だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#504 ところでairpodsを買いました。

airpodsを買ってからまた散歩するようになった。
 
耳から落ちんのかなという懸念があったけど、歩いているぶんには結構大丈夫。
70cmくらいの段差を飛んでみたら、右が落ちた。
でもairpods落ちたという事実よりも、
飛んで着地したあと、腰がジーンとなって、こっちのほうがやばかったので、二度とこんな若気の至りのような真似はすまいとそちらがメインでした。
 
歩くといっても最低1日5000歩を確保しようと言う非常にちんけなものではあるし、それさえもなかなか達成できないのではあるけれど。
 
ずっと5年位前から、朝、左腕が肩の付け根からちぎれそうな感覚で目が覚める。
 
体をひねったりいろいろして、肩を動かして、置き場のない体をジタバタさせて、ちょっとマシになってやっと起き出す。
一応上がることも上がるし、回旋も可能だ。
でも痛みが走る。
まあ動くし、ギターのコードも押さえられるし、サックスもふける。
だけどやっぱりどっかの組織が断裂してるんだろうね。
素人判断ではありますが。
でも医者仲間にこないだ飲み会で聞くと、みなさん大同小異おんなじような経験があるらしい。
リハビリしかないですよと言われた。
ほんと嫌だねトシとるって。
パソコンは買い替えたらいいけど、人間は交換不能だからね。
 
なわけで、散歩写真でなかなかいい感じのが撮れたよ。
 
 
 

#503 鰹節削り機とうちごはん② 2019/06/04

 
で、バイオリンの練習を終えてから、「エミフル」で硬い豆腐を買って帰って、今日はゴーヤがあるのでチャンプルにすることに。
いただいたたけのこも入れたり、キノコ類も入れたりして、ちょっと豪華なチャンプルです。
今回はネットを参考にして、かつおだし風味でやってみました。
そして当然リベンジの鰹節削り器での再トライです。
今回は粉ではなく、まあ板とは言わんけど、ちょっと面が出てきた面が出てきたよ。
これは刃先の微調整と、それと尾っぽを先頭に持って削るというやり方に変更したのと、2つの変更が奏功したのだと思います。
今削っているやつはもうけっこう小さいので、もう一個残っている大きなやつでまたトライしようと思った次第であります。
・・というわけで、完食のうちごはんでありました。

#502 鰹節削り機とうちごはん① 2019/06/03

 
仕事終わって帰ってから作った。うちごはんであります。
 
・キッシュ(カポナータ 季節の野菜のトマト煮込み)(冷凍)
・たけのこのおかか和え(市販の鰹節かけました)
男前豆腐 おかかどっぷりかけ(自分で削りました、粉でしたけど)
・ちくわきゅうり(螺旋状に切り込みの入ったちくわ購入したら、そこからきゅうり入れたら裂けちゃったよ!)
ビアードパパのシュークリーム(患者さんからのいただきもの)
 
家に鰹節削り機が眠っていた。
 
それを引っ張り出して、その上に置かれたかなり乾燥した「枯れ節」を削ってみる。
粉になる。
削り器の刃をとんとん叩いて調整してみた。
スペースを開けすぎると、かつおが突っかかって進まない。
また微調整。おお、いい感じ。でも粉。
調べると乾燥し過ぎのは粉になるみたい。方向もあるみたい。
でも豆腐にたっぷりふりかけて冷奴で食べると無茶うまい。
 
もうちょっと研究してみます。
 
昔は、鰹節って、お手伝いで削らされたよなあ。
うちでは「けっとけっと」といって、子供の力ではかなりの労力が必要だった気がする。
でも子供の記憶なんてあてにならない。
豆腐だって、入れ物持って八百屋に買いに行って、水槽から入れてもらってたんだよなあ。
 
世界はどこに向かってるんだろうと、老人の繰り言を。

#501 「mikan song(あるいは不在の歌)」という歌を作ってます。

ヒストリー・オブ・バイオレンス [DVD]

これを書いてから帰ろうと思ったので書いておく。
昨日はデビット・クローネンバーグ監督の、確か2005年の作品だったかな、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」を観た。
いっけん静かだけど、狂気と暴力に溢れた映画だった。
ヴィゴ・モーテンセンと、もう一人の女優さん(マリア・ペロさんでした)の演技が白眉だった。
 
