だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#604 だからおれは多分「死」はまだ選択しない。

岩井俊二監督のYouTubeのサイトで、「チャンオクの手紙」という2016年の韓国ショートムービーを見ることができた。
7日間限定の公開らしく、4本で多分1時間ちょい位だろうか、
あの是枝監督の空気人形の辺の主演の「ペ・ドゥナ」さんが主演だった。
やはり自分は彼女が好きなんだろう。
チャンオクの凧と手紙

チャンオクの凧と手紙

  • メディア: Prime Video
 

 

ーーーー
 
最近ときどき感じているこの感じは、なんとなく焦燥感と違うなぁと思う。
まあコロナに関しては焦燥しまくりではあるけどね。
 
酒を飲みながら、仕事をしながら、
周りの声をなんとなく聞きながら自分が浮遊した感じになる時、自分の中から湧き上がってくるこの感情のことだ。
自分はここに属しているかもしれない、でも昔ほど「緊密」ではない。
 
身がちぎれるような焦りと言うのでは無いなあ、日頃時折感じるこの感じは。
 
じゃあなんだろう?
 
「諦念」だろうか。
どうせ頑張っても先は決まってるんだから、ゆっくりあきらめたらいいのよ。
いやそんなペシミスティックでもないなあ。
 
この感じは、
もしかしたら、焦燥感ではなく、
ある程度達成したものの抱く「感慨」(あるいは「ため息」)のようなものなのかもしれない。
 
そういえば、
今までの人生でも、楽しいこともたくさんあったけど、辛いことだって嫌なことだって星の数ほどあった。
あんなこともそんなことがあったね。
 
その「悲劇」はまた、
「ヒトサマやオレサマが愚かしいゆえに繰り返されるかもしれない」だろう。
でも、今までなんとかクリアしてきたんだから、
今度おんなじことが起こっても、第一回目よりはちっとはマシに「対応できるんじゃないのかな?」という、
なんていいうのかなあ、
「オトナ」の気持ちなのかもしれないなあ。
 
フレッシュな青い果実ではなく、
ドロドロの腐る寸前の完熟を超えまくった果実でもなく、
まだ枝から自重でボチンと落ちて潰れてしまうよりはちょっと前の熟成度くらいのおっさん、
それが今の自分だろうか?
 
だからおれは多分「死」はまだ選択しない。
 
でも薄っぺらの「生」はまっぴらだ。
 
個人の自由があるから、なるべくヒトサマに意見はしないようにこれでも気をつけているつもりだけど、
パワハラだと思った皆さんにはsorryですけどね)
おれはもうペラペラに飛ぶことや、必要以上に誰かの顔色を見ながら生きてくのはもうしたくないんだよ。
 
ーーー
 
Baby。
 
あの世からでもいい、
この世にいたらなおさらいい、
会えなくっても幻でも、だから声を聴かせておくれよ。

#603 60歳。

https://www.instagram.com/p/CFquSoMD0E4/

相棒のバースデイ。家族で祝う。#ルトワルージュ

 

家人が先日誕生日を迎えた。
 
家族で「ルトワルージュ」で贅沢なフレンチ・コースとワインを頂きました。
いつもごちそうさまです。
 
次は自分の番だ。いよいよ六十歳になる。
六十歳といえば今の時代ではまだひよこと言ってもいいけど、やっぱり区切りは区切りだからね。
 
生まれて色々あって18で高校卒業したけどダメでやっと20歳で大学に滑り込んだ。
愛媛大学医学部。
なのにもう23歳で学生結婚して、それからも色々あって、初めはその気もなかったのに大学勤務のときに二転三転して、38歳で家人と開業した。
開業する前の数年ではあるけど、泌尿器科から腎臓内科になって日赤で働いた。これまたつらい日々だった。
 
開業すると、それはそれはお金というものに押しつぶされそうになりもうブルーで本当に、生きているのは嫌んなることも何度もあった。
でも自分で始めたことだからと、 どうにか頑張って53歳で借金を返済した。
それからを自分では勝手に「余生」と呼んでいる。
そのちょっと前、50歳の時には半世紀の男と言うことで、自分の中では非常に焦りがピークに達してたのにね。
だけど53歳で借金を返済したら、次からはさあ青春だという風にけろっと変わるのだから、人間なんて単純なものだ。
 
