だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#381 Talk about…2017/07/05 VOL.2.夜更かしってやつ


midnight


夜更かしすることは今は殆ど無い。
唯一あるとすれば、患者さんの様態が悪いときとか、お酒を飲んで時間の感覚を失ったときだろう。
でも、遅くまで飲んだとしても、朝の白茶けた風景とか、ゴミ箱の上に君臨するカラスとかを見るまでに至ることはもうない。
まあ酒飲みの朝帰りには後ろめたさがつきものってことで、みんな多くを語りたがらない。
1年に1回位、夜中すぎの大街道で、でかいアーケードの柱に持たれて地べたに座り込んで、ヘラヘラすることがあるくらいだ。
もちろん誰も声をかけてもくれずに通り過ぎてくだけだ。
 
で、今は、夜遅くになると、コンセント抜かれたみたいに力が抜ける。
自分の場合たぶん22時とかそのあたりかな。かつて睡眠薬を飲んでた頃のことがまるで嘘みたいだ。(たぶんあの頃抱いてた焦燥感と、今抱いてる焦燥感の質が変わってきたのだと思う。今のはもうあとはないよの焦燥感なのか?)
それでも何かをしなければならない時があって、そんなときには「立ち向かって」いるそれなりにパワーが湧いてきて、そしていつの間にかハイになってくる。
 
そうやって先日もadlibをなんとか作り上げた。
 
でも夜の明かりの中で作られたものは、必ず、陽の光の下で何度も検証した方がいい。夜の暗闇は、意味のない自信を与えてくれることもあるが、それが、ちゃんとお天道様の下でも通用するかどうか、検証して何度も何度もブラッシュアップして、それでなんぼのものなのだと思う。
でも夜が与えてくれる開放感と万能感はやっぱり特別だなあ。抗いがたいマジックが夜の底にはある。
 
村上龍の小説に「限りなく透明に近いブルー」というのがあある。このタイトルは実は朝の空の色のことではない。そして、彼の考えていた原題は「クリトリスにバターを」だったとか。
でも、以下の引用をまたじっくり眺めて、自分は、見る人にもならないし、ガラスの破片にもならないだろうと思った。
空が明るくなる前の一瞬のあの色を写し込んだ魔法のガラス、それはやはり、夜の跳梁者の残していった刻印でしかないのだと思う。
それは朝になったら晒し者にされるかもしれないギリギリ手前の夜の魔法なんだ。
 
血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。
限りなく透明に近いブルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたいと思った。僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った。
空の端が明るく濁り、ガラスの破片はすぐに曇ってしまった。鳥の声が聞こえるともうガラスには何も映っていない。 (ブルーより)

 

なんか無意識下から龍さんが出てきたので、昔のblogの引用から(2009/5/7)
 
新装版『限りなく透明に近いブルー』が出たのを機会に、おそらく十数年ぶりにこの小説を読む。言わずと知れた村上龍のデビュー作兼芥川賞受賞作である。1978年のリリースということで、この年自分は高校3年生だった。冒頭でも述べたようにSF少年だった自分にはこの小説は縁がなかったし、田舎のノンポリ高校生だった自分には、なんせ内容にある、ドラッグ・米軍基地・乱交パーティ・日比谷野音・ロック(ドアーズ、ストーンズ、ジャニス、ジミヘンなど)・地下鉄とかの全てが、自分にはイメージできかねるものだったし。同級生の三村君が淡い水彩画で書かれたような表紙のハードカバー本を貸してくれ、まさにリリースされたその年に読んだのだけど、彼はどうしてあの本を僕に貸してくれたんだろうか。
 
そんなスタートからもう何十年も経過したが、村上龍氏は今では自分の世界になくてはならない人物になっている。今現在の龍氏はこの小説をどう評するんだろうか?そして、amazonに皆さんが少々批判的に書いているとおり、村上龍氏のビジネス雑誌連載をまとめたエッセイ『無趣味のすすめ』が9万部を突破したと朝日新聞の広告に載っている。コアな読者でもそう購入しないようなこの手の本を購入している層を是非見てみたいものだと思った。龍氏のエッセイは一見それっぽくって確信犯的だけど、次の瞬間にあれは全部ウソでしたといわれてもしょうがないようなものだと割り切ったほうがいい。
心に残る村上春樹氏との対談にこんな一節がある。戦場で前線に二人はいる。春樹氏が弾に撃たれるかなんかしてしまう。龍氏は1時間ぐらい看病したあとが「春樹さんおれ助け呼んでくるからそこで待っててよ」そういって後退したまま龍氏は帰ってこない。ああ俺はここで死んじゃうんだよなあ、まあいいか、龍だから、と、春樹氏はつぶやく。村上龍はそれでも許せるような人間である、と。これは実にいいエピソードである。このニュアンスが判るヒトには村上龍のエッセイはわかるような気がするのだが・・・。