だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#519 泌尿器科専門医機構のweb講座を延々と聴く。

 
夏休みの旅行から帰ってきた。
 
なのでかどうかはわからないけど、今日は朝から透析のみ。
外来業務は休みではあるものの、 LHRH アナログの注射とか、ミルセラの注射を入れていたので、午前中もぼちぼち患者さんが来られる。
 
そしてなぜか思い立って 専門医のページで web セミナーの受講する。
色々考えてみたんだけど、我々ちっぽけな開業医も、ただただ日常診療に流されるだけではいけないなぁなどとなぜか思ったのだった。
それはきっと、今が単に、頭が休みのせいでニュートラルモードになったせいもあるんだろうな 。
それだけのことだろうね。
 
今回は小児の先天性水腎症をきたす疾患というもので、非常に難しい。
我々開業医は、小児の水腎症を見つけたら基幹病院に紹介するんだけど、
おそらく小児科での3歳児検診とか1歳児検診とか、また胎児エコーとか見つかることが多いはずで、そうなると我々にはあまり関係のない疾患なのかもしれない。だけど学問というのはそういったものではなく、自分に関係ないものをスルーしていたのでは進歩がないわけでもあったりして、今日は何かそんな気分だったので延々と受講をしたけど、ビデオのあとで試験もくっついており、最初の採点では60点の得点率だった。ダメダメちゃんだね。
 
それでついでに専門医更新とかについても調べてみるが、専門医機構制度の専門医になってから非常に厳しく、本当にこれは何のための専門医なんだろうかなと再度認識しただけのことだった。
それでも今日はなんだか学術脳みそに火がついたので、もうちょっと専門医更新に向けて粘ってみようかなと思ったんだよ。
 
・・そうなると大きな学会に行かなければならないのだけれど、
まあこれは本当に観光と違って勉強に行くと割り切ったらいいかもね。
 
でも休みが明けて外来が始まったらそんな悠長なことを考える暇はなくなるんだけどね。
 
まあそんなこんなで受講を二つしたらもう夕方になってしまいましたね。
 
疲れたよ。

#518 time to die バイバイ、レプリカント。

 
ブレードランナー」は1982年の作品だったのですね。
 
ブレードランナー2049」も見ましたけど、
あの映画を見て思ったのは、
実は、ブレードランナーとはハリソンフォード演じるデッカードでもなく、
レイチェルという女性レプリカントでもなく、
ドガー・ハウワー演じるロイというレプリカントだったということです。
 
だから、時を経て公開された2049という映画は、 
シチュエーションは一緒だったのかもしれないし、
ハリソン・フォードまでが再演し、CGでのレイチェルもただ殺されるためだけに出演してましたけど、我々の我々を興奮までは導いてはくれませんでした。
 
その元祖?「ブレードランナー」にレプリカント役で出演していたルドガー・ハウアーさんが、75歳で病気のためオランダの自宅で死去されたとのことでした。
ご冥福をお祈りします。
われわれの人生にあなたが与えてくれた影響は多大です。
 
今も目を閉じるとあのセリフが蘇ってきます。
 
「おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。死ぬ時が来た。」
 
(原文:I’ve seen things you people wouldn’t believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate. All those moments will be lost in time, like tears in rain. Time to die.)
 
【特集】『ブレードランナー』伝説の名ゼリフ『雨の中の涙』を徹底解説【はじめてのブレードランナー2】 | THE RIVER
 

#517 仕事する、violin弾く、めしをつくる。

昨日も疲れ果てて、どうしようもなくって、それでも何とかバイオリンの練習をしてレッスンに行きました。
「レッスンは自分を裏切らない」という言葉を、こないだもピアノの先生に頂きましたけど、本当にその通りで、やはり立ち止まって考える時間が必要なんでしょう。細切れ10分とかは練習してても、やはり先生と対峙してやる30分は非常に濃密です。
でもそれだけでも本当は足りない!
もうちょっと頑張ろう・・・と言って次のレッスンまでの日々は怠惰に過ぎていくのですけどね。
7月の発表に向けて「recado bossa」を弾いてますけど、
あいまで「イパネマの娘」とか「one note samba」取り組んでます。
練習でもういっぱいいっぱいになって帰宅です。
昨日はローストビーフに温泉玉子をトッピングしてみた丼。
最近では 自宅の電子レンジで温泉卵ができることを発見してなんだかちょっと誇らしげな気分。
その機能で焼き芋作った時も感動したけど、スチーム機能を使ってこんなことができるなんて世の中本当に素晴らしい。科学技術バンザイ^^
副菜は、やはり夏の野菜オクラを使ったオクラとミニトマトの味噌和えです。
ネバネバ感がたまりません。
そしてお中元で頂いた優しい味の冷製スープであります。
うちごはん。
家人がやはり頂いた枝豆も茹でてビールも頂きましたよ。
 
