だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#511 某日。(キャンディーズの続きですかね?)

キャンディーズ・ビーツ

 
某日。
 
所要にて、久々に長距離、クルマを走らせる。
道すがらスーちゃん(田中好子さん)が死んだ時に、多分中古で買った、
PSYSの松浦さんがリミックスした「キャンディーズビーツ」という、キャンディーズのリミックスCDを聴きながら走った。
 
色んなことを思い出した。
 
先日、焼肉「吉」で隣り合わせたおっちゃんとキャンディーズの話をした。
どうしてかと言うと、伊藤蘭さんが41年ぶりに歌手として復活するするというニュースを、ネットとか新聞で知ったからだった。
話しているとどんどん熱くなって、高校時代の思い出を、「かめマッコリ」を飲みながら語り始めていた。
 
あの頃はキャンディーズよりもピンクレディーの方が人気があったような気がする。
ザ・ベストテン」でキャンディーズを1位にしようと、クラスのお調子者が投票みたいなのをしろと強制していたような気がする。
もちろんみんなしたんだと思う。
そのせいもあってか、キャンディーズは「微笑み返し」という曲でベスト1を獲得したのだった。多分ね。
 
あれからもう40年以上が過ぎたと言うのに、メディアの中にいるランちゃんは、あの時の蘭ちゃんと変わってないような気もする。
 
いや、ホントは色んなことが変わったのだろう。そして俺も変わってしまった。
あの頃、高校生だった自分が今の自分のことを知ったらどう思うだろう。
いや、そんなことはどうでもいいことだ。
一瞬でもそんなしょうもないことを思う自分が情けないだけの話だ。
 
きっと、あの頃感じたときめきに対しては、今も同じようにときめいて感じることができるだろう、
ちょっとくたびれてはいるけれど。
 
だから欲張りと言われてもまた手を伸ばす。
 
最近、そういうわけで、まだ朝のpianoも続いており、
少しずつですけど、ギターの練習も加わりました。
 
 
 
 
 

#510 キャンディーズが歌ってるよ。ランちゃんが歌ってるよ。

My Bouquet(特典なし)

 
光と影
光と影
光と影がいつもある。
影の向こうには光があり、光の向こうには影がある。
俺はどちらかを見てどちらかを見ない。俺はどちらかを見てどちらかを見ない。
でもそんなときはいつもしっぺ返しを食らうんだ。
その時もう一つの自分を見る。その自分はいい顔してる時もあるし、どうしようもなく情けない顔している時もある。
 
長い時間を生きてきた。
もうこれ以上何をどうしろっていうんだ。
もう十分じゃないかってもう1人の自分が言う。
まだまだだと思ってる自分がいる。
朝から病院に呼ばれてやってきた。
 
外来でいろんな患者さんの話を聞いて、その場その場の判断で仕事をして、いつの間にか1日が終わる。
その繰り返しに疲れている?満足してる?
ちんけな言葉で言うと、生きてるってなんだろうね?
息をして飯を食って糞をしてセックスしてそれで例えば種を残せばそれで満足かい。
 
昨日は四国厚生支局の集団指導というやつがあった。
ご丁寧にいろんな保険診療のAyoZを教えてくれた。
こうやって授業みたいに聞くことに対して、なんて言うのかな、自分からいくんじゃなくって他人から教えられるものに対してほんとに触手が動かなくなってきて久しいね。
自分から求めるものだけが、自分が得られるものなんだろう。
 
学校でいろんな授業を学んだ。1時間目は国語で2時間目は英語で3時間目は日本史で4時間目は地理で5時間目は物理、絶対そんなの無理に決まってるよね。でもあの時はみんな平気な顔でその授業聞いてたんだよね。何のために、誰のために。いや受験ていうのは技術だし、その技術があって初めて真実にたどり着く・・なんてことをみんな信じていた。偏差値で判断されて偏差値の高いものが正義と言うふうに言われた。決してその考えは間違いじゃないだろう。でも人生で顔に偏差値を貼り付けているやつは今の知り合いにはあまりいそうにないぜ。
馬鹿の顔には馬鹿って残念ながら書いてあるけどな。
 
厚生支局での集団指導が終わって街に繰り出して、病院の納涼会だった。
「俺のフレンチ」貸切で、飲んで食って騒いだ。
2次会はいつもとは違うメンバーで「神戸ガレージカフェ」に行った。
店のギターを借りて、かきならして、女の子とキャンディーズの「春一番」を歌ったよ。
春1番素敵な歌だね。
キャンディーズがいたあの頃、すーちゃんが生きてて、ランちゃんのリードボーカルをとって、ミキちゃんはちょっと違うポジションにいたあの頃。あの頃高校生だった俺らは何を考えていたんだろうね。
 
