だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#325 「春に散る」の最終回をもう一回読んでみる。

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「生まれかわったら」とつぶやいてみる。
生まれかわったら、生まれかわったら、生まれかわってなにかが変わるのなら今ここで死ね。死んでみろ。
そう言いたい。
生まれかわって変えられるものなら、今からのこの残り少ない人生で変えてみせろ。
それができんのならそれは自分が変えたくないってことだよ。
 
そういう風に言うと、そんなこと言ったってあなたみたいにみんなが恵まれてるんじゃないんだからと必ずチャチャ入れるやつがいるけど、
小心者だから気にしながらも、スルーすることがちょっとだけできるようになってきましたよ。
ほんとちょっとだけですけどね。
ダテに長い年月生きてないってことでしょうかねえ。
 
誰かの為とか愛する人とか、何かを成し遂げるまでは歯を食いしばるとか、
そんなのもホントは嘘だな。
でも快楽原則が第一なら、労働は一体なんだってなるし、
旨いもの喰って酒飲んで寝ればそれで天国かって言うとそれも違うし、
なかなか人間ってやつはややこしいよな。
 
一番じゃないとだめだよとか言われたり、
行って勝ってこいと言われて、金メダルだけが唯一だったり、
その舌も乾かないうちに、あなたは世界でたったひとつだけの花だとか言われてもねえ、
 
上等だ、あんたっも身勝手なら、オレも身勝手でいきたいけど、そうも現実問題イカンわなあ。
 
こうやって病院にやってきて、時間の流れに乗って仕事して、
急患の方を診て、
どうして今日は休みなん?いや今日は世の中が休みなんですよね、ふーん、とか言いながら膀胱洗浄したり、
ヤバそうな患者さんの紹介状を書いてみたり、
残った書類の整理をしたり、
それが実はおまんまの種であり、自分の存在理由でもあったりして、
そんなもんかい、そんなもんだろ、ってね、
なんだかわからなくなるけどそれがあたりまえの日々なんだよなあという堂々巡りの後退しかけた思考の中で、
やっぱりあの娘は笑ってくれてみたりするんだ。
 
沢木耕太郎さんが朝日新聞に連載した、引退した元ボクサーの老人の物語「春に散る」を、自分は毎日読み続けた。
彼は小説家ではないと読みながら思ったけど、それでも読み続けた。
新聞の連載小説を読むのは、村上龍の「55歳からのハローライフ」以来だ。
 
主人公の広岡が最後に言うセリフを引用。
 
そうか、自分は、ただ歩いていきたかっただけなのだな、と。
何かを手に入れるためでもなければ、何かを成し遂げるためでもなく、
ただその場に止(とど)まりたくないという思いだけで、ここまだ歩き続けてきたのだな、と。

 

そんなセリフが妙にストンと落ちる日もあるさ。
そして、嘘だとかホントだとかそんなことはどうだって良かったんだよって、今気づいた。