だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#622 たまには泌尿器科の話を

泌尿器科医としては、粛々と日常をこなすだけで、毎日そんな奇跡のようなことが起こるわけではない。
泪が毎日溢れるわけでもない。
イエス・キリストだって毎日道端で奇跡起こしてたわけじゃないだろ。
ブッダだって毎日橋を建立してはいないだろう。
でも、自分はただのチンピラ開業医なので、油断をしていては寝首かかれてすっ飛んでいくだけだ。
だから、病院にいる間はテンションmax(のつもり)だ。
 
仕事の話なんざ面白くもないだろうが、昨日は冷汗かいたのでちょっとだけ。
 
冷や汗をかいた診療行為に関しては、
以下延々と描いてみたのだけれど、個人情報もあることだし割愛するけど、・・・
 
 

f:id:ulala_roo:20210105152023j:plain

*カットした内容の代わりの落書きですかね。
 
 
ただ良かったのは、うちは同業者2人で開業しているわけだけど(泌尿器科と内科、そしてアルバイトの先生方)、
こういった話をすぐに理解してもらえるのが同業者の1番良いとこだと思う。
 
朝同じ家を違う時間帯に出て、同じ病院に入り、診療所内の別の場所で時には一日顔も合わせることもなく診察する。
でも二人は同じ診療所内の泌尿器科であり、内科であるんだ。
自分の診療における苦労が、診療科が違うとはいえ共有できるのはホントありがたいことでしかない。
 
開業医なんて傭兵みたいなもんだ。
殺されて消えてしまえばそれで終わりだ。
なくなったら必ず次は現れるのだ。どんなに偉い先生でも滅したらやがて忘れられてゆく。病気は待ってはくれないのだから。
そして何事もなかったかのように時間はまた動き始めるのだ。
 
それでもいい、そんな日々を粛々と生きてきたつもりだ。
でもわかってくれる人がそばにいるのは嬉しいことだ。
どんなにクレバーでも一人で悟ったように生きてゆくのはつまんないことだ。

#621 NHKドラマ、虫を殺して「大化の改新」を見る。

f:id:ulala_roo:20210103100943j:plain

*関係ないけど朝の3分スケッチ。手塚治虫風のウサギさんでしょうか?
 
確か、虫を殺して(645)大化の改新という風に覚えたと思います。
645年、 中大兄皇子中臣鎌足蘇我入鹿を打って、令国家の礎を作ったという入り口の年号です。
 
まあ分かったようなことを言ってますけど、昨日の NHK の新春スペシャル(と言っても昔の制作ですけど)歴史ドラマ「大化の改新」を見たから言えるわけで、実際どうだったのかなんてわかりませんけどね。
でも、その分からない事を、もっとわからない「虫を殺して」(蘇我入鹿が虫だったんだ!)なんていう言葉で覚えてたのだから、何の役にも立つわけありませんよね 。
 
以前も書きましたけど、高校の時は歴史をなぜか選択していました。
歴史の授業で一番物分かりの悪いのが自分だったので、自分は先生のまん前、ホント教壇の真ん前の席に固定として座らされてました。
最初に、先週はどこまで授業したかなと必ず聞かれて、「わかりません」とヘラヘラ答えて、教科書で殴られるのが毎週のことでした。
それでも全然進歩がないんだから本当馬鹿ですね。
共通一次試験というのが始まって、社会は選択制になってましたけど、
予備校に通ってからすぐに倫理社会とかに鞍替えしたんだと思いますよ。
 
まあそれから幾星霜経つわけですけど、この六十歳という年齢に なって初めて、
俺は空間的概念とか時間的概念というものには本当に弱いんだなということが今更のように分かったわけでした。
おそすぎるわ!
 
NHK のドラマは、原田芳雄さんが蘇我入鹿の父親のまあいかにも政治家豪族を演じていた訳で、
久しぶりに動いている原田芳雄さんにお会いできて嬉しかったのも事実です。
教育って本当に大変ですね。先生もさぞご苦労されたことと今になってやっと思います。
あの学生服がテカテカになるような木の椅子の教室で、俺たち(俺だけか^^;)は一体何をやってたんでしょうね?
 
【追記】
一人で原田芳雄映画を見て盛り上がることを「一人原田芳雄祭り」と称しているんですけど、昨日のはプチでしたね。

#620 もっともっと寒い冬がくる。

f:id:ulala_roo:20210102135157j:plain

 

死んだらどこにゆくのかな
もうここでは会えないのかな
 
前菜はタコとアボガドのサラダ
ちょっとピリッとわさび菜で味を締めてみたよ
 
夢の中で会っても
目が醒めたらやっぱり空っぽのベッド
心のなかにはvacancyの札をぶら下げておくよ
いつかキミが帰ってきたときのためにね
 
食卓を飾ろう
おいしい食事ととびっきりのヴァンナチュールワイン
でも口から出るのは悲しい話題
 
れんこんとひじきと
梅干しと醤油とマヨネーズのサラダって
不思議な取り合わせだな
あら そうでもない?
 