Wowowで「宇宙戦艦ヤマト2199」やってる。
それもオリジナルは高校生の頃だった。
テレビ番組の最後に、地球滅亡まであと何日と言うテロップが出ていた。それが受験という宿命を背負った自分の人生の終焉にも思えて、毎週毎週手に汗を握りながら見たものだ。地球の滅亡を回避するために、何万光年も先のイスカンダルまで無謀とも言える旅に出たヤマトのクルーたちは何を信じていたんだろうね?そりゃドラマだから、地球は滅亡が救われるんだろうとは思ったけど、でも、日本は太平洋戦争に負けたからね、神風なんて吹かなかったよ、吹くわけないよな、物質的な差異が多すぎる、あー俺は何を言ってるんだろうね。
 
60代で膵臓癌で死んだおふくろ。
88位で多分心筋梗塞で1日苦しんで死んだ現役医師を貫いた親父。
彼らの人生について時々思いを馳せることがある。
でも思いを馳せるだけで何かを考えるわけでは無い。
みんな行き着く先は一緒だ。そこを回避することができない。
死ぬまで現役とか、夫婦95歳まで生きるまでいくら必要だとか、なかなかリアルな話ばかりが歩いて歩いて歩いて歩いているよ。
 
そんなとき、
生きることについて生きていくことについて、
ランちゃんが答えをくれるんだよ、
♪もうすぐ春ですね 恋をしてみませんか
ってね。
あー。素敵だね。
 
さてさて、
頭は回ってないけど、
昼から愛媛大学に行って排泄ケアの講師をする日曜日ですね。
 

 

春一番

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恋とカフェインとスイーツと猫舌

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#509 新しいiMacが来た。

 
昨日iMac 27インチを納品してもらった。
 
前のiMacは21.5インチだった。たしか2013 late modelだった。
5年近く使ったが、これも見た目には全然古びててはないんだけど、OSがどんどんどんどんバージョンアップしていくにつれて起動とかまですごい時間がかかるようになったし、途中でフリーズすることが増えた。
仕事中に患者さんから聞かれて薬の情報とかを見るんだけど、その時に止まってしまったり、紹介状書く時とかもね、フリーズするわけよ。なので新しいのに買い換えるんだって思い切ったわけ。
いっそのことと思い、どでかい27インチにした。
 
 
今、目の前にあるんだけど、やはりまだ馴染めない感じで、異常な圧迫感がある。
でもこの圧迫感もすぐに慣れるはずだ。
そして大きい画面に慣れると、小さい画面には戻れないと言う話だ。
こんなでかい画面だとやっぱりグラフィックスをいじりたくなるよな。
 
いやーそれにしても嬉しいね。
 
iPhone,iPadpro,MacbookPro,iMac・・
appleに魂売っとんのに、 
iCloudじゃなくてGoogle Driveだし、
Evernoteはちゃんと課金して愛用してるし、写真は家人に教えてもらってGoogleフォトだ。
Kindle君にはだいぶお世話になっとるけどね。
時にAmazon primeでビデオを見て、Kindle unlimittedでもいろいろ重宝させてもらってる。
ああ、音楽はApple Musicだわな。最近買ったCDは?思い出せないなあ。
 
自分でさえそうなんだから、
たしかにリアル書店やら、リアルCDショップとか、ほんときびしいわなあ。
でもkindleで読むとなんか満足感薄いのは「昭和人間」だからかなあ。

#508 partyでviolinを弾いてカホンを叩いて、似顔絵を描く。

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IK Multimedia iLoud 多機能ポータブル・スピーカー【国内正規品】

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日曜日は「Goody」(エステサロン)15周年記念のパーティーだった。

自分はオーナーさんの飲み友達の一人として、ラッキーなことにここ数年招かれている。
今回は、郊外のカジュアル・フレンチレストラン「ビストロ横濱」貸切で開催された。
 
自分はバイオリンを3曲と、カホンで1曲プレイさせてもらいました。
 
カホンでは、しまむらの発表会でも行った山本リンダさんの「どうにもとまらない」、
そしてヴァイオリンでは「黒いオルフェ」「recado bossa」「イパネマの娘」の3曲をプレイしました。
 
 PA システムをどうしようかなと考えて、It Multimediaの「iLoud」という、bluetoothスピーカー兼ミニPAシステム(ギターのライン入力が可能で、アンプ機能はまた別につないだiPhone側のアプリでするというハイテクなもの)を引っ張り出してきて、アレやコレや苦労してセッティングする。
 
