だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#536 クインケ浮腫?なの?今度は?

 
いやあ病気自慢をするわけじゃないけど、大変なことがまた。
 
晩御飯作って、食べて、片付けが終わって、風呂に入ろうとすると、なんか口が重たい。
正確には唇が重たい。それも急にだ。
見てみると左の唇がタラコのようになっている。それが口の中を圧迫しているのだ。
指を入れてつまんでみると口角から奥のほうが分厚くなって硬くなっている。
触っている間にも加速して厚くなってる気もする。
 
いやー食事を食べる前は気づかなかったので、食べ物によるアレルギー反応だと考えたんだけど、
みんなと変わったもの食ってないし、特に食物アレルギーもないし、
これが全身性のものなら果ては喉頭浮腫になって窒息して息絶えるってことなんだろうけどとか、また人ごとみたいに考えているわけだ。
 
口が開きにくい。
唇がなんていうのかな、歯茎とかを圧迫しているんだよね。いやー殴られた後みたいだなあ(殴られたことないけど)。
家人に相談して、家にある薬を探し出して抗アレルギー剤とステロイドを2ミリ飲んではみたのだけどどうなるんだろう?
どうなるんだ?
 
いろんなことがそれにしても起こり続ける。
 
ゆっくり休んだせいでぎっくり腰のほうはちょっとずつだけどよくなってきている。
明日からフル稼働の診療日だし、夜は介護保険の審査もある。
もしかしたらほんとに疲れている状況が本人の自覚を遥かに超えてしまったのかもしれないなあ。
けっこうなスピードでずっと走り続けてきてそれが自分の普通だと思っていたけど、やっぱり限界なのかな?
でもいろんなことをやめるわけにはいかんのよねいかんのよね困ったなぁこまったなあ。
調べるとクインケ浮腫というのが該当する感じで、まあ原因不明みたいではある。
 
「クインケ浮腫」とは | 長崎県保険医協会
 
主に口唇や瞼、頬などに突然数センチのコイン大の浮腫が出現する状態を言います。じんましんに似ていますが、発生する場所がじんましんより皮膚のやや深い部分に起こります。別名を「血管神経性浮腫」と言い、血管運動神経の局所的な興奮のために、毛細血管から血液の液性成分が皮膚組織に漏れて起こります。現在もその発症のメカニズムは解明されていません。また全身疾患が無い事がほとんどです。皮膚のかゆみはじんましんより軽いことが多いですが、皮膚が地腫れ(傷・できものの所だけでなく、周囲の皮膚が一面にはれる)した様な状態が数時間から数日続くこともあります。
 
治療せず放置していても自然に消える事が多いですが再発を繰り返す事が特徴です。まれにクインケ浮腫が口の中や喉の奥に起こることもあります。喉に起こった場合は気道が狭くなり呼吸困難を起こす事があるので注意が必要です。その場合はCTやMRIなどの画像診断を行い迅速な診断と治療が必要です。治療方法は対症療法で抗ヒスタミン剤を飲んだり、かゆいところにはステロイド軟こうを塗ったりします。
 
原因不明ですが、疲れている時に発症しやすい事からストレスや疲れが発症に関係していると言われています。そのことからストレスを解消する趣味や疲れをためないように休息を早めにとることも一種の予防及び治療になると言われています。その他、家族性に起きる遺伝性血管浮腫では血清中の免疫異常を認めます。おかしいと思ったら皮膚科に相談してください。(2019年3月)

 

#535 ぎっくり腰その他と、レイモンド・カーヴァーと、愛について。

昨日からぎっくり腰(多分)で、大変な状態になっている。
左肩からは千切れそうで、腱板断裂ですねえとのんびりと整形の先生に宣告されたし、
右手の母指と人差し指の間の手術跡は固くなって、箸持つときとかえらく不自由だし、
気分はすっかり老人である。
 
**
 
今朝の回診で、
「今日は何でか車が少なかったなあ」
「それは休日だからですよ」
「なんの休日なんかな、勤労感謝の日かな?」
「いや勤労感謝の日はもっと遅いような気がします・・10月だから体育の日じゃないでしょうか?」
敬老の日かな?」
「いや敬老の日はもう終わったと思うんですけど、ほらね、そうやって日々の感覚がなくなっていくんですからね
頼みますよ ボケの始まりですから それ」
そんな会話をしながら仕事をしておりました。全てはうつろふ。
 
愛について語るときに我々の語ること (村上春樹翻訳ライブラリー)

愛について語るときに我々の語ること (村上春樹翻訳ライブラリー)

 

 

