みんなも一度は読んだことあるだろう「星の王子様」。
自分は、中学校の時、演劇部でこいつを演じた。いやはや恐れを知らんがきだな。
自分の役は砂漠に着陸するパイロットだった(作者のサン・テグジュペリもパイロットであった)。そうそう、もしかしたら主役やん!
いやあ、王子様は死んでいなくなっちゃうんだけど、幼いなりにあの本からはいろんなことを教わったなあ。なのに人間としての出来上がりがこんなんですみませんなんだけど・・。
「星の王子様」もたくさんの新訳本が出た。この物語自体がシンプルな方なので、もとの翻訳も古びてないけど、新しい訳の方はどんなんだろうね。
古典として残っていくものには、それなりの理由がきちんとあるわけで、でも古典というものは忘れ去られがちでもある。それは、昔の本は訳が古くさかったり、文字が詰まり過ぎたりしているのも一因ではある。
だから、最近、新訳での古典リリースが出るのはありがたいことで、「星の王子様」以外の名作も、現代的な文章で読み返せるので嬉しい。そこには新たな発見があるはずだ。
朝日新聞に山本容子さんが「星の王子様」(池澤夏樹訳)について語られている文章が素敵だった。
そう、真剣に遊ばないと遊び続けることはできない。真剣に生きないとそれは死んでることだというのと同様に。
とくに私が好きなのは、最後に王子さまがいなくなる悲しい場面だけど、読んだあと必ず星が見たくなるから不思議。星を見ながら王子さまやバラの花のその後をどう思うかで星が笑ったり、星が泣いたり、どこか仏教の無常観に通じるようにも思えます。星の音が聞こえるなんていいじゃない。
これは想像力を働かせることの大切さを教えていて、想像力で世の中の風景、見え方がぜんぶ変わるということ。そして想像力を働かせて相手との責任ある相互関係が生まれなければ「肝心なものは見えてこない」ということ。
それは私の絵画の創作や遊び観にもつながっていて、遊びって知力や体力、五感、道具、美的センスなどあらゆるものを使わなければ楽しくないでしょ。頭だけ使う一方通行の遊びは飽きちゃう。そして真剣に遊ばないと遊び続けることはできないのよね。この本はそのことを教えてくれる。