もしかしたらご飯を作っている時にちょっとずつつまみながらいただくお酒が一番美味しいのかもしれません。
なんか、その最初の数杯で本当は満足して、後はどうでもいいんじゃないかという気もしますね。
だから自宅でご飯を作るのかもしれません。
 
NHK のテレビで京都の料理家の大原千鶴さんが、おしゃべりしながら 魔法のように食材を調理して、あての逸品を作って、それに対してソムリエの方がマリアージュしたお酒を出すという、「あてな夜」という番組があって、それをたまたま見たんですけど、ああいう オープンキッチンであてを作りながら飲みながら進行していくという、あれはたまりません。
あれこそが、ほんと、究極のおもてなしなんでしょうね。
いいな。
 
(結局寝る前飲んだのも入れるとビールと、「鳥飼」ロック2杯でした^^;)
 

#516 artとbeerと彼女。 

 

雨の中を、
市駅からてけてけ歩いて愛媛県立美術館に行く。
はがきを頂いたので「日本版画会四国支部展」をみにゆく。
大型の自分の印象を遥かに凌駕する作品が2Fに飾られている。
そこで、版画とか シルクスクリーンについてちょっとだけ教えてもらう。

 

芸術というのは本当に素晴らしい。
芸術はほとんどの人にとっては飯の種ではないけど、やはり心の糧ではある。
世の中には芸術を必要としない人生だってたくさんあるんだろうけど、こんなに精神を高揚させてくれるものはそうそうはないと思う。
命が生きてるよと、そう叫んでいる、鉱脈を見ているようなものだからね。
だから、どんな絵であろうと、技術があろうがなかろうが、魂がこもっていればそれは 芸術(アート)=「生命」なのだと思う。
だから、おいらの、10分間アートも「live」という意味においては「生命の鉱脈」なんだよ。
モデルになっていただいて、描いて見て見られて、その時間は何事にもかえがたい一瞬だ。

雨は全く小降りにならない。

 

県立美術館を出てまた歩いて、大手町のケーブルテレビスタジオに行く。
こちらはこちらで 「絵野会」という芸術教室の作品を展示している。
患者さんから招待されたので行ってみたのだ。その日しか時間が取れなかった。
もう夕方なので誰もいなかったけど、そこに飾られている彼の油絵を見る。

それから堀端を南下してクラフトビールの店「BOKKE」にたどり着いたのだった。
いっぱい飲んで話して、また雨の中を次のクラフトビールの店に向けて歩き出す。
まちなかに、ブティックの奥に醸造所があるという、「DD4D」というstrangeな店だ。

 

雨は止むことを知らない。

 

その店で偶然再開した美女の絵を描かせていただく。
楽しい。疲れていても楽しい。どこにいてもちょっとした絵の道具さえあればこうしてhappyになれる。
自分も、そして強要しているわけではないけど周りのみんなも。

 

まだまだ夜は始まったばかりだ。

 

www.japandemic.co.jp

#515 酔っぱらい画伯はきょうも放浪してます、と、鰹節削り成功の巻。

夜の「酔っ払い画伯」フィールドワークです。

 
急遽呼ばれて、東温市のpianoの先生のご自宅までバイオリンの練習に出かけて、
そのまま夕方からは、3家族合同BBQにまで混ぜていただき、
(クルマなのでお酒をいただけなかったのが唯一の心残りでしたが・・)
そこでサクラメントからやってきた若者たちの琴線に触れて、感銘を覚えて、
ついでに彼らの才能に嫉妬も覚えて、そんで帰ってきてからの晩御飯なわけです。
 
きゅうりを塩もみして水分出してからの豚肉との炒めもの。
でももう少ししっかり水分出せばよかったかも?
 
それから、例の何度やっても粉になってしまっていた残念な鰹節削りですが、
新しい枯れ節を出して、頭から削ったら、
ちゃんと粉じゃなくって、ロール状になりましたよ。
なんか嬉しい!
冷奴にトッピングしていただきました。
しんすけsキッチン。
 

#514 廃人日記③ 日本透析学会の夜(2019/06/29 夜)

 
神は空の上からじっと人の営みを眺めているのだろうか?
莫迦とかほぉとか思わず、ただただ眺めてるんだろうな。
そして地には人がいて、そして日が昇り日が暮れて夜がくる。
 
新横浜で待っていてくれた電車に乗って、桜木町で降りて、高層ビルに背を向けて野毛の街に踏み込む。
ディープな店ばかりだ。
 
その中で、やっと見つけた「三陽」と言うお店、友がセッティングしてくれたのだ。
毎年1回透析学会の日に2人で飲むのが恒例だったけど、いつのその周辺のスタッフで飲んでいるし、uroのドクターももうひとり加わった。楽しい限りだ。
このためだけに来ているといっても過言では無いだろう。
 