***
 
なぜか愛媛新聞の子供版「ジュニアえひめ新聞」(2019/10/06)にレイモンドカーヴァーの著書の書評が載っていた。
 
タイトルは「愛について語るとき我々の語ること」というもので、やはり村上春樹さんの翻訳だ。
 
カーヴァーももう死んでこの世にいない。
僕は、ブコワスキーとはまるで手触りが違うが、根幹の通低音は等しいあのひんやりとした感触も、自分のなかにあるものとして、心に、楔のように打ち込まれているのを感じる。
 
なのに何かを思い出そうとすると全ては霧の中にいるようで、彼らの言葉は具体的には思いだせないんだけど、でも、彼らのが存在したこと・彼らの語ったこと・彼らの遺した文章、それらは自分の殻を作っているんだと思う。
 
結局、それは生きていて同じ時代に同じ時間を過ごしてあの世に行ってしまった者たち全てに共通するものなんだろう。
だから自分が消えてしまえばその関係性は消える。
逆に言うと、自分が生きている間は、相手が死のうが生きようがその関係性は消えないのだと、自分はそんなふうに思う。
 
さてレイモンドカーヴァーさんの本は多分2冊ぐらい持っていたと思う。
やはり彼のことを教えてくれたのは村上春樹さんだった。
 
この書評では、
表題作の「愛について語るときに我々の語ること」 、そして「風呂」という短編の話 、「出かけるって女たちに言ってくるよ」、「 ガゼボ」と結構多くの短編について触れられている。
「人が道を踏み外す瞬間を作家は冷静に見つめる。喪失と悲しみを刻印する。」と結ぶ。
ジュニア愛媛新聞にこれを書いたのは一体誰なんだろう?
この異質の書評は、だけど自分に思いがけずカーヴァーを思い出させてくれた。
記者である、彼あるいは彼女に感謝する次第である。
 

 
****
 
酔っ払った時に隣の女の子と仲良くなって、話が盛り上がって、それで絵をかこうかっていう話になって実際描かせてもらう。
その最中にもまた盛り上がって、なんだか素敵で濃密な時間が流れる。
帰って一夜明けてみるとその詳細が思い出せない。
あの空気はどこに行ったんだろうかとか頭痛の中で思う。
そんな時、自分で撮った彼女と絵の写真を見る。すると一瞬だけあの空気と音が蘇ってくるような気がする。
でもそれってもともと再生不可能なことなのかもしれない。
カーヴァーの「Why dont't you dance?」のラスト、
庭のガレージセールで男に家具一式とかレコードまでっもらった女の子がこんなふうに語る。
 
でもどれだけしゃべっても、相手に伝えられない何かが残った。
彼女はなんとかそれをうまく表現しようと、しばらくの間試みていたが、結局はあきらめることになった。

 

そういうことだ。

#534 2019/10/09 つゆだく親子丼とにわかサックス練習。

今日もなぜか晩御飯を作ることになってつゆだくの親子丼を作りましたよ。
あの店みたいななんていうのかなホワホワのやつは1つずつ作らないといけないのでめんどくさいけど、フライパンでいっぱい作るつゆだくのやつはいいね。これが家庭の味でいいんじゃないのかな。
 
それと昨日、肉屋の陳列棚で俺の方を物欲しげに見つめていた生牛すじ・ナマ、生牛すじと茄子の煮込みは、これは絶品だったね。
酒が進むわけだよね。
 
もう体が言うことをきかないよー。
それでも、Siriに頼んでタイマーかけてサックスをなんとか吹いた。
明日はY’s cafeでボッサのセッションなので何とか力を振り絞って何だっけ、「ブラックオルフェ」と「酒とバラの日々」を練習がてら吹いたんだ。感情に任せてやるだけなのさ。このおやじはまるで下痢便たれ流すみたいやるんやね。いやいや下痢の時は頭を使わなくても勝手に肛門括約筋とか直腸の運動が起こってるけど、サックスのアドリブの時はやっぱりどこかで酔っ払っていても覚めているんだね。だから失敗したらあちゃーって思うもんな。うーんCharlie Parkerは酒でベロベロになって吹いたと言うけど、やっぱりベロベロになると計算ができなくなってどんどん失敗の連鎖だから、我々みたいな素人で小物は、必死で考えながら吹いております。でもそこにタイムラグができて、そこからどんどん裂け目は広がってゆくんだよね。
 
Sorry baby 何もわからんけど
Sorrybaby 約束なんてとてもできたもんじゃないんだ
昔、Sionが歌ってたよね
 
そんな妄想の中でのたうち回っていたら、また雲の上でキャビンアテンダントをしているあの子の事思い出しちゃったよ。
オレはまだここで生きてるよ。
そんでね、生きてたら、生きてたらね、いろんなものが積もって積もって積もって、
雪のようにすべての光景を覆い尽くして、そして、細胞はどんどん変性して悪い病気にすり替わってゆくのもある種しょうがないことなんだよね。
この世のことわりだもんな。イエイイエイみんな元気か?
 