涙で語るのはガラじゃない
思い出というほど近くもない
追憶というほど遠くもないかな
 
あたたかい感触が
まだこの手の内にある
 
だから
冷めないうちに
クイジナートで作ったズッキーニのスープを飲みなよ
 
あの焼き場の昼下がり
一瞬のすきに
鉄の台の上に残った骨を口に放り込んで齧ったよね
そしてこちらを向いてえへへと笑った
まるでこの世の終わりと向かい合ってそれを乗り越えた直後みたいななんとも言えない顔で
 
キミが笑った
キミは笑った
 
あの笑顔を覚えてる
 
もっともっと寒い冬がくる。
 
 
 
 
f:id:ulala_roo:20210102135207j:plain
 
 

#619 new year

f:id:ulala_roo:20210102123925j:plain

*ゆら鯛(愛南町
 
回診して、ムンテラして、処方書きをして、学会のWeb視聴をする。
さてさて。寒い外来に一人。
受付の女の子もレセの仕事に出てくる。
 
200字通信というのははじめて見たら面白いかなと思ったんだけど、なんだかまとまらない。
医療のこと、コロナのこと、自分の六十歳という歳のこと、
そしてなんだかあんまり楽しくないだろう未来と、それに拮抗しようともがくだろう自分のこと。
 
でも人間の最終到達地点は皆一緒で、年の瀬に灰になったあの人の安らかな死に顔を思い出してしまっている。
生きていた間の方がつらかったよね、なんて口が裂けても言ったらあかんよ。
あの人のすべてを無にしてはいけない。死んだらそれこそnothingだ。
そして涙が出る。
「死」というやつに自分がより近づいてきたお年頃なんだということだ。
 
そして若い人は残酷だと思わされる出来事があった。
でも、若い人は多分意識的に「年老いる」ことを思い浮かべなしないだろうし、
思い浮かべる理由なんてこれポッチもないだろう。
なんだかまとまらないよね。
 
このへんでChrome の機能拡張を入れてカウントしてみたらもう450文字だった。
なので400字通信っていうことにしようかな。
原稿用紙1枚文プラスアルファってことで。しまんないねえ。相変わらず。
 
ああ、おめでとうございます。
 
google photoからの貼り付けが復活してます。良かった。でももうすぐ立つとこのサービスも有料になるんですけどね・・。

#618 ボーナスと太平燕

 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 

A post shared by Shinsuke Takechi (@ulalaulala)

 
終わらない、何も終わらない。
何も終わらないということは何も始まらないということなんだろうか?
でも何も始まらないと言っても、いろんなことに手を広げているので、
それはもはや現在進行形といってもいいはずであり、それらをぶら下げたままで走っているのかもしれないな。
いわば半ケツ状態で、自分が半ケツに気がつかないまま、パンツの前だけを押さえて匍匐前進しているって事なんだろうか?
何を言ってるのかな。
 
外来が忙しすぎく、ヘロヘロの感じ。
 
IRCのデータでは、やはりコロナの影響もあってかボーナス支給の額は下がっているようだと新聞に書かれていた。
新聞の記事も隅から隅まで読めるわけではないし、社会情勢には非常にうとい感じである。
常識がないのだ。
 
で、頭を振り絞って、ボーナスに取り組む。数回目の熟考。
やっとそのボーナス支給の件を完成させて会計事務所にFAXして気が抜けた現在であります。
 
few days agoこれまた新聞で見て、熊本のソウルフードだと言う「太平燕タイピーエン)」という緑豆春雨の麺を作ってみたのだった。
と言っても熊本に行って本物を食べたわけではないので、本当はどんな味なのかは全くわからない。
うちの娘はラーメンが苦手なので、汁は少なめのものを作った。
でも優しい味で、卵はアブラでは転がさず半熟卵のままでのっけたけどこれもいい感じでした。
 
まあ落ち込んでいても腹は減るし、
腹が減ったらやはりうまいもの作ろうと思うし、
うまいものを作ったらやはりそれに合わせてうまいお酒を飲もうと思うし、
そんな時は、日本には、日本酒やらワインやら焼酎やら数たくさんの酒があって、
ほんとにここはいい国だと思うわけだな。