53歳になってやっと借金フリーになったので、色々今までできなかったことを始めた。
もちろん病院があるので旅行はできなかった。
ナベサダのコンサートのあとで盛り上がって、
サックスを皮切りにバイオリン、ドラム、
そして同じ医師会の先生の突然の死を目の当たりにして、リタイヤーしてからって思ったピアノも始めてしまった(うまくなる気がしませんけど^^;)。
 
やりすぎだと言われるけど、どれも止めることはできない。
 
59歳からは独学ではあるけど、再びギターに取り組み始めた。
lowコードだけ弾ける人間で終わりたくないなと思ったのだ。こちらも進歩はあるものの遅々としてである。
今は、基本的に、野郎4人のバンドで、楽しくギター弾いたり、時には歌う。
 
開業してすぐに母親が死んだ。
2年ほど前に現役医師を最後まで続けた父親も、急逝した。
どちらも死に目に会えなかった。
プラグマティックな彼らは、自分たちの墓を立てて、「無宗教」でその下に鎮座している。
儀式もなにもない。
自分もまぶたを閉じて墓の光景を思い出すくらいのことだ。それでenough。
 
死んだあとにはなにもない。
 
いろんな人が誘ってくださったおかげで、音楽を実際人前でプレイすることも僭越ながらできるようになった。
音楽を通しての人間関係も、やはり人間関係には違いないので紆余曲折ありますけど、
今までの医療関係の付き合いとは全く違って面白い。
医者と言えば同業者とか MR さんとの付き合いしかなかったからね。これはちょっと大げさかな?
でも、自分にとっては本当に視界がパノラマのように開ける瞬間だった。
 
そして 世の中の仕組みが変わってきて、医局制度があまりかつてほどの重要さを持たなくなり、フリーターの医者とかも出来たおかげで、うちの病院にもアルバイトの先生が来てくれたおかげで 一泊二日の家族旅行に行けるような贅沢な気分になれた。
これも素晴らしいことだった。
 
順不同だけど、思いつくままに総括してみました。
(昨今いろんな方がなくなられてますけど)死ぬ前には、こんな景色が走馬灯に流れるのかいな・・いや、そんなことはないな。絶対に。
 
だったら今やっとけよってことでしょうからね。
 
そして この冬で60歳になる。
60歳になった自分はそこからどんな風景を求めるんだろうか。

#602 セッションと飲み屋での演奏と彼女とキーボード。

 
iMacのキーボードの上に半分に割れた亀頭の模型が載っていた。
今日、診察の時 ED の方に説明するのに使って、それが何かの拍子でここまで流れ着いたのだろう。
ちょっと面白い光景だ。
そう思って写真に収めてみた。
 
それにしてもまったくまったきのコロナである。
コロナは人の意思をどんどん矮小にさせていくような気がする。
まあコロナだから自粛しよう、まあコロナだから気をつけよう、コロナだから、コロナだから。
 
何がコロナだ。
一番大事なのは 止まらないで前を向いて進もうとする意思なのだ。
それを奪われてしまっては 人間は生きている価値など ないのだと思う。
結果よりもむしろ今は「意思」を尊重したい。
 
昨日はセッションだった。
自作の「コロナのワルツ」という曲を、キーボードとウクレレをバックに演奏させていただいた。
何曲かウクレレの演奏にも勝手に加わった。
彼女が初めて持ってきた、超重たくでっかい88鍵のキーボードを担いで、いつもの「お多福」に行った。
二人で盛り上がった。
また二人でコラボしたくってウズウズしていたのだろう、そんな顔をしてたんだろう。
重たいキーボードを担いで出てゆこうとする我々に、入り口のお客さんが、「あれ、演奏しないんですか?」と言ってくれた。
そんなわけで、マスターも 演奏に許可を出してくれた。
自分はバイオリンを弾いて彼女はキーボードでピアノの音を出した。
バッハやら、上を向いて歩こうやら、やったかなあ。
次に行ったベトナム料理屋でも二人で演奏した。
まるで奇跡のような夜だった。
 
音楽をかなでることやら学ぶことにもかなり疲れていたけど、こうやって音を出すことだけで人はつながることができるんだというキセキに何度も何度も乾杯したい気分だった。
音楽にも最低限のルールがある、そのルールの中で最大限に遊べるような人間にもっとなりたい。
だからまだまだオレは学ぼう、前を向いて進もう。そう思った。
とにかく素敵な夜でした。
 