#533 つらいことがあっても飯はうまい。糞も出る。わはは。

ほんでもって、牛乳を入れてちょっとだけ塩コショウをして伊勢海老のちょっと薄めのビスクの完成。湯のみにバターを入れて、上から注いでいただくとちょうどいい感じでした。 バイオリンのレッスンが終わって へろへろになってエミフルの食品売り場を歩いていると、肉売り場にミラノ風カツレツがあった。 頭の中がミラノでいっぱいなったわけではないけど今日はちょっとインチキでそれを揚げ焼きにすることにして購入。ちゃんとトマトソースも付いてて257円 1枚でした。お得な感じかな。でも、ということはトンカツ定食のとんかつもそのぐらいの原価なのかなとか思ったりもしたりして、少し複雑な気分に。あとは水切り不要のちょっと固めの豆腐と明治屋のピーナッツバターでベースを作って、梨とわかめと塩もみしたきゅうりで作る白和えです。これはヘルシーで結構好きなんよね。 そうそう、冷凍のキッシュ、これはほうれん草とベーコンのやつ、を主食代わりに頂いてますよ。これも熱々ハフハフでうまうまでした。なんかずっと作っとるなあの、うちごはん。お粗末さまでした。

 

#532 「伊勢海老」ナイトごはん

頂いた伊勢海老をなんとかせんといかんと思って、それだけを考えて帰る。
しかし、仕事でやはり疲れ果てていて、買い物して帰る気力もない。
家にあるものだけで何とかしようと思って帰る。
まあ2つのパターンを考える。焼いたものとオーブンを使ったものと。
 
伊勢海老を縦に真っ二つに割って、それ頭と尾っぽをを一口大に切る。
海の味が付い海老に塩気があるので、そのまま茹でて、取り出したものをオリーブオイルで炒める。
潰したニンニクを入れて味をアブラに移す。
茹で汁も入れる。オイスターソースと紹興酒と塩コショウ味を整える。
これが一品目。
 
娘とハフハフ食べて、ハイボールも作って喉に流し込む( はい本当は調理中から飲んでますよ )。
 
エビは実はもう一匹ある。
2品目は何にしようかと思って、オーブンを使ったものを考える。
今度はまた胴体をねじってとって、腸を抜いて、頭は縦に2つに割る。ミソを取る。
それから 軽く塩を振って グリルで火を通す。
ミソとみりんと紹興酒で作ったソースみたいなものを、時々まわしかけて、それで10分ほど火を通して完成。
こちらには、グリルで加熱している間に作った、ゆで卵と玉ねぎとマヨネーズの簡易タルタルをかけていただく。
 
残った茹で汁のアクを取って、食べた後の海老の殻をバイタミックスに入れて スープの下地を作る。
これは明日完成させる予定なので、牛乳とか塩コショウとかもあまり入れずにおいておく。
試作品としてバターを溶かしてお湯のみで飲んでみる。
これはこれでいい感じ。
いわゆる海老のビスクというようなものなんだろうけど、以前作ったときははエビの殻をたくさん入れすぎてジャリジャリした食感がちょっと気になったので今回は空は少なめにしたのでした。
でもね、バイタミックスだけでスープができるんだから、本当にアメリカというのは恐ろしい国だと思いますよ。
・・前も書いたかな。
 
ほんと高タンパク質のうちごはんでした^^;
 

#531 2019/10/07 「四国透析療法学会」と「徳島うどん」と「伊勢海老」と。

昨日は6:20病院に集合して 、徳島まで「四国透析療法学会」。
9時前に着いたので、最初の学術賞症例演題から聴きはじめた。
10時のスポンサードセミナー、11時からの特別公演、12時からのランチョンセミナー、その後13:40から、うちの病院の発表3題で、結局ちょっと聞きたい演題があったので閉会の直前まで会場にほぼずっといることになった。
9時から16時まで、何時間だ? 7時間!勉強したことになる。
疲れたね。ランチョンセミナーのお弁当は鶏がコリコリして美味しかった。これが阿波尾鶏?
 
