命が滅したら自分の体得した経典や得法はどこに行くと彼らは考えたんだろう。
それでも唐に臨み、仏典を希求する。
彼の地で視力を失いながらも、自らが求めて、日本に戒律を授けにやってきた鑑真和尚。
盲いた瞳で、この異国で、彼がみていたものはなんだったんだろう。
仏は此処にあり、個々にあり、汝とともにあり、そういうことなのか。
おれは、疲れた脚で、法隆寺の境内をゆらゆらと歩いたんだ。
多分、幾多の国宝の仏像たちのありがたさは、容易に通り過ぎていったんだと思う。
それでも、法隆寺の猫は、石碑の前に佇み、悠久の時の流れと対峙しているように見えた。
器を作ればそこに精神(こころ)が宿り、木の仏像もやがて仏になり、あまねく世界を永劫に照らしてくれるだろう。
だけど、薄らさみしい奴婢の女の長恨歌のように、
おれは奈良の闇をどこかで感じていたんだ。