だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#524 「求めよ、そして応えよ、さらば与えられん(そうすればきっとろくでもないことでも決して無益ではない何かがきみに与えられるよ)」

 
この歳になると、本当に自分の居場所にだけいても何も起こらないことがよく分かる。
(そうでもないよという話もあるけど・・)
からしつこいぐらいに求めている。そうなんだよ、ほんとそうなんだよ。
 
現在の自分のことを知ってる人は、本当にこのおっさん積極的よねえくらい思っているんだろうけど、実は自分では内向的な面の方がまだまだ強いと思っている。でも内向的で、一人で穴掘ってても光は見えてこなかったので、もう多分半分以上過ぎた人生、恥ずかしくってもしたいことはしとこうと本当思ったのですよ。だから、50歳からが自分の第二の青春だと思って。今日も、腹立たしくも慌ただしくも、駆け始めるわけです。
 
だから、「求めよ、さらば与えられん」という言葉に対しては非常に リスペクトを感じている。
いつもlabor(労働 与えられた最低限の仕事をこなすといった意味で自分は使ってるなあ)という言葉を使うけど、
与えられた仕事 さえも できない(60%でいいのかってことですけど) 人間に、
何がクリエイティブなことが本当にできるのだろうか?
そしてその人はなにを考えて日々生きてるのだろうかと傲慢にも思うことがある。
 
自分がそんなにほめられる人間ではなく、
好き嫌いの多い人間であることも、たまたま院長なんてポジションに付いただけの成り上がりだということも知ってる。
 
けど、そこから先は、ホント自分で切り開くしかなく、 学校でぽーっと口を開けて教師の言うことを聞いてるだけの人生なんて、本当に人生の一瞬だけなんだってことをいつになったら君たちはさとるのよって、ほんとえらそうに思うわけですよ。
そこに「適材適所」とかいう都合のいい言葉がハメられるのかなーとも思ってみたりするけど、
なあにが「適材適所」だ、「あなたの場所で咲きなさい」だ、とときに腹立たしくなるわけです。
求めたら、返さなくてはね。
返せるものがたとえ稚拙でもいいじゃないか、とそう思うんです。
 
だから、続きがあるのだ「求めよ、そして応えよ、さらば与えられん(そうすればきっとろくでもないことでも決して無益ではない何かがきみに与えられるよ)」ってことなのだ。
 
またまた、中村雅俊さんの「俺たちの旅」だけど、
劇中歌だったかな、「ただお前がいい」って歌があって、
それは確か小椋佳さんの歌で、
 
♪また会う約束などすることもなく
それじゃあまたなと別れるときの
お前がいい・・
 
上で書いてることとちょっと違うけど、
じゃあねと別れていつ会うかわからなくても(あの世で会うかもというような話も最近ではあったりする^^;)、
心の中に、思い出せばちょっとだけでも蘇るような、そんな関係も悪くはないなと思うんだ。
 
 
SNS に対しては否定的な意見も多いけど、
自分はポジティブで接している限りはポジティブの方が勝つのだといつも思っている。
ネット上で知り合って、会うこともなく(必然的に)距離を置いて付き合って、そして多分一生会うこともないだろう方から、家族の肖像のオファーを受けたのは多分数ヶ月前だった。
とても無理だなあと思ったけど、昨日ちょっと発作的に頑張って描いてみた。
カレは遠い土地にいて、知らない間に結婚して、子供さんもできて、どうも自分の家まで建てちゃったみたいだ。本当に何をしている人なのか全然わからないけどたまに 文章とか写真で知り合うそれだけの関係の方の家族の絵を描いていたら、なんだかこちらも幸せをもらったような気がした。
それはそれでいいんじゃないのかな。
 
まとまりが無くなってきたので、このへんで。
色々あるけど、天から何かが降ってくるのを待つだけの人生はもう辞めにしたってことで。