だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#183 「いつか街で会ったなら」

御荘牡蠣のグラタン

 

いつまでたってもおれは吉田拓郎だな。

朝ふと口ずさんだのは、中村雅俊さんが歌った「いつか街で会ったなら」だった。

拓郎の作った歌だ。作詞は違うけど。

木曜の夜はファミリーで食事をした。フレンチのフルコースだ。アットホームだけど格調高い店で、テーブルを囲んだ。

子供はまた1年間、受験に向けて新たな日々を始める。ゴールは自分の手で勝ち取るものには違いないけどそれは決して約束されているものではない・・・というのなんとも辛い話だ。しかしそれが受験というものだ。決めるのは自分ではない。入れてくれる学校のほうだからね。そしてそれはがむしゃらな努力だけではどうにもならない部分もあり、そのためのスキルも必要になってくる(もちろん学力アップが大前提だけど)。

でも、とにかく、彼女は頑張るという。言った。親にできることなんてありはしない。もう1年を頑張るために必要なのは、1年とか数年先の自分の姿を想像するという行為なのかなと思う。だけど、自分が19歳の時にそんな想像力があったのかと言われるとわからなくなる。

1年京都で浪人してまたどこにも受からなかったあの時、おれは自分のための「席」がこの世界のどこにもないという実感だけを味わったのを覚えている。いくら能書きたれても、お前の席なんてどこにもないんだよ、って、誰も彼も、通りすがりのヒトでさえおれに告げてる気がしたんだ。だから自分のいる場所を手に入れようとした。そんな日々だった気がする。もうわからないけど。

そして医者になって何十年。ブラックジャックはヒトを助ける。ドクターキリコはヒトを死に導く。でも、どっちもおんなじことをしているのかもしれないな。そう最近おれは思うようになったりもしている。医学と医術が違うってことも身にしみてきた。

そんな思いとは関係もなく、時は流れる、ヒトは死ぬ。時に抗うことなど誰もできない。オレもこの場所にいるのは多く見積もってもたかだかあと数十年だ。いつのまにか次の世代に取って代わられ、その世代もまた滅してゆく。地球の行く末はわからない。陽水の歌う「最後のニュース」を最後に誰が流すのかもわからない。かなたの街できみに会ってももう君のことが思い出せないのかもしれない。

だからかだけどか、「それでもいつかどこかの街で会ったなら、肩を叩いて微笑みあおう」ではないか。友よ。

微笑みあえたら、許せなかったことももしかしたらとっくの昔に許せていることに気づけるかもしれないではないか。友よ。