#13 今日もまんざらじゃなかった。
「点滴は天敵」と言われてた患者さんに、
「これはね、延命治療じゃないんで大丈夫ですよ」と点滴した。
今日は珍しく、
「友達にここの先生がいいって言われたんで」とホニャララの相談に来た若者とか、
「また先生の顔見に来るからね」と手を握ってくれたばあちゃんとか、
「精液の中のトリコモナス」の問い合わせしてきた彼女とかの件もあった(最後のはなんの脈絡もないですけど)。
誰かといっしょにいたいと思い、
いや一人のほうが気がらくだと思う。
相手を思いやれと誰かがおれの耳元でささやき、
おれはただただイラつきを増幅させる。
でもだからっと言って、今日がそう捨てたもんだったわけでもない。
今日もまんざらじゃなかった、
毎日がこんなにも疲弊して疲れているのに、
やはり患者さんを前にすると、なんかその気になるんだよね。
一体それにしても誰が決めるんだろうね?人生のスパンってやつを。
自分は多分「神様のカルテ」という小説も、櫻井翔くんの映画にも行かないだろうけど、作者の夏川草介さんの言葉にはなんだかしみじみしちゃったので引用をー。
地域で高齢者ばかりみていると、医者にできることは限られていると感じます。助かる人は助かりますが、介入しても、助からない人は助からない。夜中に患者さんが亡くなって死亡診断書を書いていると、人それぞれが”神様がつくったカルテ”を持っていて、僕ら医者はその道をただ追いかけるだけ。少しだけそばに居て患者さんを励ましたり寄り添ったり、そういう感覚がどんどん芽生え、その思いをタイトルにしました。
(Medical ASAHI p13)