そんでまぁ一応帰り道のあれを振ってみると、やっぱり若者たちはまだ食べれます!とかいうので、美馬町(剣山の北あたり?)辺りの「手打ちうどん元」という店に行く。
行った時には人は全然いなかったんだけど、どんどんどんどん地元の人が増えてくる。人気店だったんだ。
うどんも美味しかった。野菜天ぶっかけ冷やを頼んで、お土産にうどん3人前も買っちゃいました。

 
それからスタッフの運転で病院に帰ってくると パジェロが ライトをつけたままで 駐車場に止まっている。
通りすがりに会釈をすると中は患者さんで、 なんと伊勢海老を持ってきてくれたと言う。
家に帰って家人の用意してくれてたご飯を食べさせてもらって、
一段落して、
 
やっぱり今日喰わんとみたいな話になって、
伊勢海老をネットで探してさばいて、身の方は刺身にして食べる。
コリコリプリプリ。
残った頭の方は出刃包丁で真っ二つにして、味噌汁にしようかと思ったけど、まぁお腹もいっぱいのこともあって、
オリーブオイルで焼いて、ワインで蒸して、最後にバターを絡める感じの洋風にする。
そのエビのエキスの出た油がもったいないので、自分は最後に奈良漬と一緒にチャーハンを作って食べる。
これがまた美味かったね。いやーすごいね伊勢海老。
 
・・疲れていても結局は料理をするんだよな、
俺ってやっぱり料理好きなんだよなあ・・と思った次第。
 

#530 久々の ひとり「原田芳雄祭り」(その10)と18歳の彼女の歌。

 
久々のという程でもなく、でっかいサイズでもないでしうけど、久々の ひとり「原田芳雄祭り」の開幕であります。
 
吉川晃司さんという人(本業はやっぱりsingerかな)がいて、
それはそれは彼のデビューの時は、ほんとに眩しく、まぁ最初の LP ?はよく聴いたものです。
「モニカ」という曲は今聞いてもウキウキするようなサウンドですよね。
その、デビューの頃の吉川さんと、あの大森一樹監督(今の人はわかるんかなあ、「風の歌を聴け」とか「ヒポクラテスたち」とか「ゴジラ」もやっとよねえ) がタッグを組んだ、
民川祐司三部作の第1弾「すかんぴんウォーク」と、第2弾「ユーガッタチャンス」には、我らが原田芳雄さんも出ております。
 
第一作では、広島から上京してきたゆうじ君と先輩の山田辰夫(彼の存在感がなんかいい味)に、借金の取り立てのバイトをさせるうさんくさいおっさんの役です。
 
芳雄さんは、どうしていつもサウナにいるんですか?みたいに聞かれて、
 
「おれはね、19の年にボクサーでいい線まで行ったんだよ。
でもガキができちまってね、それからはボクサーやめてたんだけど、女房もガキ連れて出て行っちまってね、
そんでまた復帰したいと、後楽園ホールに立ちたいと思ったわけさ。
でも気付いてみたらいつのまにか体重が大幅にオーバーしてて、階級一つ上がってんの、
だからね、それからはずっとサウナに通い続けて減量よ、
通い続けて十数年だけど、一向に体重は減らんのよね」 と 語るわけです。
それを聞いて吉川晃司が「嘘でしょ」と棒読み口調で言って、
原田芳雄さんが「ん?・・・嘘だよ・・それがどうかした?」っていつものあの軽妙洒脱な感じで言うわけですね。
 
このなんて言うのかなうまく言えないけど、
嘘なんだけど嘘じゃない、嘘じゃないんだけど嘘じゃないっていう、そういう気持ちって、尊敬するわけじゃないけど分かりますよね。
実は何日か前、 酔っ払ってフラフラ帰ろうとして歩いていたら、大街道の路上で18歳の女の子のライブをみつけたんですよね。
ギターもってあぐらかいて、アンプラグドでやってました。
彼女の歌を聴いてたら興奮して、座って1時間ぐらい彼女の歌を聴きながら体揺すってたんですけど、
彼女にだって彼女なりの色んなことがあるんだろうけど、それでも彼女がニュートラルにギターを弾いて歌を歌っている姿は地上から確実に数センチ浮かび上がってた天使のものであり、
この原田芳雄さんの人生に対するエクスキューズと、
かのじょね、なんて言うのかな、取り合わせが、自分の中では面白いなと思ったわけです。
いえいえ、俺は18歳の女の子になりたいわけでもなく、その場しのぎで屁理屈を言いながらサウナに座ってる原田芳雄さんになりたいわけでもなく、どちらも合わせ持っているようでどちらも併せ持っていないようでもあり。
 
そんな感想であります。
でも自分、どっちも欲しがっている、多分。おもしれーな、まったく、おもしれーよな。