だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#106 girl in summer night という曲を書いているところ。

今、実は30年ぶりくらいに曲を作っている。
 
大学の時に、軽軽音楽部みたいなのに一瞬だけ在籍してたことがあって、そのころ、なんだかフォーク調の曲を作ったりした。
それが最後だったりする。
 
その時のあたりの稚拙な歌を、昨日中秋の名月に向かって、ベランダで、うちの犬達の横で歌ってみた。
犬達はおれを少し遠巻きにして眺めてたな。
ベランダには奴らがしたうんこが転がって、それでも月は綺麗だったな。
 
前にも書いたけど、実は、ここ1年ほどバンドに入れて頂いて、アコギを弾いて歌まで歌わせてもらっている。
申し訳ないくらいです。ホントすみません。
バンドは、キーボード・ベース・エレキで、自分がアコギだ。
ドラマーの方が病気で亡くなられてからは、ドラマーの席は不在で、彼の音源やら打ち込みで練習はなされていた。
そのバンド「HOBOH」の前回の練習に、20代のドラマーの女の方が初めて参加された。
 
彼女の太鼓をバックに、演奏していると、下手くそなりに(まあ自分だけが下手っちゅうことですが・・)、なんだかとってもハッピーで、
この太鼓を叩いて頂いて、自分で作った歌を歌えたりしたらさぞかし楽しいだろうな、などと、
不謹慎なことを思ったのだった。
 
それで、ギターを掻き鳴らして♬フフフフフンとか歌ってみたりする。
この口から出るフレーズだって、まあもしかしたら誰かのパクリのメロディかもしれないし、稚拙なリフレインにすぎないかもしれない。
でも、今回はそれなりに歳をとった自分を素直に表しながらもpopなものを目指せたらいいなと、頭のなかでは大滝詠一先生を浮かべたりしながら書いた。
それが以下の歌詞だ。
 
昔なら、別れた二人は花火の夜に、あの場所で会おう、もう一度やり直そうって思うんだろうけど、今は違う。
せめて話せたらいいねって、奥ゆかしく、というか半分諦めみたいなふうに呟くだけだ。
そのくらいでいいんだと思うよ。
夢やら幻想は終わった、それでも信じられるものがあればそれが一番いいんだろうと思う。
それが、「いつかまた話せるさそんな気がするだけさ」というフレーズになった。
やり直すことは多分なく、なんとかあって笑顔で話せたらと、そう思うくらいだ、それだけでも大したもんじゃないのか?
 
しょぼいけどね。
 
でもそれが50男の現実だろうと思う。
きみを抱きたいみたいなんて、言えやしない。
それでも現実の世界では、今日も桟橋が崩れ落ち、男が燃えていて、戦争は続いてるんだ・・なんて非情な世界だろう。
この狭い島国で、僕らは団塊の世代の下のおっさんたちは一体何処に向かっていってるんだろうね?
そんな気分でこの物悲しいラブソングを書いているのだった。
 
Girl in summer night
 
浮わ気な僕の心を 
キミは知ってたね
僕の耳元に吐息で囁いたコトバ
 
今夜わたしを放さないで
あなたの魔法も わたしの呪文もここではなにも通じないのよ(cho:in this world)
 
夏の花火の火薬が
鼻孔をくすぐる
酔って溺れた海の底 キミがぼやけてく
 
魂なくした身体がキミを見失う
桟橋が崩れ落ちて 涙が溢れ出す(cho:from this world)
 
girl in summer night あの頃の二人が 
girl in summer night 今も見えるよ
遠い雷(かみなり) にわか雨 キミの甘い香り
いつかまた話せるさそんな気がするだけさ 
 
夏の盛りの吟醸酒
はしゃぐ浴衣越し
うちわの金魚 ぬるい風 裾から覗く脚
 
いつか見た夢の中 キミが泣いていた
声をかけることができず きびすを返した
 
雷(いかづち)が西の空に 
夜を昼にかえてゆく
振り向くキミの顔が 人混みに呑まれてく
 
屋台の男が燃える 人生と引き換えに
売るものなんてなにもない ただ自分を燃やすだけ
 
girl in summer night キミの涙の訳が
girl in summer night 今頃わかるよ
汽車はもう駅を出て あの街を過ぎたところ
残されたホームには ボクも猫もいない
 
  あの頃に帰りたいと (夢の中)ボクが泣いている
  手を伸ばせば届きそうな キミの背中越し 
 
girl in summer night あの頃の二人が 
girl in summer night 今も見えるよ
季節は巡って二人離れ離れだけど
いつかまた話せるさそんな気がするだけさ
 
girl in summer night 
girl in summer night 
girl in summer night