M先生ありがとうね。また遊んでね。

#601 2020/09/21 しんすけ’sキッチン 悪魔のアボガド丼とイタリア風肉じゃがとワインと。

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悪魔のアボガド丼はラー油の量で味は調節ですね

 

結局は体と心の と言うか 肉体面と精神面の 融合と調和なのだと思う。

自分に置き換えてみると、自分は精神面ではあくせくいろんなことを行ってるけど、肉体面では(特にフィジカル面)あくせくすることも放棄しているような気がする.

朝 ギターの練習をしている。

最近ブルースの12verseに対して反射的に手が動くかとかそんなことをやっているけど、次にはアドリブを習得しなければいけない。
しかしフレーズが出てこない。
お手本をゆっくりやって納得するけど、実際の場に立って演奏すると手がすくんで動かない。
こないだも自分で作ったはずのアドリブなのに、前半がなんとかクリアできたせいで、頭が真空になって、後半の4小節飛ばしちゃったよ。
みんなごめん。
そうしている間に、あっという間に1曲(ブルース形式はほんと3分にも満たない)楽曲は終わってしまう。
これでは全然ダメだよな。
頭の中で理論がわかっていても、技術的に手が動かないと結果はぱあだ(これは肉体的なトレーニングということでこれもバランスが悪い事の一つの表れてはあると思う)。
だから結局は練習するしかないという結論に達するだけなのだけど。
理論を指先にまで落とし込むということなのだろうけど。

料理だって あーおいしい にたどり着くまでの 過程と工程とが一致して初めて納得する味ができるのかもしれない。
そのために色んな所で美味しいものを食べたり飲んだりそいて、時には五感を研ぎ澄ませることが重要だ。

昨日は新聞の広告で見た「悪魔のアボカド丼」というものをアレンジしてみた。 悪魔のというのは最近の流行りなんだけどあれはどういうことなんだろうなぁ。
アボガドを、めんつゆとラー油と胡椒で和えておく。
それだけでは寂しいのでホタテといくらをトッピングした。
もう一つは、フェンネルシード・ナツメ・グローリエを使ったおしゃれな「イタリア風肉じゃが」で、これは朝日新聞の「ごはんラボ」を見て、自分なりにStaubで作ってみた。
サントリーの日常白ワインをマリアージュしてみましたよ。

しんすけ'sキッチン。

 

イタリア風肉じゃがは、トマトじゃがいも玉葱人参。

イタリア風肉じゃがは、トマトじゃがいも玉葱人参。

 

#600 「CHAIN GANG」と「UNCHAINED」

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「チェインギャング」という歌をバンドで練習している。
言わずとしれた、「ブルーハーツ」のマーシーの楽曲だ。
チェインギャングとは鎖に繋がれた囚人のことなんだそうな。
この曲における我々の編成は、ドラム無しでアコギとベースと ブルースハープとそしてボーカルのみだ。
結構単調な曲なので フィーリング が重要になってくる。
自分たちとしてはまずまずの出来だと思っているけど、聞く人がどう受け取るかはまだわからない。
だって人前ではやってないからね。
そういうわけでこの曲ではブルースハープ担当です。
 
チェーンに繋がれている黒人たちが自らの足で歩かされながら、ときに鞭打たれながら南部の泥道を下っているというような画像が頭をかすめる。
鎖に繋がれた囚人たち。
気の遠くなるような熱い日差し。微生物。疾病。飢え。脱水。
希望はない。
 
パピヨン」(Sマックイーンの名作で、最近リメイクされた)は、絶海の「悪魔島」という収容所から、それでも自由を求めて海にダイブした。
人がどんな苦しい状況に陥っても諦めないというのはどういうことなのか、
未だに自分にはわからない。
そこで対比なのかどうかわからないけど UNCHAIN とという言葉を想起してみた。
アンチェインドという言葉は鎖に繋がれていないということなんだろう。
だけど、それがはたして自由なのか、いいことなのかと言うと分からないし、今の世の中は言うてみたらアンチェインドに見えて、実はいろんなもんに縛られつけられてるのではないかと思った次第。
ほら、今、実際、目の見えないコロナにぼくたちはこんなふうにあんなふうにそんなふに縛り付けられている。
 
