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だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#321 「迷宮カフェ」(骨髄バンク普及映画)をみる。

日々の戯れ言 CINEMA 医学・医療・病院

迷宮カフェ [DVD]

 
「迷宮カフェ」という映画のDVDをやっと観る。
 
骨髄バンク普及映画を作る会」というところから賛助案内が来て、病院からも協賛したのでDVDが送られてきたのだ。長い間、バッグの底に眠っていたのをようやく観る。
 
プロパガンダ映画ではなく、生と死に関してstory的に洞察を加えたまっとうな映画だった。でもちょっとてんこ盛り過ぎて、引く場面もあったけどね。
それでも「命」というものの重さは何物にも代えがたいということは、十分理解できたので、まあ病気って辛気臭いことではあるけれど、誰かの善意があれば助かる病気もあるってことをみんなが知ることだけでも素晴らしいと思う。
 
・・・なんかありきたりの感想になっちゃったな。
 
ちゃんと、エンドロールのところの「協力いただいた方」みたいなところにうちの病院の名前も入っていて、個人的ではありますが「おおっ!」てなりましたよ。
 
自分の関わりあっている世界では、「腎移植のドナー登録」というものがあって、今では免許証の裏に臓器提供の意思をサインするところもできたりしている。自分は一応全て利用できる臓器は利用してもらってOKにしてるけど、まあこれも考え方だから、他人のことをとやかくいうものでもない。
 
自分は、自分の脳味噌が活動を停止することがわかっていて、その前に、自分の臓器が誰かのお役に立てるのならそれは素晴らしいことだと思うだけのことだ。臓器には意志はないし、神も宿ってないだろうけど、臓器が健全に機能してこその生命であり、臓器を含めた生命活動の上に、やはりヒトの生活というものは成り立ってるからねえ。
 
人工透析という治療を自分の病院ではしてるけど、あれは、ロストした腎臓の機能を、血液を体外で何度となくろ過することで、腎臓の機能を肩代わりするというものだ。
でも健常人の腎臓は24時間フル稼働している。それと比べると透析は平均すると1回4時間の週3回の作業であり、たったの12時間/週だ。24*7時間/週稼働している正常腎臓に比較すると、ほんの一部の機能を肩代わりで来てるだけのことにしか過ぎない。それでも10年やら20年は頑張り続けることだって可能だ。でもやはり腎移植に比較するとほんとに一部の機能の肩代わりしかできていない。
だからそれをたかだか10年と考えるか、まだ10年いけるよって考えるかでも、いろんなことが大きく変わってくると思う。
 
C型肝炎が内服薬でほぼ100%治る時代がやってきたりと、医学の進歩の恩恵を受けるヒトだって随分増えた。だから人間の進歩ってそう捨てたものでもないなとは思うのだが、それでも治らない病気やら老化とか認知症はまだまだ人類の前に大きな壁としてそびえ立っている。でも、自分が医者になった頃と比較すると、昨日は泌尿器科の新教授の「ロボット手術」の講演も聴いたわけだけど(昨日は愛媛県泌尿器科医会だった。)、隔世の感ありの進歩ですよね。自分らの頃は前立腺の手術はホント血の海って感じでしたもんね。
 
逆に命が有限だという理屈もよくわかる。医学とかはそれに棹さしてる部分だってないわけではないというのもわかる。だから、人間が人間として、人間の尊厳を持って生きていくために、そのために医学やら文明はあるのだと思う。この年老いて朽ちてゆきかけているbodyという名のマシンにおれも乗っているのだからね。
騙し騙しながらもなんとかやってこうと思うのは、自分が「自分」であろうとするありたいとする意思故にだろう。
そう信じたい。自分の舵は自分でとりたいじゃない?
 
一応健常人の自分に、おまえに病人の気持ちがわかるかと声を上げられることもあるが、ほんとそのとおりなんだからしかたない。100%共有することなんてできっこない。ひんしゅくを買うかもしれないけど、正直あなたの気持ちなんてわかりませんよ。
でも夫婦だって他人だし、子供と自分だって別だ。子供は親の所有物でもない。他人はやっぱり他人だ。わかった気になることだってあるけど、やっぱり本質は違うと思うんですよね。でも違うからこそ努力が生まれるんでしょ。
 
また大風呂敷広げてまとまらなくなりつつあるけど、
ただだた、限りある人生の中で、誰かに取捨選択されるのではなく、自分の意志を優先した上で、生きていきたいと思うのだ。それは病気云々にかぎらず、いきとしいけるものすべてがそうありたいものだって思うんですけどね。