だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#476 しんすけsキッチンmemo「担々鍋」

(豚は最後に投入したのでまだですねえ^^;)
 
仕事終えて帰り、
今宵は、贅沢にカニと豚しゃぶしゃぶ肉を入れての、「担々鍋」。
 
坦々スープは、豆板醤とにんにくのみじん切りとを炒めて、オイスターソースを加えて、鶏ガラスープで伸ばして、豆乳を加えるというもの。そこに黒すりゴマをどんどん加えてゆく。
ひりひりする辛さではないが体が温まる感じ。
締めは、雑炊というより、もやしと肉とスープの絡まったものに卵ご飯を加えた和え物という感じかな。
美味しくいただきましたよ。
 

(締めの混ぜご飯?)
 
片付け終わると、このシンプル鍋でさえ、21:20。
もうなんかする気は起きんよねえ。
ホント世の中の主婦の方、ご苦労さまです。
それでも気合い入れて、なんとかバイオリンを練習して、バタンキュウです。
 
昔は夜が寝れんとかいう時期もあったなあ。
睡眠薬にお酒というあまりよろしくない時期もあった。
今はただただ布団の中が恋しい。
しんどいときはとにかく寝ることだ。電池が切れたみたいに寝る。
ぷつん。

#475 久々に鯛をさばく(2019/01/22)

患者さんが、鯛と車海老をくださった。
昔、今治に住んでた頃は、港町のせいか時々鯛をくださる方がいたけど、ホント久しぶりだった。
なので、結構気張りつつ帰宅して、そのあしで久々におろしてみる。
キッチンばさみと出刃を駆使して、1時間ほどでなんとか3枚に。
いやあやればできるじゃん!
ゲゲゲの鬼太郎」1話だけ観て、
家族が帰ってくる頃を見計らって、
活きてピクピクの車海老の皮をむいて、お刺身でまずいただく。
続いて、鯛の身の方は、皮をバーナーで炙って、炙り刺し身でいただく。
鯛の肝は塩と生姜で臭みを抜いて、軽くごま油で焼いて珍味風おつまみでいただく。
残りの半身はさらに半分にして、オリーブオイルを身にかけながら炒めて、チーズを乗っけて、ソテーでいただく。うまし。
最後は皮を外した普通の刺し身も。
付け合せは、春菊とりんごの白あえ風サラダと、カズノコミニトマトおかか和え。
アラは冷凍したけど、ほぼ完食。
しめは、その前日作った「巨大肉団子と白菜のナベ」の残り出汁で作った雑炊。これもうまうま。
ありがとうございました。ホント苦労しましたけど、美味しくいただきました。
またちょっとさばいてみようかな、なんて、ちょっとだけうぬぼれた心も抱いてしまいましたよ^^;
おばかさんだね〜。

#474 The Shape of Water(2017)

(観た翌日の今日描いた!)
 
念願の「The Shape of Water」(2017)を観ることができた。
このレトロ感とファンタジーの融合が素晴らしい。
 
私事だけど、ちょっと体調を壊してから、慎重に一歩ずつ歩んでいる。
 
そして、振り返りの期間なんだよとか自分に言い聞かせて、HDDレコーダーに溜め込んだ映画とかアニメを消化している。地道にかけた時間と手間しか、自分には還ってこないんだよ。
 
雨降る街が印象的だったあの映画の続編「ブレードランナー2049」(2017)も、かなりの期待を込めて再生してみたけど、あれは完全な失敗作だった。
あれならハリソン・フォードの出る意味などなかった。
冷酷に殺される、無意味に再生されたレプリカント・レイチェル(前作のヒロイン)も無意味だった。
 
でもこの映画は違った。
 
雨と水と、半魚人とろうあと、宇宙計画と謀略とソ連アメリカと、いろんなカオスを打ち込んだ映画は奇跡的に美しかった。
上品とも言えないセックスと、差別的な性嗜好やら、惜しげもなく流される血が、最後に水の中で「昇華」されていくシーンを、何も言えずに観客は見守るしかないのだ。
これはアリエルの物語ではないけど、やっぱり彼女にもオマージュが捧げられた映画なんだろう。
 
監督は半魚人(?)の鱗を、
葛飾北斎の「大きな鯉」の模様からとったのだそうだ。
 
そういえば、北斎の娘・お栄さんが主人公のアニメ「百日紅さるすべり)」(2015)も良かったなあ。
あの映画の中にうごめく、江戸の世の中にチラチラ登場する生と性と死みたいなものの尾っぽを、俺たちはまだかろうじて共有することができることがちょっとうれしかったりもした。
 
だから「ゲゲゲの鬼太郎」が言ってるけど、見えてる世界だけが確かに全てじゃないんだろう。
 
久々にいい映画見たなあ。
ラ・ラ・ランド」以来かなあ。
 
というわけで、みんなが褒めちぎる「ボヘミアン・ラプソディー」にはなかなか行けそうにない。
 
 
 

