だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#473 師走

外来終わって、透析業務だけだけど、
毎日こうやって働いていると、今日が何曜日なのか全くわからないようになる。
今日は月曜日、大晦日で明日は休みということを再認識する。
 
さて、そんなこんなで12月も終わろうとしているけど、
12月の慌ただしい時間の流れの中で「ジョン・レノン」のことを思い出すこともめっきり減ってしまった。
ジョンが撃たれたあの日、自分は浪人生で、
ジョンの死んだ翌年にこの愛媛県で、やっと大学に入学することができたのだった。
あの寒い重信の医学部の講堂のがらんどうの廊下を今でも思い出す。
自分はジョンレノン追悼本を読みながら、面接の待ち時間を過ごしていたのだった。
 
今朝、絵を描いていたら、予期しなかったのに、なんだか清志郎になってしまった。
そうするつもりは全くなかったのに、あごひげ描いてたら、
なんか・・これは誰だ?そうだあの人だ、と、あの清志郎さんになっちゃったんですよね。
 
そういえば闘病生活の末にあの世に行った美咲は何してるだろうか。
まあ、死んだら何も残りゃしないし、あの世なんて有りはしないのだけれど。
自分だけ先に行っちゃってずるいよなと思うけど、でもね、残されたものたちが想う限りは、彼女が生きているんだろう。
時々そうやって、リアルワールドではあったこともない彼女のことを思い出すことができることは、多分幸せなんだと思う。
彼女の、舌っ足らずのあの声も今だって目を閉じれば聞こえてくる。
 
松山市民会館であった、竹原ピストルのコンサートの帰りに、クラフトビールの店「BOKKE」に行った。
そこで竹原ピストルの歌である男と応酬をした。
その男と、後日、銀天街でばったり会った。
音楽セッション(バイオリン)の日だったので、来ない?と声をかけたらほんとに来た。
それから盛り上がって、AKIKOと3人で付かず離れずでなんかやってる。
彼の名前は、ホントの話だけど、可不可(カフカ)と言う。まじだよ。
 
人の世の中ってほんと不思議なものだ。
つい先日、初めて行ったワイズカフェの忘年会で、また新しい知り合いを得た。
彼女たちと、ボーカルとかギターとかでなんか絡んだりしたいなあと、
また新しい曲かけんかなあとか、ギターもっとうまくひけんかなあとか、新しい力やら妄想が頭をもたげきた。
 
今年の初め(?)は、デビルマンNetflixアニメが放映された。
そのためにだけ無料期間のNetflixに1Mだけ入ってみたけ。うちのめされた。
牧村美樹ちゃんは、悪魔と化した近所の方たちに惨殺されて、やはりその事実を変えることはできなかった。
悪魔の力を持っても、不動明牧村美樹を救うことなどできなかったんだ。
 
そうやってみると、自分の世界観は、
同級生の床屋で読みふけった少年マガジンの「デビルマン」連載の、
あの小学生〜中学生の頃から何一つ変わってないことに驚かされる。
 
思いつくまま書いてみたけど、
 
それでもこうやっていろんな出会いがあるから、
そして人は忘れていくことができるから、
こうやって先に向いて進むことができるんだろう。
 
今までであった多くの人たちと、今から出会う更に多くの人たちに感謝を。
 
僕らはまだまだ旅してゆく(おおこれ歌のフレーズになるなあ^^;)。

#472 誕生日は「ル・トワ・ルージュ」で(2018/12/23)。

 
最近は、誕生日の時、いつもここのフレンチのフルコースをご馳走になっている。
(クリスマスメニューしかこの時期はないので、いつもにもまして豪華な感じなのかな?)
 
