だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#517 仕事する、violin弾く、めしをつくる。

昨日も疲れ果てて、どうしようもなくって、それでも何とかバイオリンの練習をしてレッスンに行きました。
「レッスンは自分を裏切らない」という言葉を、こないだもピアノの先生に頂きましたけど、本当にその通りで、やはり立ち止まって考える時間が必要なんでしょう。細切れ10分とかは練習してても、やはり先生と対峙してやる30分は非常に濃密です。
でもそれだけでも本当は足りない!
もうちょっと頑張ろう・・・と言って次のレッスンまでの日々は怠惰に過ぎていくのですけどね。
7月の発表に向けて「recado bossa」を弾いてますけど、
あいまで「イパネマの娘」とか「one note samba」取り組んでます。
練習でもういっぱいいっぱいになって帰宅です。
昨日はローストビーフに温泉玉子をトッピングしてみた丼。
最近では 自宅の電子レンジで温泉卵ができることを発見してなんだかちょっと誇らしげな気分。
その機能で焼き芋作った時も感動したけど、スチーム機能を使ってこんなことができるなんて世の中本当に素晴らしい。科学技術バンザイ^^
副菜は、やはり夏の野菜オクラを使ったオクラとミニトマトの味噌和えです。
ネバネバ感がたまりません。
そしてお中元で頂いた優しい味の冷製スープであります。
うちごはん。
家人がやはり頂いた枝豆も茹でてビールも頂きましたよ。
 
もしかしたらご飯を作っている時にちょっとずつつまみながらいただくお酒が一番美味しいのかもしれません。
なんか、その最初の数杯で本当は満足して、後はどうでもいいんじゃないかという気もしますね。
だから自宅でご飯を作るのかもしれません。
 
NHK のテレビで京都の料理家の大原千鶴さんが、おしゃべりしながら 魔法のように食材を調理して、あての逸品を作って、それに対してソムリエの方がマリアージュしたお酒を出すという、「あてな夜」という番組があって、それをたまたま見たんですけど、ああいう オープンキッチンであてを作りながら飲みながら進行していくという、あれはたまりません。
あれこそが、ほんと、究極のおもてなしなんでしょうね。
いいな。
 
(結局寝る前飲んだのも入れるとビールと、「鳥飼」ロック2杯でした^^;)
 

#516 artとbeerと彼女。 

 

雨の中を、
市駅からてけてけ歩いて愛媛県立美術館に行く。
はがきを頂いたので「日本版画会四国支部展」をみにゆく。
大型の自分の印象を遥かに凌駕する作品が2Fに飾られている。
そこで、版画とか シルクスクリーンについてちょっとだけ教えてもらう。

 

芸術というのは本当に素晴らしい。
芸術はほとんどの人にとっては飯の種ではないけど、やはり心の糧ではある。
世の中には芸術を必要としない人生だってたくさんあるんだろうけど、こんなに精神を高揚させてくれるものはそうそうはないと思う。
命が生きてるよと、そう叫んでいる、鉱脈を見ているようなものだからね。
だから、どんな絵であろうと、技術があろうがなかろうが、魂がこもっていればそれは 芸術(アート)=「生命」なのだと思う。
だから、おいらの、10分間アートも「live」という意味においては「生命の鉱脈」なんだよ。
モデルになっていただいて、描いて見て見られて、その時間は何事にもかえがたい一瞬だ。

雨は全く小降りにならない。

 

県立美術館を出てまた歩いて、大手町のケーブルテレビスタジオに行く。
こちらはこちらで 「絵野会」という芸術教室の作品を展示している。
患者さんから招待されたので行ってみたのだ。その日しか時間が取れなかった。
もう夕方なので誰もいなかったけど、そこに飾られている彼の油絵を見る。

それから堀端を南下してクラフトビールの店「BOKKE」にたどり着いたのだった。
いっぱい飲んで話して、また雨の中を次のクラフトビールの店に向けて歩き出す。
まちなかに、ブティックの奥に醸造所があるという、「DD4D」というstrangeな店だ。

 

雨は止むことを知らない。

 

その店で偶然再開した美女の絵を描かせていただく。
楽しい。疲れていても楽しい。どこにいてもちょっとした絵の道具さえあればこうしてhappyになれる。
自分も、そして強要しているわけではないけど周りのみんなも。

 

まだまだ夜は始まったばかりだ。

 

www.japandemic.co.jp

#515 酔っぱらい画伯はきょうも放浪してます、と、鰹節削り成功の巻。

夜の「酔っ払い画伯」フィールドワークです。

 
急遽呼ばれて、東温市のpianoの先生のご自宅までバイオリンの練習に出かけて、
そのまま夕方からは、3家族合同BBQにまで混ぜていただき、
(クルマなのでお酒をいただけなかったのが唯一の心残りでしたが・・)
そこでサクラメントからやってきた若者たちの琴線に触れて、感銘を覚えて、
ついでに彼らの才能に嫉妬も覚えて、そんで帰ってきてからの晩御飯なわけです。
 
きゅうりを塩もみして水分出してからの豚肉との炒めもの。
でももう少ししっかり水分出せばよかったかも?
 
