だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#103 稲葉真弓と鈴木いづみと、ばあちゃんの死。

 どう切り出していいのかわからない。

死んだ人のことは、死んだ時にぶわっと思い出し・・というか、
訃報を聞いた時にドバっといろんなあれこれが勝手に思い浮かぶものだけど、
それからは波が引くように引いてしまうことが多い。
でも、何かの拍子でまた思い出すこともあったりしてで、それはそれでいいのかなと思ったりもして、なんともはや、である。
 
佐野洋子さんは、この世に死んだ人なんぞいないと言い切っておられ、
確かに「生きた人が死んだ人を思う世の中」があってそれが死んだ人をいかしているのだと、そのとおりなのだと、おれはそう思うのだよ。
だからおれの消滅ともに色んな物も消えてゆくんだけど、それはそれでよろしなのである。
 
今日、自分の手を随分前に離れていろんな施設をwonderingした末の訃報を聞いた。
おばあさんで、膀胱タンポナーデで、初めは出会ったのだ。
出会ったというのも変な話だが、長年の付き合いとなるとなんだかそんな夢の出来事みたいに思う時だってあるんだよ、医者と患者だって。
何年もの年月を過ぎて、今更、自分の上で看取りたいなどとはいいはしないが、
あのボケたばあちゃんのトークを二度と聞くことがないのだと思うとちょっとさびしい。
でもさびしいとこうやって思うことが彼女をこの世にとどめているのだと思いたいではないか。
 
ははは、堂々巡りだな。
 
小説家の稲葉真弓さんの訃報を新聞で知る。
膵臓癌と記されていた。享年64歳。
 
その直後に、Facebookの知り合いの方が、「エンドレスワルツ」の文庫本の写真をアップしていたのを見た。
彼女にとって稲葉さんの表現は唯一無二で、この小説をそれこそ何度も何度も繰り返し読んだのだと記しておられた。
それが、liveということなんだ、またおんなじことを思った。
 
実は彼女の小説は読んだことないのだけれど、「鈴木いづみ」と「阿部薫」と70年台を描いた『エンドレスワルツ』という小説は読もう読もうと思っていたのだった。
発表は1992年だとか。でもいつの間にか機会を失い、今回の訃報になったわけだ。
だから、自分が思い出したのはむしろ、サックスプレイヤーの阿部薫を失い、子供の眼前で首を吊って死んだ「鈴木いづみ」のことだった。
 
鈴木いづみとあったのは実は、とっくの昔に消滅してしまった国産SF雑誌「奇想天外」だった。
(この雑誌で星新一は天才少女・新井素子を見出した)
そこで彼女の短編の何とも言えない虚無とそれに裏打ちされた明るさに触れ、しかしその奥のどうしようもない諦念を、たかだか20歳位のおれが理解できるわけもなかった。
 
アラーキーの撮った鈴木いづみさんのヌード写真集もあった。
自分が唯一保存しているエロ雑誌「ウイークエンドスーパー」にも、鈴木いづみさんはエッセイを書かれていた。
それを目当てに(きわどい雑誌だけど、ほんとですよ)、毎月本屋をウロウロしたものだ。
 
そういった、空気だけが、時代を蘇らせてくれるというか、脳みその中にスペースを占拠してくれて、保存しておいてくれるのだろう。
だからkindleで手に入れるマンガやらは、多分、自分の中ではやはり、脳細胞の老化とともに消え行くものでしかないのだろう。
利便性とともに失うものもあるってことだ。
でもそれ以上に得るものだってあるんだしね。
 
なにを言いたいのかわからないけど稲葉さんの死は、そんなことどもを思い起こさせてくれたのだった。
 
Mさん、まとまりなくってすみません。
 

IZUMI,this bad girl. Nobuyoshi Araki+Izumi Suzuki