だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#82「チュニジアの夜」ならぬ「松山の夜」^^;

A Night at Birdland, Vol.1

毎年のこの時期にはBONUSというルーチンワークを済ませなければならない。

その後は決算に突入で、そのあとは納税なんだけど、この辺りは会計事務所さんがメイン。
前者が一応昨日で終わって、プチhighになって、「カリカリポテト」をあげた。
なぜかというとマルヨシセンター地産地消コーナーにちっちゃいジャガイモがいっぱい売ってあったからだ。
 
延々と20分くらい火を通して、最後に天ぷら鍋で皮のままきつね色になっている芋に、キッチンバサミで切り目を入れていく。
これで断面もカラカラに揚がるっていう荒業だ。
ふと思いついて、フィニッシュの少し前にやってみたのだがいい感じのカリカリくんだった。
そして芋の後には、ヤゲン軟骨と手羽元の唐揚げも。
隣のフライパンでは、アスパラ・ズッキーニ・エリンギをオリーブオイルで炒めて、最後にトマトときゅうりも加え、少し醤油を垂らして、サラダドレッシングでいただく。
「夏野菜の炒めものサラダ」だ。
 
料理を作りながらすでにビールは開けている。
食卓に料理を並べて、「羽田」という大吟醸をぐびっとやって、
料理食いながらはもっぱら、棚の奥から久々に取り出したバカラのグラスで(割れると泣くので買ったくせに滅多に使わない小心者!)「白州ハイボール」をぐびぐびと。
 
誰からも好かれる人間なんていやしない。
ということは誰からも嫌われる人間はいないってことなんだろうか?
このちっぽけな日本の、これまたちっぽけな四国という島で、たかだかうん十年の人生をこうやって生きてる。
あわない人間もたくさんいた。
でも去った人たちの背中を思うときまんざら捨てたもんでもなかったんじゃないかって想う夜もある。
まあそれは多分嘘だろう。あったらまたいさかうのだろうよ。了見の狭い男だもんな。
何かを選んで何かを捨てて、最後に残ったもんだけが正解なんて今のおれにはとても言えやしない。
でも、過去の自分の取捨選択で、今日の自分はできている。そのことを重く深く胸に刻んどけよな。お前。
 
sax friendのyukoちゃんにもらったLPを聴き始めた。
アート・ブレイキーの50年台のライブだ。
いかしている。おれはジャズのことは実はほぼわかっていないのだけれど、それでもこのうねりは感じ取ることができる。
その音から60年以上過ぎて、それでも再生され続けるその音たちの前で、人間の営みのはかなさをリフレインさせられて、
それでかどうか、昨夜は、高い摩天楼の上から海の底まで、結婚式をしてるはずの友人を探して旅する夢なんぞ見たのだった。
とうとう彼か彼女だかわかんない友達のところには・・・たどり着けなかったけどね。