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#473 師走

外来終わって、透析業務だけだけど、
毎日こうやって働いていると、今日が何曜日なのか全くわからないようになる。
今日は月曜日、大晦日で明日は休みということを再認識する。
 
さて、そんなこんなで12月も終わろうとしているけど、
12月の慌ただしい時間の流れの中で「ジョン・レノン」のことを思い出すこともめっきり減ってしまった。
ジョンが撃たれたあの日、自分は浪人生で、
ジョンの死んだ翌年にこの愛媛県で、やっと大学に入学することができたのだった。
あの寒い重信の医学部の講堂のがらんどうの廊下を今でも思い出す。
自分はジョンレノン追悼本を読みながら、面接の待ち時間を過ごしていたのだった。
 
今朝、絵を描いていたら、予期しなかったのに、なんだか清志郎になってしまった。
そうするつもりは全くなかったのに、あごひげ描いてたら、
なんか・・これは誰だ?そうだあの人だ、と、あの清志郎さんになっちゃったんですよね。
 
そういえば闘病生活の末にあの世に行った美咲は何してるだろうか。
まあ、死んだら何も残りゃしないし、あの世なんて有りはしないのだけれど。
自分だけ先に行っちゃってずるいよなと思うけど、でもね、残されたものたちが想う限りは、彼女が生きているんだろう。
時々そうやって、リアルワールドではあったこともない彼女のことを思い出すことができることは、多分幸せなんだと思う。
彼女の、舌っ足らずのあの声も今だって目を閉じれば聞こえてくる。
 
松山市民会館であった、竹原ピストルのコンサートの帰りに、クラフトビールの店「BOKKE」に行った。
そこで竹原ピストルの歌である男と応酬をした。
その男と、後日、銀天街でばったり会った。
音楽セッション(バイオリン)の日だったので、来ない?と声をかけたらほんとに来た。
それから盛り上がって、AKIKOと3人で付かず離れずでなんかやってる。
彼の名前は、ホントの話だけど、可不可(カフカ)と言う。まじだよ。
 
人の世の中ってほんと不思議なものだ。
つい先日、初めて行ったワイズカフェの忘年会で、また新しい知り合いを得た。
彼女たちと、ボーカルとかギターとかでなんか絡んだりしたいなあと、
また新しい曲かけんかなあとか、ギターもっとうまくひけんかなあとか、新しい力やら妄想が頭をもたげきた。
 
今年の初め(?)は、デビルマンNetflixアニメが放映された。
そのためにだけ無料期間のNetflixに1Mだけ入ってみたけ。うちのめされた。
牧村美樹ちゃんは、悪魔と化した近所の方たちに惨殺されて、やはりその事実を変えることはできなかった。
悪魔の力を持っても、不動明牧村美樹を救うことなどできなかったんだ。
 
そうやってみると、自分の世界観は、
同級生の床屋で読みふけった少年マガジンの「デビルマン」連載の、
あの小学生〜中学生の頃から何一つ変わってないことに驚かされる。
 
思いつくまま書いてみたけど、
 
それでもこうやっていろんな出会いがあるから、
そして人は忘れていくことができるから、
こうやって先に向いて進むことができるんだろう。
 
今までであった多くの人たちと、今から出会う更に多くの人たちに感謝を。
 
僕らはまだまだ旅してゆく(おおこれ歌のフレーズになるなあ^^;)。

#472 誕生日は「ル・トワ・ルージュ」で(2018/12/23)。

 
最近は、誕生日の時、いつもここのフレンチのフルコースをご馳走になっている。
(クリスマスメニューしかこの時期はないので、いつもにもまして豪華な感じなのかな?)
 
実は、結構昔からお世話になっているのだけれど、今だにワインの事は分からないので、マダムにお任せしている。
マダムはソムリエでもあるのだ(腰のところに燦然と輝くバッチ!)。
(たしかアラ還から一念発起して取られたという、我々の尊敬すべき先輩でもあるわけです。
さっきブログ見たら英会話も始められているらしく、
まさにイングリッシュコミニュケーションで、この夏に壊滅状態になった自分にとっては、先を照らしてくれる灯台みたいな人かも・・でした。)
 
今回も素敵なディナーをフルコースでいただき、家族でワインをかばかば飲んで、お腹いっぱい満足でありました。
 
マダムの装いがとても素敵だったので、「ぜひ絵を描かせてください」と、写真を撮らせていただいて、
やっと稚拙ではありますが、一枚の絵にすることができました。
 
本当にいつもありがとうございます。
今後ともおいしい食事とワインととびっきりのお菓子をお願いしますね\(^o^)/
 
【追記】
「ねこまや」ゆうこさんにいただいたノートが、また自分の絵描きに拍車をいい感じでかけてくれている。
デジタルの世界の探求もせんといかんのに、
でも今はとにかく、毎日アナログで手を動かしていたいのだろう。
 

