だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#377 54歳からのピアノ その9 「新しい電子ピアノを買いますよ」


pianogirl

ピアノを始めるきっかけは書いたような気がする。
 
近隣の開業医のセンセイが51歳で急逝された。彼は音楽に造詣が深く、シャンソンとかのボーカリストもされていた。ほんとに急なことだった。葬儀の場で彼のliveのビデオが流れていた。かっこいい。でも彼はもうこの世に居ないのだという巨大な喪失感と虚無が押し寄せて、たまらなくなった。亡くなる2w前は一緒に飲んだのに。まあ俗に言う生き急いだ感のある人ではあったけど。人生の時間なんて誰にも規定なんて出来はしない。
 
自分もその前に、50歳に踏み込んでからもう一度音楽というものに向かい合いたいと思って、いろいろ手を出したところで、それさえもがアップアップだった。
ピアノも実はやりたいと思っていた。
でもこれ以上楽器数を増やすことは困難だったので、自分で定年と定めている65歳から始めようと言い聞かせていたのでした。
なのに、人生に残された時間は限りあるという現実を叩きつけられて、居てもたっても居られなくなったのだ。
 
うちに、ちょうど子供が小学校かその前からすると言うので購入したYAMAHAの電子ピアノ「クラビノーバ」があったのも後押しした一因ではある。
なわけで、例の島村楽器で、卒業したての可愛らしいあゆみ先生に教わることになった。
これが「54歳からのピアノ」というわけである。
 
それからもう数年たったのに、皆様にお聴かせできるかというとそんなことは全然ない。
悪戦苦闘の日々である。
でも、一時はもういいかと思ったのにやはり続いているのである。
 
岡山の実家にも実はグランドピアノがあった。
うちの死んだ親父は、チェロを弾いていた。その頃日本の円は力も持っておらず、日本も決して強い国ではなかったのだと思う。初任給をつぎ込んで(当時付き合っていたこれまた死んだおふくろの了承を得て)スズキのチェロを買ったらしい。たぶん彼にとって、音楽のある生活というのは、理想だったのだろう。なので、誰も弾けるヒトは居ないのに、グランドピアノを購入した。一時期は実家にトランペットもあったなあ。
親父の晩年は、月に一度、pianoを教えているような方にお金を払って自宅まで来ていただいて、グランドピアノの演奏で、ブラームスとかを弾いていたらしい。お世辞にもうまいとはいえなかった気がするが、今思うと、自分もバイオリン再開したわけだし、実家の「グランドピアノ」刷り込み効果もあってか、54歳でpiano始めたし、まあやはりおんなじような血が流れてるのかもしらん。
 
ではなぜ音楽を続けるのか?
 
それは嬉しいときに嬉しい音楽をちょっと座って奏でたり、悲しいときにはバーボンのグラスでも片手において、渋いブルースを弾いてみたりしたいからなのかなあと最近思った。
酔っ払って叫んだり、酔っ払ってついつい人恋しくなって、一人で商店街の柱に持たれて地べたに座って、目の前を過ぎてゆく若者たちを眺めてるときに思う、寂寥と孤独を伴った不思議な開放感と、それはある種似ているのかもしれないなあなどと・・。
 
でも、その流れてきた音が、自分の手によって奏でられた音が、自分をある程度納得させられないとね、いかんのですよね。そのための技術であり練習であり、その上での演奏なんだと思うんですよね。
脳内で鳴ってる音の5%くらいが自分の手で再現できたら、それで十分なんですよね!いやほんと。
 
そんなわけで、15年位たって、今回、あたらしいクラビノーバを購入することにしました。
 
CLP685という機種で、やっぱりYANAHAさんである。
グランドピアノのタッチを再現しているというのがどうも売り物らしい。
島村楽器の売り場で何回か弾かせてもらったのだ。
今の楽器は古いせいか、キーが反応してくれないことが多いのだ。すごく踏み込みが硬い感じ。まあそれと自分の下手さは関係などありはしないんだけどね。
新しい楽器はいい。気分まで浮き浮きさせてくれる。
自分で買うはじめてのピアノってことでもあるしね。
 
まあ、それがもうちょっと生きたいという理由になればそれもありかな。