人間は一つのキャラとしてずっと生きられるわけではない。カメレオンのように何度も何度も変わり、だけど、変わったからといって、その時に過去は決して精算されるものではないのだろう。自分だってそうだ。隠したい過去がいくらだってあるし、叩けば埃なんていくらでも出てくる 。どこまで赦せるかということなんだろう。でも許せないし、そんなに長い間待ったり我慢することは今の人間社会では無理なんだろうね。
 
2月に歌の輪郭を書き始めた。
 
ラブソングになるはずだったのに、最終的にはなんだか君の不在の歌になってしまった。
冬の道をどこまでも二人で、コートのポケットに一緒に手を突っ込んで歩いていく、そんな光景からスタートしたのに、いつのまにか彼女のいない部屋で、男は一人で住んでいるのだった。彼女は消えちゃったのか、死んじゃったのか、殺したのか?わからない。
 
そこからスタートして、昨日はウスぼんやりとしながらギターを手にとって作曲に着手した。いつものように iPad のアプリ「TOUCH NOTATION」で作り始めて、なんとか骨格ができた。今、頭は崩壊寸前だだからもうやめにするけど、その原型の詩を乗っけときます。
 
「mikan song(あるいは不在の歌)」
 
冬の短い日射しが射し込む部屋
炬燵の上に置かれた
皮を剥きかけのみかん
今頃のはね 薄皮ごと食べれるんだけどね
私はこうやって吐き出すのが好き
だからわかる
重ねられた皮の形ですぐにわかる
 
暖房の効きすぎた部屋 君の匂い
みかん
みかん
君の不在が oh
 
店頭に置かれたpianoで
君はシューベルトを弾いた
みんなが足を止めて みんなが耳を傾けて
モノゴトは左から右へ流れてゆくもの
でもね、リズムが先なの、メロディじゃなくってね
強いて言うならそれが生きてくコツなのかもしれない 
わたしにとっては
 
音は流れて 涙も流れて
音は流れて 涙も枯れて
 
黙ったpianoの上 薄いホコリを指でなぞる
みかん
みかん
君の不在が ah
 
焚き火の中
小枝が爆ぜる
乾いた空気の中 
煙が登ってく
 
みかん
みかん
 
君のpianoが燃える
君の指がからまる
 
みかん
みかん
みかん

#500 54歳からのピアノ その13 島村楽器の発表会で弾く。

 
昨日は島村楽器の夏のコンサートだった。
 
大型ショッピングモール「エミフル」の中の、まぁあまり音響設備の整っているとはいえない小さなホールで行われた。
11時半スタートで4時ぐらいまであったのかな。
結構な人数(22人)、まさに子供から大人まで(年齢層でいうと自分もかなり上かな?)。
後半のフルバンド形式はやっぱりかっこよかったけど、上手い下手に関係なく、各々が素晴らしかった。
 
自分もピアノとカホンで出ましたよ。
ピアノをまたまた失敗する夢を見て当日は3時前に起きて、ほんとに自分って「コモノ」だなぁと確信しましたけどね。
 
そんなピアノ(+カホン)の発表会を終えて、本当に脱力でありますよ。
 
ピアノの発表会では、「ブタのブルース」というのと、「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」の二曲を弾いた。
そりゃあミスタッチもあったけど、なんとか止まらずに弾けたということだけが今回の収穫だ。
・・なんてことを言っちゃいけないな。
 
止まらずに弾けたってことは十分な収穫だよ、今までは本当に完璧に止まってフリーズしてたもんな。
自分の身の丈に合う楽曲で今回は臨んだこともあるし。
でも、まだまだ音は生きてない。
楽曲が歌い出すに至ってないことは痛感している。
 
発表会が近づいてくると、もうこれが終わったらピアノをやめようという風に思う。
でも今回の発表会が終わって、小さい子供さんの華麗なピアノを聞いていて、もうちょっとは頑張ろうと思った。
そりゃそりゃいくら頑張っても、ショパンモーツァルトとか、「ピアノの森」のカイイチノセとか、そんな華麗なピアノを弾けるわけではないだろう。
でもピアノと繋がっている人生も捨てたもんじゃないなと、そう思えるだけでいいのではないか、そんなことを思っています。
ホント負け惜しみじゃないよ。
 
でも、多分また挫けるだろうけどね。何度も何度もね。
 
音楽に関わる全ての人や物たち、
このコンサートを企画運営してくれた色んな方々、
そして自分を導いてくださったpianoのI先生・カホンのK先生に、ただただ感謝です。

#499 おはよう世界

おはよう世界!
 