昨日は二日酔いでほぼ死んでる日だったので、
冷蔵庫のものを引っ張り出して昼と夜にした。
ナス(ミニスイカのような丸いナス)と人参の蒸煮と、しょうゆ目玉焼きと生ハムとパンの耳。
ゴーヤとオクラと人参たっぷりのハンバーグカレーにはらっきょうを。
 

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パピヨン(字幕版)

パピヨン [Blu-ray]

#599 ZOOMでの学会とリアルと。

Online

昨日は医師会の理事会。リアル会場とおひとりZOOM参加。
 
医師会の講演会もWebになったり、メーカーさんのそれもしかりだったりする。
 
なんか我が医師会でも10万以上する大会議室用のスピーカーマイクも買うことになったみたいだし、
そうやってどんどんIT化は進むのだけど、
残念なのかラッキーなのか人間はアナログでしかないので、あんまり偉くなったような実感もなく、淡々と医師会での時は過ぎてゆくのだった。
 
今後のコロナとインフルの時期に関して、
一般診療所が「発熱外来センター(?)」として具体的に手あげするということに関しては、もう少し持ち越しの感じ。
でも、どこまで診療所がタッチするのか、厚労省は10月中に整備すると言いなさるが、具体的な絵がまだまったく見えてこないので、不安はかなりあるなあ。
 
延期されていた「愛媛県泌尿器科医会」も、愛媛大学からのWeb配信(演者たちはそこへリアルで集結)、リアル会場県内5箇所で開催された。
自分は日赤で聴講したのだけど、
周りに、自分と一緒のフィールドの泌尿器科医たちが「生」で座っているという存在感は、なにものにもかえがたく頼もしかった。
月並みな言葉になるけど、
「オレはこの片田舎で一人で、孤軍奮闘で泌尿器科やってんじゃないんだよなあ」、と、思わず泣きそうになりました。
自分が紹介した患者さんが、この日赤とか、県立中央病院で、若いDrたちに診てもらって治療してもらってるんだよなあ、という、あたりまえの「感覚」が、ネットとか、メールを通しでではない、実際白衣を着た若い先生の背中から感じ取れたのだった。
 
嬉しいね。

#598 STAY AT HOMEのワインたち

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その1
 
コロナになってから、自宅でワインを飲むことが増えた。
 
家族3人で1本をシェアする。
適量のように思うけど、
時折足りなく感じて、焼酎やらウイスキーを足して後悔することになる。
夕食の折に飲むわけだけど、
調子こいて、ワインからさらに次に移行すると、その後の生産性は著しく低下するもんなあ。
でも飲んでしまうんだよねえ。
うだうだとしていて気がつくと寝落ちしてたりするもんなあ。
 
昨日は、岡山県井原市のパン屋さんの作っているという「田舎ワイン」をいただく。
ワインのことは、
飲んでる割には知識ないままだ。
神の雫」も昔読んだ(まだやってるのか?)。
フランスワインの種類のカタログも眺めた。
系統だって勉強しようと思って本も購入したがだめだったので、もう無理だろう。
「スッキリしてるねえ」とか、「コクが有るのにマイルドだねえ」とか所詮そんな感じで終始するのみだ。
ソムリエバッジは眩しいねえ。
 
家人の作ってくれたサーモンのムニエルとのマリアージュで美味しくいただく。
 
その2
 
調べたら、daybreakっていうのは夜明けっていうことなんだね。
「昼を断つ」っていう事は夜なのかなぁ・・と思ったんだけど、違うんだね。
 
面白いね。
 
夜が明けると一日が始まり、そして夜になると寝て死んで、そして朝になるとまた再生する。
その繰り返しだ。
 
夜になってたくさん死んで、次の日に起き上がることなければ、それがこの世からのバイバイだ。
そう考えると、再生する夜も抜きにしては語れないし、
起きている「生」の時間も一秒たりともおろそかにはできない。
 
そう思いながら、なんか骨抜きになってることを、
おまえは「コロナ」に紐付けててそれで満足なのか?
 
「You and the night and music」という曲をたまたまだけど発掘して、にわか練習始めた。
これにお酒がつくと、完璧かな。
たとえ朝になって夜の魔法が解けたとしてもね。