#617 第47回 松山市医師会主催「趣味の美術展」の準備を進めとります。

f:id:ulala_roo:20201126160804p:plain

趣味の美術展 紹介文
久しぶりにキミの夢をみた
もうずいぶん長いことの ご無沙汰だった
きみのせいなのか 僕のせいなのか それはわからない
 
こんな世の中になって
「酔っ払い画伯」を、
もう廃業しなくちゃいけないのかなと思わされることばかりが続いた。
 
お酒飲みながら 声かけて 絵を描かせてもらうなんて
いつの時代のことだったんだろうっていうくらい
世の中は変わっちゃったんだ。
 
でもヒトの笑顔や暖かさは
こんな時代でも変わりのないことに、ある日気づいた。
 
だからもう安心さ
いつかまた、
酔っ払って絵を描ける日がやってくるだろう
 
夢の中で、
とびっきりの笑顔をキミがくれたから
夢の中で、
ありったけの愛で僕を包んでくれたから
 
また会おう
For you,Baby,
・・・with COVID-19.
 
やることが多すぎて気が狂ってしまいそうです。
また新しい介護保険の審査書類の束が届き、BONUSに向けての面接も進行中ですし、委託会社との契約の問題もやっとすんで、夜はバンドの練習もあります。
でも一つ一つ着実にやっていくしかないんですよね。
 
今度の12月9日から13日まで、愛媛県美術館・南館一階で、松山市医師会主催の「趣味の美術展」が開かれます。
第47回ということです。
多分自分が出品させていただくのは 3回目くらいでしょうか?
 
やっとそのキャプションを書くことができました。
今回の自分の付けたタイトルは、「For you,Baby,・・・with COVID-19.」というものです。
今回はA4で計15枚の絵をパネルに貼り付けての展示予定です。
 
武漢から始まって、春くらいから日本でも色々あったのに、過ぎてみたらもう遠い昔のようですね。
でも今から本格的になる冬はやはりウイルスの季節であり、
そして、日本はまた波が押し寄せようとしてたり、開業医での発熱外来が始まったり、そんな中でワクチンの話も聞こえ始めてはおります。
 
普通に酒のんで、酔っぱらい画伯として絵が描きたいよね。
展示まではもう少しだけ時間があります。
まだもう少し、もう1枚位は絵も描いてみたいんだけど、今日はここまでかな。

#616 休日の発熱外来と、松田優作のいない日をあらためてかみしめるという事。

CLUB DEJA-VU ONE NIGHT SHOW 松田優作・メモリアル・ライブ +優作について私が知っている二、三の事柄 [DVD]

 
松田優作 1949-1989
 
CATVで松田優作さん没後の関係者へのインタビューで構成された映画を見た。
没後30年のメモリアルライブとセットだそうだ。
「優作について私が知っている二、三の事柄」というもので、崔洋一監督のインタビューからの構成だ。
 
メインの証言者は、水谷豊さんだったり、桃井かおりさんだったり、原田芳雄さんの息子の原田喧太さんだったりした。
松田優作ショーケンとか原田芳雄さんという、身近にお手本になる存在がいたので(こんなこと聞いたらきっと生きてたら怒るだろうなあ) 、自分の立ち位置を出しやすかったのかもしれないと桃井かおりさんが言っていたけど、松田優作氏はおもいっきり原田芳雄さんの方に行って、そして最後には原田芳雄さんとは別のベクトルを目指したんだということがよくわかった。
だから松田優作松田優作になりたかったのは後半の松田優作だったのかもしれない。
彼が膀胱がんの治療よりハリウッドを選んだのは有名な話で、
まったくねーまったくだぜとは思うものの、泌尿器科としては、やはり膀胱がんの治療を優先させてほしかったなあという心残りが今でもある。
回腸導管のハリウッドスターになれたかもしれんじゃない、優作兄貴よぉ!
まぁ彼が死んでしまった今はそんな感情もめっきり薄れてしまってきており、この映画を観て、優作の不在を久々に味わい、また思い出したわけだけど。
そして、原田芳雄さんのでかい写真が飾られた原田芳雄さんの家で、語る息子の原田喧太さんは親父にそっくりで、それだけでそっちもなんだか嬉しくなったのだった。
 
桃井かおりさんが、
インタビューの最後で「生きるって事はどういうことなの?じゃあなにやればいいんだって・・」と語るところで映画はぶつ切りで終わる。
「生きるっていうのはね、死ぬまでの全てなんだよな」
今のおいらはそう答える。
やっぱり、だから死ぬなよ!なんだよね。
 
そんな今日は休日当番で、
やはり発熱に関しては非常にナーバスな感情をみんな抱いていて、
それでこの愛媛でも患者が急上昇ということもあって、心配で来られる方が通常よりは多い感じだ。
我々は、アナムネをとって、電話で対応し、ガウンとゴーグルの重装備で黙々とトリアージをしていくのだ。