実は、結構昔からお世話になっているのだけれど、今だにワインの事は分からないので、マダムにお任せしている。
マダムはソムリエでもあるのだ(腰のところに燦然と輝くバッチ!)。
(たしかアラ還から一念発起して取られたという、我々の尊敬すべき先輩でもあるわけです。
さっきブログ見たら英会話も始められているらしく、
まさにイングリッシュコミニュケーションで、この夏に壊滅状態になった自分にとっては、先を照らしてくれる灯台みたいな人かも・・でした。)
 
今回も素敵なディナーをフルコースでいただき、家族でワインをかばかば飲んで、お腹いっぱい満足でありました。
 
マダムの装いがとても素敵だったので、「ぜひ絵を描かせてください」と、写真を撮らせていただいて、
やっと稚拙ではありますが、一枚の絵にすることができました。
 
本当にいつもありがとうございます。
今後ともおいしい食事とワインととびっきりのお菓子をお願いしますね\(^o^)/
 
【追記】
「ねこまや」ゆうこさんにいただいたノートが、また自分の絵描きに拍車をいい感じでかけてくれている。
デジタルの世界の探求もせんといかんのに、
でも今はとにかく、毎日アナログで手を動かしていたいのだろう。
 

 

#471 映画「FOUJITA」(2015)

2018/12/20


11/14公開:映画『FOUJITA』予告編

 
小栗康平監督の映画「FOUJITA」(2015)を観る。
amazonでレンタルして、iPadで。便利な時代だ。
 
藤田嗣治のフランスよみが「FOUJITA」だそうな。
藤田は1920年代のモンパルナスでは、時代の寵児としてもてはやされ、むこうでは「FOUFOU(フーフー)」と呼ばれていたのだそうだ。
 
映画の中で、
「作品だけではなくフジタという名前も知ってもらわないと意味がないので、
僕は「フーフー(お調子者)」という名前で呼ばれて全然OKですよ」
みたいなことを、藤田役のオダギリジョーさんが言われていた。
 
ここからは私事、
 
確かに、絵は何かを訴え、それにタイトルが付くとまた別の意味を持ってくる。
しかし、そこに「描いた人」の顔がハマることも、ある意味では「良」である意味では「不可」だったりする。
でも、自分も絵を描くものの端くれとして、
「絵」を描いた「自分」も含めての絵だとやはり心の何処かで思っているので、自分を「求めて」ほしいなあなどと、下賤な考えを抱いたりする。
 
日本に帰ってきた藤田は、大東亜戦争の真っ只中、
陸軍の命を受けて、戦争画を描く。
アッツ島玉砕」のあの暗く逼迫したタッチ。
あれが初期の「乳白色」の裸婦を描いたFOUJITAとホントに同一人物なのか?
 
映画は疎開先の農村で終わる。戦争はまだ終わってない。
 
その後、逃げるように日本を去って、やがては日本国籍を捨てるようになるとは、本人も知らぬことだったろう。
 
80歳で藤田が自分で録音したテープを「youtube」で聴くことができる。
彼は、とにかく、いろんなものを通過しながら、描き続けた。
裸婦が、道化師が、狂騒が、少女が、戦争が、信仰が、キリストが、
しかしそれらは主役では決してないのだと思う。
 
やはり主役は「FOUJITA」なのだ。
 
以上感想にもならぬ感想を。
 
その後で、「ゴーギャン」の映画も観た。
 
 

#470 「FOUJITAの夢」

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FOUJITAの夢
 
家族旅行で京都に行った。
ほんとたまたま、その旅行の合間の朝のあき時間がちょっとだけあったので、
京都近代美術館で展開されている、「没後50年 藤田嗣治展」最終日に行くことができた。
 
実は自分で言っといて忘れてたのだけど、最終日であり、ギリギリでまにあったわけである。
 
開館早々に行ったけど、すでに行列ができていた。
駆け足で、1時間の観覧ではあったけど、ほんとに行くことができてよかった。
 
彼に関しては、朝日新聞で「乳白色」の記事を読んで、それから関心を持っただけのにわかファンではあったが、
明治から昭和を駆け抜けた1人の芸術家のいろんな側面をうわべだけではあるが知ることができたのは収穫だった。
同時期の画家としての、シャガールであるとかピカソの作品も一緒に展示されていたが、やはり自分はシャガール好きなんだなと思いなおすこともできたし。
 
芸術は心の中のなにかある、自分でも普段は覗けない場所の扉を開けてくれる。
それは結構見てる本人にとってもしんどい行為だけど、それでも行くのはやはり、そこに「wonder」があるからなんだろう。
 
午後は、寒い寒い京都の「東福寺」あたりを、重森三玲の庭を求めてさすらって、
身も心も冷え切って、低体温症かいなと思ったけど、
あたたかな伊勢丹での「いわさきちひろ展」で復活して、
新しくなった伊丹空港で、やっと暖かな珈琲にありつき、
そこで藤田さんにオマージュを捧げたと言っては偉そうだけど、帰りの飛行機の中でおもむろにiPadに描き始めたわけです。
 
