だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#386 Talk about…2017/06/28 VOL.7. playing violin,playing sax.

2017/06/28は、ウクレレデュオ「オルオル」さんをバックにviolinを弾かせてもらいました。
曲は「バードランドの子守唄」、なんか、2回もやらせてもらえました。
自分だけではなかなか独り立ちできず、violinの先生に3rd positionの指使いを教えてもらったり、自分で作ったアドリブを今回はきっちり譜面にして、それを練習してのぞみました。
ホントは心の赴くがままに、音を紡ぎ出せればいいんでしょうけど、現時点ではその方法論は時期尚早と判断したわけです。
毎月、新しい曲を自分で決めて、それをどういう風に弾くか考えて、アレンジして、それで必死こいて練習してplayするんですけど、そうやって人前でできるのも、一緒に演奏してくださるスーパーミュージシャンの皆さんがいるおかげなんですよね。感謝です。
 
以下、独白です。
 
そうだよね。
JAZZは自由だよね。
例えばBeatlesのコピーをするのもすごいことだけど、下手くそでも自分のjazzをplayできたらいい。
でもおれのサキソフォンから出る音のなんとしょぼいことか。
一瞬だけでも楽譜から自由になってダンスが踊れたらいいのにね。
でもそのためにはやっぱり無茶苦茶な演奏ではだめなんだと思うんだよ。
だから、練習したり理論を学んだりするんだけど、自分の中から出てくるのは、やっぱり自分に縫い付けられた音だな、残念ながら、まだまだ。
 
まだまだまだまだ。
 
人生は一回こっきりだからね、そして始めるのに遅すぎることなんてきっとないのだと思う。
多分この文章は自分に必死で言い聞かせる目的で書かれてるんだろうね。
何回も書くけど、自分は、50を過ぎてから再び、やっとの思いで、「音楽」に邂逅できた気がするんだ。
自然にしてたら全てはこの指の隙間からこぼれ落ちていってしまうんだよ。
ぼやぼやしてたらいつの間にか棺桶の中で寝てたっと事にもなりかねない。
だから、せこいとかいわれても、意識的に「音」に向かい合う方法論しか持ち合わせてないんだ。
そして、今度こそは、長く付き合っていこうと思うんだよ。
 
竹原ピストルさんが、旅しながら全国の色んな場所で歌い続ける姿はあまりにもかっこよすぎたから、
玉置浩二さんのギターと声はあまりにもsexyだったから、
Kaori嬢のウクレレの弦を弾く指から溢れ出すなんていうのかなpassionのようなもの、
そんなこんなが、おれに力をくれもし、容赦なく打ちのめしてゆく。
戦争の足音がする国で、ピストルの代わりに、自分はやっぱり楽器を携えて、踊っていたいよ。
 
【追記】
まあ、それから進歩があるのかと言われると疑問ですけどね。
実は台に立てかけてたサックスが何故か自重でゴトンと落ちて、そんなに大した振動でもないはずなんですけど、吹いてみたら、なんか出るはずの音が出にくかったり、1オクターブ裏返ったりする。見た目に凹んでるとかはないんですけどね。
それで、現在マイ・サックスはドナドナで修理中で、バランス調整とか内部の油の補充とかそんな最中だそうです。なのでなんだか気が抜けた状態であるわけなんですけどね。