だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#8 子供の卒業式でしたけど、自分は何から卒業したんでしょうね、って書くこと自体が、尾崎豊の呪縛がまだ続いてるってことなのかもしれませんが・・。

3月のはじめは子供の卒業式でした。

まあ彼女にはいろいろあったけど、これからも色いろあるわけで、でもそれは彼女自身の人生でもあるわけで、そこにおれたちの人生も当然オーバーラップするわけですけど。

 

自分の頃には、たしか尾崎豊さんとかが、「一体何から卒業すると言うんだ?」とか「この支配からの卒業」なんてアジテーションしてて、盗んだバイクを走らせて、校舎の窓を割って回るという過激な行為もあって、それもそれですけど、今の若者はもっと形のない呪縛に最初っから縛られているような気もして、それは我々もっともっと上の世代も同様で、だから、自分の責任は自分で取って、自分で納得して前に向いていっく人生しかもはやないんじゃないかと思うんですよね。

 

でもね、こんなこと書くとあれなんですけどね、おれはね、やっぱり学校ってやつはあんまり好きになれなかったなあ。先生個人が嫌いだったってわけじゃないけど(もちろん嫌いな奴はたくさんいたし、好きな先生もいた)、学校っていうシステム自体が、たとえ良く出来たものだったとしても、なんか自分に相容れないんですよね。おれはできたら個人として付き合って行きたかったけど、システムの中じゃそうはいかないんですよね。それも進学とか進級とかいういびつなカリキュラムをたった3年で成し遂げなくてはならないっていうまあジレンマが先生側にも生徒側にもあるわけで、だからその凝縮度がいいって考えもあるっちゃああるんですけどね。おれはなじまんかったなあ。まあ落ちこぼれといってくれていいですよ。その後の予備校の2年間が最も一人で「自分という存在ってなんなんだ」って一番考えさせてくれた時期だなんてちょっと皮肉でもありますよね。まあ、ここまで生きてくると、善悪とかでは判断できないのでこれくらいにしますけど、学校っていうタームの甘酸っぱさはちょっと自分には無縁ですね。だけどそんなシステムの中に自分だって今となっちゃ組み込まれて、そのシステムの中にいる「自分」としてしかみんな見てくれてないっていうのも重々承知はしているんですよ。ほら、なんか煮え切らん発言になるよね。

 

飛行機が、低い空をよぎって、松山空港に降りてゆくんですよね。

 

マツヤマって、四国って、島国なんで、遠くに行くときはほぼ多数の人が「空路」をイメージすると思うんですよね。空飛んで1時間ちょっとで花の都・東京ですし。空を超えて、地に足をつけたらそこがすでに異国(っていっても日本なんですけど)っていうのは、なんか素敵ですよね。不条理でもあり、浮世離れしてもおり。だから愛媛の人間は、普段は、自分の住んでるこの松山を結構愛することができるんだと思うんですよ。ニュアンス伝わりますか?ははは、ますますわけわからんですね。

 

まあこうやって垂れ流すように書いていくのが、こっちのblogのスタンスでありたいと思ってますんで。

 

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