今回は総勢10人だった。
自分はもうヘロヘロで、やはり多少はテンションは低かったけど、
勧められるままに焼酎を飲み続けて(多分1本ぐらいは飲んだかな)、さらにヘロヘロになったところで、
狭い場所ではあったけどカバンの中から道具一式を出してお約束のお絵かきを始めた。
描いているとやっぱり楽しくなって、結局3枚描いた。
静岡から来られた彼女たちは輝いていた。いつものように写真も一緒に撮らせてもらった。エアチューもした。
ますます楽しい夜だ。
声が出ないことと体がどうしようもなくしんどいことを除けばね。
 
一軒では忍びないと、雨の滴るシェイドの下でホルモンを食べた。
そして手を振って自分たちの居場所に分かれていった。
なんかこんな言い方するとかっこいいでしょう?
 
でも来年は大阪できっとまた会える。その間みんなで何が何でも生き延びよう。
1人は静岡で先代をついで全国区展開をされてるuro開業医の先生であり、
もう1人は横浜でこれまた先代を継いで去年開業された。
きっと、みんなそれぞれのポジションで、日常はああでもないこうでもないとつぶやきながらがんばっているんだろう。でも立場が違っても、泌尿器科という言葉ですんなり腑に落ちる部分もたくさんあるんだ。
オレだって、今は泌尿器科以外は考えられんもんなあ。
 
落ちてしまいそうな体を支え、
飛んでいってしまいたい心をホテルのベッドに押し込めて眠りに落ちる。

#513 廃人日記② 松山→羽田 JALにて(2019/06/29 土曜日)

 
もう夕方だね。
ひがくれようとしてるね。 廃人日記をつけようかなと思ったんだよ。
やっと咳も減ってきて、声もちょっとずつ出るようになってきたよ。
長い長い風邪だよ。
 
そうだそうだあの日の JAL の機内の話を書こうかな。
 
自分たちのコンサートを終えて次の日(2019/06/29)、
朝、透析の回診を終えて自宅に帰り、慌てて透析学会の準備をして、11時55分の羽田行きの飛行機に乗ろうとしたのだった。
前便が飛ばなかったため、そちらのお客様を乗せるとのことで、なかなか機体は動こうとしない。
自分の隣の隣は 75ぐらいのばあちゃんだった(あとで自分で言っていたのでわかったけどちょうどそんな感じだった)。
3列つなぎのシートで、自分が一番通路寄り、真ん中には20代の若者が座っていた。
 
機体がなかなか飛ばないので、ばあちゃんはちょっとパニック状態に。
私は旭川にいる娘の所に初めて一人で行くのだ 、東京で乗り継ぎをしなければいけないのだがどうしたらいいのかわからないのだ、と、興奮気味に隣のあんちゃんに喋っている。
隣のあんちゃんいいやつで、おばあちゃんの話を丁寧に聞いている。
自分は喉から声も出ず、ほとんど声を発しないでその会話を聞いていただけだった。
(実際飲み物をもらう時発した声は首を絞められた雄鶏みたいだったよ^^;自分でも気持ち悪いくらいだから、他人はもっと気持ち悪いだろうな)
そのうち CA さんを呼んで、事情を説明して、
CA さん了解しましたということで、飛行機が着いたらすぐに案内してしかるべくしますということを言ってくれたのだけど、
ばあちゃんはなかなか 興奮したままで話は止まらない。
 
25分遅れで飛行機は何とか飛び立った。
 
この感じで行くと羽田から旭川行きの飛行機の発着の15分前に着くということがわかった。
15分あるからなんとかなるでしょうね良かったですね、と、しゃがれた声で隣の若者に話しかけた。
 
でもばあちゃんの興奮は止まらない。
フライト中に、そのうち自分の息子や娘の写真を見せたり、自分は松山で何をしているとかいろんな身の上話をし始める。
隣のあんちゃんもいいやつで、そのうちばあちゃんの年齢を聞いたり、自分の親の年の話をしたり、果ては手話を教えたりして、二人で仲良く手話をしたりしてるじゃないかい。すげえな。彼は出張で松山に来て帰る途中で、関東の出身だと言っていたな。
 
飛行機が羽田に着き、ばあちゃんをせかせる。
 
飛行機の出口からCA さんが案内してくれて、空港に入ったところにはボードを持った別の CA さんがばあちゃんを待ってくれていた。
これで安心だ。
自分は若者に、「ほんとにご苦労様でした。若いのにやりますねえ!」そう言って別れたのだった。
 
ね、いい話でしょ。
 
体と心はボロボロだったけど、それでもほんのちょっとだけ温まった心を抱えて、羽田空港の 通路をてこてこと 歩いて行くのでした。