満員の飛行機では、自分のだけ家族と別席で、
隣は見知らぬご婦人が座っているにもかかわらず、iPadで描いたわけで、
女の子の顔を一心不乱に描く変なおっさんというわけで、なんか隣の御婦人もあまりいい気持ちではなかったと思われます。
それを帰宅してから、夜中に完成させたのでした。
 
藤田さんならもっと白を基調に描くよな、とは、後で思ったりしたけどね・・。
藤田はなんでFOUJITAと書くんだろう?
それすらもわかっていないんだよね。
調べるとオダギリジョー主演の映画まであったりするので、なんとかそこまではみようとは思ったりしていますけどね。
 
タイトルは「FOUJITAの夢」であります。

#469 「しめじとトマトの炊き込みご飯 Staub」(2018/12/11)

 
今週の食事当番は月曜と火曜。
てなわけで、頂いてた新米で炊き込みごはんを作ることにした。
ちょうど、ぶっといしめじ(京都亀岡)が冷蔵庫にあったので、しめじとミニトマトで作ることにする。
冷蔵庫のごぼうの漬物も入れて、その分、塩と醤油は加減しましたよ。
水加減はちょっと今回180cc/1合にしたんだけど、トマトときのこの水分が出たので多すぎたかな?
次回はその辺を配慮してみよう。
でも、ちゃんとおこげもできて、むちゃおいしいゴハンで、
2合作ったのだけれど、家族三人ほぼカンショクでした。
牛肉とネギの炒め煮と、中華スープとでうちごはん。
素晴らしいね、いつもながら惚れちゃうよ、ストゥブ。
みなさんがストゥブ愛を語られるのもわかる気がします。
普段の晩御飯なので、ほんと限られた時間でしか調理できないけど、瞬発力と経験とあとは、食い意地とかそういったものが、「炊事」の本質なのかもしれないなあなどと。
まあ、うまいものを自分で作ってくれたら、日々蓄積してる披露とか、ストレスとか、いろんなマイナスも少しは減っていくというものだよねえ。
 

#468 今日は相棒と6曲と長めのjazz sessionです。

 
今日はトランペットの相棒と2人でワインバーでライブをする。
そんな大層なものではないのだけれど、ワインバー「グラン・クリュ」のオーナーのご厚意で、30分ほど、プロのピアニストがバックをつとめてくださって、我々二人が、サックスとトランペットでjazzをplayするというものだ。
 
彼と知り合って、来月で1年になる。
1年なのに果てしなく長い気もして短い気もする。
でも1年前には彼との関係性はnothingだったんだから、遠くまで来たんだろう。
彼は実は転勤族なので、その関係性が、彼が去ってたとえ消滅しても、残るものはきっとある。
そう思いながら練習しても、
・・・オイラの楽器から出る音色は相変わらずしょぼいのだけれど。
 
その前に、本業の仕事もある。
夜に、某製薬会社で1時間くらい社内講師もするのだ。
 
今日は大学のセンセイがバイトなので、ひさびさゆっくり。
アサからコーヒーを飲んで、練習をして、またスケッチを1枚描いた(上のです)。
 
自由になるということはどういうことなのかといつも思っている。
どういう状態なったらおれはハッピーなのかって。
チェロ奏者のヨーヨーマさんのドキュメンタリー映画を何回かに分けて観た。
シルクロードプロジェクトの映画だ。
みんな音楽という自由を手にいれるために、いろんな不自由をうちに秘めながら弾いていた。そんな映画だった。だけど最終的に解き放たれた音楽は何よりも素晴らしかった。
そこまでどうやったら到達できるのかとか思いながら、いつもよちよち歩きを繰り返しているような気がする。
 
戦時中に拘束されて獄中で死んだ「尹東柱ユン・ドンジュ)」さんの新聞記事を読む。
彼は治安維持法違反の疑いで逮捕され、福岡刑務所で獄死したとのことだ。
彼の詩が掲載されていて、中原中也のようにシンプルでココロを射った。
 