それから、例の何度やっても粉になってしまっていた残念な鰹節削りですが、
新しい枯れ節を出して、頭から削ったら、
ちゃんと粉じゃなくって、ロール状になりましたよ。
なんか嬉しい!
冷奴にトッピングしていただきました。
しんすけsキッチン。
 

#514 廃人日記③ 日本透析学会の夜(2019/06/29 夜)

 
神は空の上からじっと人の営みを眺めているのだろうか?
莫迦とかほぉとか思わず、ただただ眺めてるんだろうな。
そして地には人がいて、そして日が昇り日が暮れて夜がくる。
 
新横浜で待っていてくれた電車に乗って、桜木町で降りて、高層ビルに背を向けて野毛の街に踏み込む。
ディープな店ばかりだ。
 
その中で、やっと見つけた「三陽」と言うお店、友がセッティングしてくれたのだ。
毎年1回透析学会の日に2人で飲むのが恒例だったけど、いつのその周辺のスタッフで飲んでいるし、uroのドクターももうひとり加わった。楽しい限りだ。
このためだけに来ているといっても過言では無いだろう。
 
今回は総勢10人だった。
自分はもうヘロヘロで、やはり多少はテンションは低かったけど、
勧められるままに焼酎を飲み続けて(多分1本ぐらいは飲んだかな)、さらにヘロヘロになったところで、
狭い場所ではあったけどカバンの中から道具一式を出してお約束のお絵かきを始めた。
描いているとやっぱり楽しくなって、結局3枚描いた。
静岡から来られた彼女たちは輝いていた。いつものように写真も一緒に撮らせてもらった。エアチューもした。
ますます楽しい夜だ。
声が出ないことと体がどうしようもなくしんどいことを除けばね。
 
一軒では忍びないと、雨の滴るシェイドの下でホルモンを食べた。
そして手を振って自分たちの居場所に分かれていった。
なんかこんな言い方するとかっこいいでしょう?
 
でも来年は大阪できっとまた会える。その間みんなで何が何でも生き延びよう。
1人は静岡で先代をついで全国区展開をされてるuro開業医の先生であり、
もう1人は横浜でこれまた先代を継いで去年開業された。
きっと、みんなそれぞれのポジションで、日常はああでもないこうでもないとつぶやきながらがんばっているんだろう。でも立場が違っても、泌尿器科という言葉ですんなり腑に落ちる部分もたくさんあるんだ。
オレだって、今は泌尿器科以外は考えられんもんなあ。
 
落ちてしまいそうな体を支え、
飛んでいってしまいたい心をホテルのベッドに押し込めて眠りに落ちる。

#513 廃人日記② 松山→羽田 JALにて(2019/06/29 土曜日)

 
もう夕方だね。
ひがくれようとしてるね。 廃人日記をつけようかなと思ったんだよ。
やっと咳も減ってきて、声もちょっとずつ出るようになってきたよ。
長い長い風邪だよ。
 
そうだそうだあの日の JAL の機内の話を書こうかな。
 
自分たちのコンサートを終えて次の日(2019/06/29)、
朝、透析の回診を終えて自宅に帰り、慌てて透析学会の準備をして、11時55分の羽田行きの飛行機に乗ろうとしたのだった。
前便が飛ばなかったため、そちらのお客様を乗せるとのことで、なかなか機体は動こうとしない。
自分の隣の隣は 75ぐらいのばあちゃんだった(あとで自分で言っていたのでわかったけどちょうどそんな感じだった)。
3列つなぎのシートで、自分が一番通路寄り、真ん中には20代の若者が座っていた。
 
機体がなかなか飛ばないので、ばあちゃんはちょっとパニック状態に。
私は旭川にいる娘の所に初めて一人で行くのだ 、東京で乗り継ぎをしなければいけないのだがどうしたらいいのかわからないのだ、と、興奮気味に隣のあんちゃんに喋っている。
隣のあんちゃんいいやつで、おばあちゃんの話を丁寧に聞いている。
自分は喉から声も出ず、ほとんど声を発しないでその会話を聞いていただけだった。
(実際飲み物をもらう時発した声は首を絞められた雄鶏みたいだったよ^^;自分でも気持ち悪いくらいだから、他人はもっと気持ち悪いだろうな)
そのうち CA さんを呼んで、事情を説明して、
CA さん了解しましたということで、飛行機が着いたらすぐに案内してしかるべくしますということを言ってくれたのだけど、
ばあちゃんはなかなか 興奮したままで話は止まらない。
 
25分遅れで飛行機は何とか飛び立った。
 
この感じで行くと羽田から旭川行きの飛行機の発着の15分前に着くということがわかった。
15分あるからなんとかなるでしょうね良かったですね、と、しゃがれた声で隣の若者に話しかけた。
 