 

#471 映画「FOUJITA」(2015)

2018/12/20


11/14公開:映画『FOUJITA』予告編

 
小栗康平監督の映画「FOUJITA」(2015)を観る。
amazonでレンタルして、iPadで。便利な時代だ。
 
藤田嗣治のフランスよみが「FOUJITA」だそうな。
藤田は1920年代のモンパルナスでは、時代の寵児としてもてはやされ、むこうでは「FOUFOU(フーフー)」と呼ばれていたのだそうだ。
 
映画の中で、
「作品だけではなくフジタという名前も知ってもらわないと意味がないので、
僕は「フーフー(お調子者)」という名前で呼ばれて全然OKですよ」
みたいなことを、藤田役のオダギリジョーさんが言われていた。
 
ここからは私事、
 
確かに、絵は何かを訴え、それにタイトルが付くとまた別の意味を持ってくる。
しかし、そこに「描いた人」の顔がハマることも、ある意味では「良」である意味では「不可」だったりする。
でも、自分も絵を描くものの端くれとして、
「絵」を描いた「自分」も含めての絵だとやはり心の何処かで思っているので、自分を「求めて」ほしいなあなどと、下賤な考えを抱いたりする。
 
日本に帰ってきた藤田は、大東亜戦争の真っ只中、
陸軍の命を受けて、戦争画を描く。
アッツ島玉砕」のあの暗く逼迫したタッチ。
あれが初期の「乳白色」の裸婦を描いたFOUJITAとホントに同一人物なのか?
 
映画は疎開先の農村で終わる。戦争はまだ終わってない。
 
その後、逃げるように日本を去って、やがては日本国籍を捨てるようになるとは、本人も知らぬことだったろう。
 
80歳で藤田が自分で録音したテープを「youtube」で聴くことができる。
彼は、とにかく、いろんなものを通過しながら、描き続けた。
裸婦が、道化師が、狂騒が、少女が、戦争が、信仰が、キリストが、
しかしそれらは主役では決してないのだと思う。
 
やはり主役は「FOUJITA」なのだ。
 
以上感想にもならぬ感想を。
 
その後で、「ゴーギャン」の映画も観た。
 
 

#470 「FOUJITAの夢」

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FOUJITAの夢
 
家族旅行で京都に行った。
ほんとたまたま、その旅行の合間の朝のあき時間がちょっとだけあったので、
京都近代美術館で展開されている、「没後50年 藤田嗣治展」最終日に行くことができた。
 
実は自分で言っといて忘れてたのだけど、最終日であり、ギリギリでまにあったわけである。
 
開館早々に行ったけど、すでに行列ができていた。
駆け足で、1時間の観覧ではあったけど、ほんとに行くことができてよかった。
 
彼に関しては、朝日新聞で「乳白色」の記事を読んで、それから関心を持っただけのにわかファンではあったが、
明治から昭和を駆け抜けた1人の芸術家のいろんな側面をうわべだけではあるが知ることができたのは収穫だった。
同時期の画家としての、シャガールであるとかピカソの作品も一緒に展示されていたが、やはり自分はシャガール好きなんだなと思いなおすこともできたし。
 
芸術は心の中のなにかある、自分でも普段は覗けない場所の扉を開けてくれる。
それは結構見てる本人にとってもしんどい行為だけど、それでも行くのはやはり、そこに「wonder」があるからなんだろう。
 
午後は、寒い寒い京都の「東福寺」あたりを、重森三玲の庭を求めてさすらって、
身も心も冷え切って、低体温症かいなと思ったけど、
あたたかな伊勢丹での「いわさきちひろ展」で復活して、
新しくなった伊丹空港で、やっと暖かな珈琲にありつき、
そこで藤田さんにオマージュを捧げたと言っては偉そうだけど、帰りの飛行機の中でおもむろにiPadに描き始めたわけです。
 
満員の飛行機では、自分のだけ家族と別席で、
隣は見知らぬご婦人が座っているにもかかわらず、iPadで描いたわけで、
女の子の顔を一心不乱に描く変なおっさんというわけで、なんか隣の御婦人もあまりいい気持ちではなかったと思われます。
それを帰宅してから、夜中に完成させたのでした。
 
藤田さんならもっと白を基調に描くよな、とは、後で思ったりしたけどね・・。
藤田はなんでFOUJITAと書くんだろう?
それすらもわかっていないんだよね。
調べるとオダギリジョー主演の映画まであったりするので、なんとかそこまではみようとは思ったりしていますけどね。
 
タイトルは「FOUJITAの夢」であります。