失(な)くしてしまいました。/何をどこで失くしたのかわからないまま (略) 石と石と石が 次から次へ果てしなくつづき/道は石垣を縫い込んで延びていきます。 (略) わたしが生きているのは、ただ、/失くしたものを探しだすためなのです。
 
「道」より

 

いつも同じようなことを書くけど、一つ一つ解決していくしかないだ。
それがよちよち歩きでも。
 
なくしたものはかつて存在したものなのか?
なくしたものだって、生まれる前からあったわけではないのだったら、今から見つけて、涙しても決して遅いわけではないんじゃないか。
 
だから、今夜一緒にやるトランペットの相棒とも、(オレは信じてないけど)1年以上前のどっかの時空で触れ合ってたのかもしれないじゃないか?
 
自由になるためには、自由に音を奏でるためには、、、
 
・・まだまだ途上だ。
 
 
空と風と星の詩人~尹東柱(ユン・ドンジュ)の生涯~ [DVD]

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#467 ひとりごとです。

BORN TO RUN

 
器用そうに見えるかもしれない。
何でも出来るように見えるかもしれない。
でも実は愚鈍で亀のような速さでしか進めないでいる。
それなのにいろいろ手を広げるので困った事態に陥る。
 
サックスからはじめて、バイオリン、そしてドラムに、piano。
金に任せてマーティンのアコギも買った。
 
去年はまだ色付きの絵を描いてなかった。
今年からは色を塗る術やら、iPadを用いて作成することも思いついた。
それで、「医師会の趣味の美術展」に、はじめて出品することにした。
なんと愛媛県立美術館の南館にただで展示してくれるのだ。
12/5-9の短い期間ではあるけれど。
 
コツコツ作っていって、A4サイズで16枚のものをプリントアウトして、今日、業者の方に託した。
なにもないところから絵が生まれるという行為は、音楽を紡ぐことにもにている。
 
だからなのか、
いやいや、自分の周りにいる相棒たちが自分を「気持ちよくさせてくれ」すぎるせいか、
彼やら彼女やらに、自分の作ったメロディや歌詞を歌ってほしいと思って、作詞作曲まで始めた。
1曲めは「Akiko Song」というものだった。
2曲目は、人生流され流れてこの街にたどり着いただけのかもしれないけど、ここで生きてくことを改めて決意したというような内容の「椰子の実song」というレゲエだった。
パワハラのごとく、自分の病院の忘年会で、それらの楽曲をギターを弾いて自演したりもした。
きのうはその3曲めを「神戸ガレージカフェ」でお披露目した。
 
やっぱり嬉しかった。
 
昨日、実は音楽の相棒と喧嘩した。
で、夢で、
彼女と酔っ払って、また二人で、居酒屋でフィドル(バイオリン)をおたけびをあげながら弾いてた。
とても気持ちよかった。幸せだった。
だから、また彼女とやりたいと思った。
至らない男だけど、多分また付き合ってもらえると思うので、・・・それがわかってうれしかった。
だって、この世の中でそうそう相棒は見つからんからね。
 
とにもかくにも、着実に一歩一歩歩んでいくことでしか、千歩先にはたどりつけないのだと思う。
だからその一歩を大事にして、例えば三歩飛ぼうなどとは思わないようにしている。
 
病院に来て、さっき、年末の仕事であるBONUSの作成をほぼ終えることができた。
この作業を終えると、なんだか、どっと疲れるんだけど、そういえばいつも疲れ喘ぎながらも、何かを探しているのかな。
 
今宵は医師会の講演会で座長をさせていただく。
日赤のK先生の「CKD(慢性腎臓病)ガイドライン2018」の話だ。
 
そして明後日の12/1には、「カホン」をプロの先生方が支えてくれる中、叩きます。
島村楽器の年末の音楽発表会。
 
「Day Dream Believer」、自分にとってはまさにキヨシローの歌だ。
 
そして、親父が亡くなって骨にして帰りみちに立ち寄った倉敷の大原美術館で、ふと流れてきて脳内に住み着いた曲でもある。
だから、この歌は二人の偉大な亡骸、キヨシローと自分の親父にかぶさって脳内再生され続けている。
 
その楽曲を叩く。
 
苦しい苦しい。
でも楽しい、そんな感じかな。
 
スプリングスティーンが歌ってた、まさにborn to runな感じです。