しかし毎日毎日よくあんなにも大量のうんこが出るもんだな・・
トイレに流されてゆく一物たちを眺めながら今思った。
どんなに悲しかったり、悔しかったり、ハッピーだったりしても、うんこは出るし腹は減るんだよね。
 
面白いね生きてるって。
 
そして、人間なんてほんとにしょうもないことしか普段は考えてないよね。
人間が、ときに、哲学的な存在になれるのは、多分作ったというか作り上げたものの中にしかないのかもしれないね。
本能で生きてるときは、ネアンデルタールに毛が生えたくらいのものだろうね。
だから後世に残すために、「書物」(そしてそれを拡散する印刷技術か?)と言うのを発明したのが、多分人類の分岐点だったような気がするよ。
書物がなかったら、いまでもやっぱりネアンデルタール止まりかな。
そして書物とともに、音楽(楽譜)という素晴らしい財産も人類は持っている。
 
自分の人生なんて、
例えば記載されとすれば、
生まれて医者になって病院を作ってやめて死ぬ・・それだけの記載だろう。
多分99%の人はそんなもんだろうな。
そして自分には必要ないけど、
ありがたいのかありがたくないのかわからない戒名なるものをプレゼントされて、
墓石に刻まれて、なんてね。
 
でも逆に言うと、それだから生きてるうちに何をやってもいいんじゃないかな、
なにもやらんでも一緒だっていう人もいるだろうけどそれはその人の生き方、
 
というまんざらでもない気分の朝。

#498 54歳からのピアノ その12  「ピアノの森」と、ピアノとカホンの発表会に向けて

TVアニメ「ピアノの森」 Piano Best Collection II

TVアニメ「ピアノの森」 Piano Best Collection I

TVアニメ「ピアノの森」 Piano Best Collection I

 

 

土曜日は、診療終了後の午後3時から、スタッフと一緒に病院の周りの溝掃除とか草引きをした。
1年に1回の恒例行事で、薬局の先生も出てきて一緒にやった。
いやー、慣れないことをすると体中がぐったりするね。
その後雑用して帰宅する。
 
寝るまでの1時間で、録りためていたアニメ「ピアノの森」を見始める。
始めると止まらないよね、やっぱり。
アニメは第2部で、劇中では「ショパン・コンクール」が進んでゆき、登場人物たちのドラマが錯綜する。
カイくん、雨宮、パン・ウェイ、シム、アダムスキー、阿字野壮介、ジャンじい・・。
 
ーーーー
 
音楽も、絵も、天は悲しい事に「人」を選んで才能を与える。
選ばれないオレたちは、だからいくら努力したって、天才にはかなわない。
たとえ、天才が1%のひらめきと99%の努力だったとしても、所詮無理な話だ。
 
でも、それだから芸術を楽しめないのかというと、そんなわけでもない。
それなりに音楽やスケッチの方から、自分に微笑みかけてくれる瞬間もある。
だからやめられないのだ。
天才たちが、自分の音や描線を楽しんでいる、その時のそエクスタシーの瞬間にちょっとでも近づきたくて、自分もトライするのだ。
それは無謀なことなのかな?
意味のないことなのかな?
 
ーーー
 
さて、悲しい現実を直視してみる、自分のピアノの話である。
 
進歩面でいうと一番少ないのかもしれない「piano」なんだけど、
やはりトライせんことにはねということで、
島村楽器」の発表会で、拙い演奏を披露することにした。
「豚のブルース」と「Fly me to the moon」だ。
途中で止まってもいい、でもそこでフリーズしないで、立て直して次にゆくことが今の精一杯の目標だ。
一ノ瀬海くんみたいに、自分の「音楽」と呼ぶには程遠いけど、それが今の自分の精一杯だ。
 
これも粛々とやってる「カホン」では、
山本リンダさんの「どうにもとまらない」を先生と一緒にプレイする。
リズム楽器ってやつは、確かに太古からあるだけあって、リズムがハマるとあれはホント「エクスタシー」だね。
音楽を初めて、ビートになかなか乗れずに、悶々としていた自分は、ある日楽器店で、ドラムの先生の背中に手をかけていったのだ。
「リズムが学びたいんです」と。
その時の自分だけは褒めてやってもいいかな^^;