポン酢とオリーブオイル、黒胡椒でいただくというもの。
アレンジしてわさびドレッシングとした。
 
シンプルだけど、素材同士がいいマリアージュを醸し出して、満足の晩御飯で、
どのくらい残ってたかわからん「伯楽星」は家族全員で、あいちゃいました。とさ。
 

その日の昼の残り物パスタ。

#463 安野光雅先生の「絵の教室」を読む。

 

カラー版 絵の教室 (中公新書)

カラー版 絵の教室 (中公新書)

 

 

続きです。

 

で、安野光雅先生の「絵の教室」からは学ぶべきところは、非常に多かったのですけど、最後に先生が言われているように、何をするにしても、イマジネーションー「想像する」ことが一番大事だということは、本当に納得できます。

 

自分が普段は普通に生きていて、何か熱狂とかパッションに駆られている時に、急に背後から何者か別の大きなものが出てくるような感じを抱く時があります。

でもその何者かは普段はどこにいるのかわからないような気もします。それを安野先生と対談されたアメリカの数学者のクヌース先生は、

「背後にいるといっているのはミューズだよ」と安野先生に言ったそうです。

確かにそういう言い方ですると、背後にいるのが神だと言っても嘘ではないような気もしますね。

 

ゴッホの章では、アンデルセン童話の「赤い靴」を引用して、

「その赤い靴を履いて、お前は絵を描くのだ、お前が青ざめて冷たくなるまで、目の前のものはなんでも、手当たり次第に描くのだ、そして高慢な、みえぼうの子供達がお前の来たのをこわがるように!さあ描け!休まずに」

という呪文をかけられたというくだりは、恐ろしくも甘美な罠のようであり、ゴッホのことを詳しくも知りもしないのに、あのタッチの奥底にあるものを的確に掴んでいるような気さえして続々したのでした。

 

モリ(熊谷守一)の映画を観たときも思いましたけど、なにかを感じたら、形にせざる負えないような人生だってあるんですよね。

樹木希林さんがお亡くなりになって非常に残念ですけど・・)

 

そして、そのパッションさえあれば、

これも下手な自分に対する言い訳かもしれませんけど、ミスタッチやらミス線があっても、最後に塊として出てくるときに自分のものになってたら、それはそれで下手くそでも正解なんだと思います。だから子供の絵が目を見張るようなことだって多々あるしね。

 

結局はそれにどのぐらい没頭できるかっていうことなんでしょうね。

そのためには自分を肯定することが大事だと思います。

あはは、なんだか言い訳みたいに聞こえたら、まだまだおれがぬるいってきっとそういうことなんでしょうね。

 

奥田元宋美術館で買い求めた、マルマンF4スケッチブックに描いた。