昔、さいとうかずを氏の「サバイバル」とか流行ったよなあ。
同級生の美少女のお父さんのやられている床屋に行った時、 まとめて読むのがホント楽しみだった。
(のちの話では、 遠方のやつがわざわざその美少女に気に入られようと通っていたと いう・・)
小学校高学年になると、小学校の前の文具屋で、 気に入ったものだけ立ち読みしてたけど、それも一瞬のことで、 座ってじっくり読むような感じではなかった。
ジャンプが出て「ハレンチ学園」が一世を風靡して、 スカートめくりが流行り、PTAは紛糾したという話だが、
当事者の自分たちは、田舎の小学生で、 そんな深いことに頭が回る訳もなかった。
なぜならなにもないことにして第二部が始まったからなんだ。
永井豪先生の爆発するようなエンディングは、「ガクエン退屈男」 とか「ズバ蛮」にもみられる。かっこいいね。
今でも忘れられないのが、小学校の教師で、
彼は「巨人の星」の熱烈な信奉者で、
土曜だか日曜だかのTVアニメを見ていないと烈火のごとく起こっ て、生徒を立たせたり、殴ったり?したものだったけど、 あれにはほんと辟易したよなあ。
スポ根はやったよねえ。
でも、 みんなほんとに星飛雄馬や左門豊作になりたかったのかねえ?
大人は愚かだね、いつの時代も。
子供だって泣きたいのに、歯を食いしばって頑張ってる。
もう二度と自分たちのいた時代に帰れないと分かった後も、 なんとか気力を奮い起こして「未来の人類」たらんとする。
大人は絶望して死んじゃって、 やっぱりそうなんだろうなと妙に納得したりもした。
楽観主義とかでは決してない描き方をこの時代にしたのが楳図先生 のすごいところだと思う。
けど、希望なんてほんとにあるのかね?
でも希望を捨てた時、確実に希望はなくなっちゃうんだけどね。
たれながしの感想その他でした。
やっぱり永井豪先生の話に偏っちゃいますけど^^;