バイオリン側にはピンマイクの形状のものを装着し、 iPhoneのアプリ側で音量設定と、バックのオケはCDから取り込んだものを流してミックスするのだ。
バッテリー駆動でポータブルで、それだけで mini PA システムが完成するという(コードとかはいりますけどね)、すげぇ画期的なものだ。
あらかじめ自宅の部屋でボリュームを調整して、自分で演奏して、娘にバランス確認をしてもらう。
いい感じと自画自賛
 
・・のハズだったんだけど、実際広いレストランでやると、
やっぱり広いのと、パーティーが始まっていてお酒が入って皆ガヤガヤなので、音がなんだか拡散してしまってと届かないと言うか、スピーカー自体のパワーの問題だろうけど、音量が少し足りなくって、ちょっとぼやけた演奏になってしまった。
演奏のレベルもともかくだけど、そういったことがちょっと心残りでありました。
 
そうなると、もっとしっかりした PA システムを自分で作りたいなあ(でもできる限りコンパクトなもの)、とかまたまた考えてしまうよね。
 
自分の演奏の後には、主催者側のスタッフが皆で AKB のフォーチュンクッキーをオケに合わせて踊ったんだけど、やっぱり綺麗な女の子たちが踊ると華やかだね。
おっさんのヴァイオリンではなかなかたちうちできんね。
 
まあ、後半はいつもの「酔っ払い画伯」になって、請われるがままに似顔絵書いてたらあっという間にお開きの時間になってしまいましたけどね^^;
 
素人ミュージシャンの心得だけど、
とにかく、機会があれば、なるべくどんなところでも演奏させていただくようにしている。
人前で演奏するということ、その緊張感、その準備とか練習とか、そういったものをとおしてしか、多分人は上達しないのだと思う。そうやって作り上げたものが、稚拙であったとしても皆さんにちょっとでもすてきな音楽として届くっていうことは、多分気持ちがいいことですからね。
そう信じて精進しますよ。

#507 Oh,ロコアテープ(肩関節のブルース)

おとといは医師会の理事会があった。
 
会が終わってから、自分の左の肩が上がらないことについて、整形外科の先生に聞いてみた。
「先生、ほらほら、肩が上がらんのと痛いんですよね」
「・・・それは腱板損傷でしょうね」
「痛いポーズは無理してせんことですね。
そうなるとまず敬礼のポーズが取れないんですよね」
「それは取れるんですよね、でもそこから上に垂直に上げたりするとズキンと痛みが走るんですよね」
「そしたら腱鞘炎かなあ、でも僕も同じですよ」
と返されて、なんか緊張して質問したのに、肩の力が抜ける。
 
50を過ぎたら、腱板の損傷は増えてきて、80を過ぎたらほとんどの人にあると言われ、
先生は何歳ですかと言われて58歳と力なく答える。
なはは。
 
どうすればいいのですか?
きっと痛くないような手の動かし方が自然にできるようになりますよと言われ、
いやそういう事ではなく、この痛みを取るのはどうしたらいいのですか?
もう朝、腕が千切れそうなんですよね・・・
 
先生の場合はロコアテープという湿布が非常によく効いたということを教えていただいて、
早速、朝イチで電話して、それを取り寄せてもらうことにする。
あまり効果ないような関節注射はできますよ、だって。
 
で、ロコアテープ。
 
エスフルルビプロフェンとハッカ油が含まれており、
経口薬と同程度の吸収になるとのことから、
1日の貼付枚数は二枚を超えないこと、また全身作用を期待する消炎鎮痛剤との併用は可能な限り避けることと書かれている。
いやーなかなか強力な湿布じゃん。
それは期待できるかもね、ハローハロー。

#506 清志郎とオーティス・レディング

忌野清志郎の世界

 
忌野清志郎さんの没後10年と言うことで(もう10年経ったんだぜBabyなんてこった!GOTTAGOTTA)、
NHKで「朝まで清志郎」みたいな特番をやっていた(朝までだから当然長いのよ)。
 
録画したそれをちょっとずつ見ていった。
 
最後の番組は、清志郎Otis Reddingの故郷を訪ねるドキュメンタリー番組だった。
以前見たことがあるような気がしたけれど、この世にもうふたりともいないんだと思うと、なんかジンと来るものがあって、見進めめていったのだった。
 
清志郎が高校生の時、
コンサートに向かう飛行機の事故で、オーティス・レディングは26歳の若さで死んだ。
オーティスの最後の曲と「Doc of the Bay」がその夏は幾度となくラジオから流れていて、それはとても悲しい響きに聞こえた、
そんなふうに清志郎は語っていた。
 