でもばあちゃんの興奮は止まらない。
フライト中に、そのうち自分の息子や娘の写真を見せたり、自分は松山で何をしているとかいろんな身の上話をし始める。
隣のあんちゃんもいいやつで、そのうちばあちゃんの年齢を聞いたり、自分の親の年の話をしたり、果ては手話を教えたりして、二人で仲良く手話をしたりしてるじゃないかい。すげえな。彼は出張で松山に来て帰る途中で、関東の出身だと言っていたな。
 
飛行機が羽田に着き、ばあちゃんをせかせる。
 
飛行機の出口からCA さんが案内してくれて、空港に入ったところにはボードを持った別の CA さんがばあちゃんを待ってくれていた。
これで安心だ。
自分は若者に、「ほんとにご苦労様でした。若いのにやりますねえ!」そう言って別れたのだった。
 
ね、いい話でしょ。
 
体と心はボロボロだったけど、それでもほんのちょっとだけ温まった心を抱えて、羽田空港の 通路をてこてこと 歩いて行くのでした。
 
 

#512 廃人日記① 

 
6月26日から感冒で声帯をやられております。
 
それにさらに負荷をかけ続け、仕事でまたまた声帯を使いで、なかなか治る気配がないです。夜は寝ると、また咳の重積発作で寝た気がしない。地獄ですな。
 
午後から、仕事が終わらず(BONUS前はいつもこんな感じだった気がします)、力尽きかけてもうやめにして、帰り道に生協で買い物。
ししとう」とわかめを購入です。
「ちくわキュウリ」のための、きゅうりとちくわも常備品としておさえてはおきましょ。
 
産直売り場で、じいさんに、
「ほらこのスイカ10kgあるんやで」といわれ、二人で持ち上げて顔を合わせます。
「ほんと重たいですね」
「でもこりゃでかすぎて喰いきれませんね」
 
とりあえずお米を研いでから、料理開始。
ごぼうと牛肉の甘辛煮込みを圧力鍋で。
じゃがいももまるごと入れたけど、これは決して肉じゃがではないですからね。
玉ねぎも入ってないけど、何故かズッキーニが入っている。
ししとうの串焼きは、シンプルだけど旨し。フライパンで焼いてゆく。
串にさすという行為がちょっとだけ疲れた自分のテンションを上げてくれる。チーズを添えて。
トマトとわかめは、柚子胡椒と蜜と醤油とかをミックスした自家製ドレッシングでいただく。
うちごはん。
 
その夜もいろいろあって、
病院に舞い戻り夜中すぎまで働きます。
病院ですから、病人とか、まあ健康な人はそう多くはないわけです。
これはどうしようもないですけど、何十年やっててもその環境になれることはできません。
 
それで、
枯れ果てた声は、80%くらいは回復しましたけど、
まだまだしゃがれた声で診察しとるわけです。

#511 某日。(キャンディーズの続きですかね?)

キャンディーズ・ビーツ

 
某日。
 
所要にて、久々に長距離、クルマを走らせる。
道すがらスーちゃん(田中好子さん)が死んだ時に、多分中古で買った、
PSYSの松浦さんがリミックスした「キャンディーズビーツ」という、キャンディーズのリミックスCDを聴きながら走った。
 
色んなことを思い出した。
 
先日、焼肉「吉」で隣り合わせたおっちゃんとキャンディーズの話をした。
どうしてかと言うと、伊藤蘭さんが41年ぶりに歌手として復活するするというニュースを、ネットとか新聞で知ったからだった。
話しているとどんどん熱くなって、高校時代の思い出を、「かめマッコリ」を飲みながら語り始めていた。
 
あの頃はキャンディーズよりもピンクレディーの方が人気があったような気がする。
ザ・ベストテン」でキャンディーズを1位にしようと、クラスのお調子者が投票みたいなのをしろと強制していたような気がする。
もちろんみんなしたんだと思う。
そのせいもあってか、キャンディーズは「微笑み返し」という曲でベスト1を獲得したのだった。多分ね。
 
あれからもう40年以上が過ぎたと言うのに、メディアの中にいるランちゃんは、あの時の蘭ちゃんと変わってないような気もする。
 
いや、ホントは色んなことが変わったのだろう。そして俺も変わってしまった。
あの頃、高校生だった自分が今の自分のことを知ったらどう思うだろう。
いや、そんなことはどうでもいいことだ。
一瞬でもそんなしょうもないことを思う自分が情けないだけの話だ。
 
きっと、あの頃感じたときめきに対しては、今も同じようにときめいて感じることができるだろう、
ちょっとくたびれてはいるけれど。
 
だから欲張りと言われてもまた手を伸ばす。
 
最近、そういうわけで、まだ朝のpianoも続いており、
少しずつですけど、ギターの練習も加わりました。