だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#9 「シンプルに生きる」のはずが、なぜか「テニスボーイの憂鬱」村上龍さんにいっちゃったけどなあ。

「シンプルに生きる」(ドミニック・ローホー)という本を読んだような読まないような。
 
先日の東京への飛行機の行きと帰りで、一体いつ買ったんだ?のこの本を読んだ。
 
たぶん以前もめくったんだけど、こういう本は、シンプルであるがゆえに邪念が入らない環境で読まないといけない。
とかいいながら、行きの飛行機は窓際の席だったので、「富士山が間もなく・・」のアナウンスにつられて、写真をとったのだけどね。
 
 
実は、今、ちょっとした知り合いの美の求道者・キャサリン倉本さんの「美と健康ダイエット」という本も傍らにあって、
こちらはダイエットの本なんだけど、ダイエットの究極の目標は、「自分をリセットして、あらたなる人生を始める」ことなんだと思う。
今までの自分が書くあるべき自分になるためにいろんなメソッドや哲学がある、そのひとつが「to be simple」ということにも通ずるんだろう。
すなわち無駄を排して、己の欲するものの足るところを知る、ということだ。
 
こんな格言が書かれてたけど、まさに俺のことかな。
「貧しい旅行者とは、荷物をたくさん抱えている人のことをいう」(イギリスの格言)

できれば、iPhone片手ぐらいで旅にでたいもんですよね。

とかいいながら、新しく出来たアウトドアの「モンベル」ショップとかのぞきたくってウズウズしてるんだけど、ね。
 
モノは必要だ。でもモノはやがて心を縛ってゆくだろう。
モノに縛られないように、この長いようで短い人生で、今迄出会ったモノを慈しみ反芻しながら、
そいつらの中に、まかりなりでも熟成できてる自分が今ここにいるとしたら、ちょっとでも新たな価値を見つけていこうと思うんだよ。
「私の誕生日には特別美しいシャンパングラスを一つだけ、バカラかラリックのものを贈ってください。
私はものを所有したくもないし、責任ももちたくありません。
私の願いは、私が必用としているときにそこにあって欲しいということだけなのです。
あなたの首には美しい真珠のネックレスを選ぶことで満足しなさい。友達には、テタンジェのお酒一瓶または薄紫色のバラより長く持つプレゼントはいらないと言いなさい。
私はものはいらない。私が欲しいのは心地よい時間です」(アメリカのある女優の言葉)
なんてかっちょええの。
 
だけどそうそう立ち止まる時間もないことは確かだ。
みんな何をそんなに忙しく忙しく生きてんのって思いながらも、自分もその一員であることにはちがいない。
だから、自分のお金で自分の時間を買うことにした(アルバイトの先生を雇ってしばし自分がescapeするぐらいのことだけど、50歳過ぎた自分には十二分の戦略だった!)。
不遜な言い方に聞こえるかもしれないが、それもsimpleにする一つのメソッドなんだ。
 
酒飲みの卑しい自分には頭の痛い格言もあったよ。
「自由なひととは、ディナーの招待を言い訳することなく断れるひとである」(ジュール‥ルナール)だってさ!
 
そして最後におせっかいな自分はとどめを刺された。
ヒトにしてあげられることなんてない、もしあるとすればそれは自分の生き方を見せてあげることだということ。
 
いっつも引用する村上龍をまた引用しときましょうかね。
 
あれっ?ドミニク・ローホーさんとは、ちょっとニュアンス違うかも?
まあでも、輝き続けることが、きらめき続けることが、やっぱり自分の原点だからねえ。
 
 
もう終わりなのかも知れない、そんな思いがラケットを振るたびに頭をよぎった。
不在と寂しさのルートが壊れかけている。
会わないでいる時の寂しさが薄まったわけではない。
テニスボーイは今すぐにでも会いたいのだ。
今すぐ会いに行って手順通りに舐め合ったり噛み合ったりしたい。だがそれはしない。
それをしないということに気づいたのである。
できない、のではなく、しないのだ。
今までは、しない、ことに苛立っていた。
よくはわからないが今俺は何か大きなことをあきらめたのだ、そう思った。
人生はテニスのシングルスゲームと同じで、誰かが誰かを幸福にすることなどできない。
他人にしてやれることなど何もない。他人のことをわかってやるのも無理だ。他人を支配するのも無理だし、支配されることもできない。
人生はシャンペンだけだと思うか?そう吉野愛子は聞いた。
そうシャンペンだけだ、そう答えればよかったとテニスボーイは今思っている。
シャンペンが輝ける時間の象徴だとすれば、シャンペン以外は死と同じだ。キラキラと輝いていなければ、その人は死人だ。キラキラと輝くか、輝かないか、その二つしかない。そして、もし何か他人に対してできることがあるとすれば、キラキラしている自分を見せてやることだけだ。キラキラする自分を示し続ける自信がないとき、それはひとつの関係が終わる時を意味する。(「テニスボーイの憂鬱」p149)
 
誰かを幸福にすることなどできない、他人にしてやれることなんか何もない、他人をわかってあげるのも無理だ、他人に自分をわかって貰うのも無理だ、他人を支配するのも不可能だし、支配されることもできない、そのことを、女だけがわからせてくれる。電話をする度に胸が震えるような素晴らしい女だけが、そのことを教えてくれるのだ。他人は必要ではない、そんな生き方をしなければいけない。つまりグラスのシャンペンみたいにキラキラと輝いていなければならない。他人に対してできることは、キラキラと輝いている自分を見せてやることだけなのだ・・(P177)
 
中央に子供がいて、女が打つでたらめなボールを、男が必死に走りまわって打ちやすいいちに返してやる。
その状態は平和で幸福だ。平和とか幸福はそれ以外にはない、永久に続くものではないのだ。
そういうことに俺は一体いつ気付いたのだろうとテニスボーイは考える。
いろいろな出来事の繰り返しで気付いたのだ。
予習、授業、復習というあの勉学のサイクルと同じだ。同じ漢字を何度も書き写して覚える、あのパターンと同じだ。
おいしいビール、シャンペン、まずいビール、おいしいビール、シャンペン、まずいビール。その繰り返しの中でだけわかることなのだ。(p384)
 

テニスボーイの憂鬱