自分にとってはラジカセから流れてくる(パンキシュになってブレイクした)RCサクセションの「よォーこそ」が、
ある一年の風景であったようだ。いろんなFMとかであの長い曲は流れ続けていたような気がする。
それが高校から浪人時代の思い出のような気がする。定かでは無いけどね。
 
NHKでは、清志郎のステージと、
清志郎の大好きなオーティス・レディングのステージパフォーマンスも交互に流されており、
オーティスのパフォーマンスは1960年台からしたら60年以上過ぎた「現在」でも、鳥肌モノで、
ほんとに清志郎のあのパフォーマンスと酷似していた。
ほんとに愛していたんだね、オーティスを。
例の「愛しあってるかい」も久々に聞いて鳥肌が立った。
 
そんなわけで遅まきながらオーティスを聴いていますよ、アップルミュージックでね。
 
ストリーミングになっていろんな音楽が容易に手に入るのは素晴らしい。
音質とか音源とか言うよりも、ちょっと検索で知らない曲が出てくるのはありがたいよ。
 
そんなわけで、自分の隣にまだ忌野さんはいるのです。
 
よォーこそ

よォーこそ

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#505 燕の巣と「未来のミライ」(2018)

散歩の途中、ジムの軒先に、ツバメの巣を見た。
 
シャッターチャンスをと思い、あさはかなおっさんは、口を開けて眺めている。
親は餌を与えたかと思うとすぐに飛んでゆく。
そして忘れた頃に戻ってくる。
その繰り返しだ。
 
親の愛は人間においてもホントは「無償」なんだと思う。
自分のことだけど、こんな可愛げもない(いやbabyのときは天使だったのだと信じよう)クソガキを育ててくれた。
人間のガキは動物以下以下以下で、自分ひとりでは決して生きてゆくことはできないだろう。
外敵から守る毛皮も羽毛も持ってないし、咀嚼だって嚥下だって不十分だ。
何年間かは直立することもできやしない。
飢えを察知してピィピィ泣き叫ぶことくらいしかできない。
そんな弱っちい生き物を育ててゆけるのは、「本能」的なものだけでな不可だと思う。
 
だけど、その「無償」がずいぶんズタボロに壊れてきてるのは、
「後天的」な要素がずいぶん壊れてきたってことなのかな?
 
もう「あたりまえ」というコトバ自体が、死んじゃってから久しいよなあ。
 
ツバメの子供は、孵化から巣立ちまでたったの2w、人間はまあ20年だもんなあ。
 
ーーーーー
 
細田監督の「未来のミライ」というアニメを観た。
 
長男のくんちゃんは、新しい妹「ミライ」ちゃんの出現で、自分がかまってくれなくなるので、いじけて大変。
なんでも「くんちゃん、好きくない」で片付けるミニ暴君だ。
お母さんは編集の仕事を再開し、フリーになった建築家のお父さんが育児を受け持つことになる。
そんな「くんちゃん」の日常に、
未来からやってきた女子高生の「ミライ」ちゃんやら、
ダックスフンドのヒメちゃんやら、
若い時のこれまた暴君お母さんやら、
戦争から生き残って帰ってきたエンジニアのひいじいちゃんのドラマとかが錯綜する。
血はつながっており、AがなければBはなく、BがなければCはなかった。
だから必然として、自分の存在は、「血(血縁関係)」のもとにあり、それはドラマであり、確固たる現実なのだと。
 
「ミライの東京駅」の地下深く、
迷子(自分自身を失った子供)の子供が乗りこまねばならず、どこに行き着くかわからない新幹線(行く先はひとりぼっちの国とアナウンスされた!)、
その電車に自らも吸い込まれそうになり、
呪縛をなんとか振り切ったくんちゃんが、
ちっちゃな無防備である妹の「ミライ」ちゃんに手を差し伸べる、
その行為自体が、
「未来(ミライ)」につながる唯一のwayなのだと思う。
 
そう、
自分から手を差し伸べるという行為だけが、(一方的に)与えられたものに拮抗できるものなのだ。
 
そうやってヒトはコミットして生きていかなければならないのだな、と、思わされた。
 
 
ーーーー
 
 
そして、またご都合主義的なこと言うけど、
まだ見ぬ自分に手を差し伸べて引っ張り上げてやるのが今の自分の役目なんだと思うんだよ。
だから引っ張ってもらうだけの理由のある自分であるという努力とか情熱が重要になってくるんだよ。
この半世紀生きてきた燃えカスの鉱脈に火をつけてね。
月までは飛べなくっても、50mくらいは飛び上がれるだろ、おっさんよ!
 

未来のミライ