だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#686 音楽ビデオとカセットテープの断捨離(CDは恐ろしくてまだ手が出せません)。

『僕は断捨離ができない』、とりあえずそう打ち込んでみる。
 
ものをバカバカ捨てられる人がうらやましい。
でも自分だって新しいものはどんどん購入するし、そちらを愛でて古いものはしまってるだけでかえりみてない。
そのくせ、いざ、ものを捨てる段になると決めれない。
みんなそうだろうけど、優柔不断なところは昔からだ。
 
VHSのビデオデッキが稼働しなくなったときに思い切ってある程度処分してたのだけど、やっぱり高い高い金額を払って手に入れたものはそう簡単には捨てれない。音楽のVHSなんて値段見たら13,000とか書いてあるよね。その位、価値があるものだったんだよね。昔は。
でもいよいよ決心して捨てることにする。
VHSソフトって、個人がお金を払って所有権をいただいているようなもんなんだから、巷にあるDVDダビングの店で対応できるとか法律作って欲しい位だよね。
まじでカセットデッキをもう一度、手に入れて、自分でダビングしようかと考えたけど、それは本末転倒だからね。
 
次はカセットテープ。
 
大学1年の時に手に入れたカセットテープデッキはTEACのものだ。
生協フェアのAV展かで手に入れたものだ。
その時、店員のあんちゃんは『10年は絶対持ちますよ』と言ったけど、あれからもう40年以上経ってるよ、あんちゃん。
接触が多少不良にはなっているが、まだ再生可能である。
 
音楽といえば、昔はLPレコードのレンタルショップなるものがあって(大学1年の頃にできて、早期創業の方は一瞬で元を取ったと言われていたくらい流行ったな)、それをカセットテープにダビングしたものだけど、
それも今の世の中はサブスクでほとんど解消されるようになったわけで、Apple Musicで確認しながら テープを選択していく。
そういえば昔はこんなの聴いてたよなぁ。
竹内まりやさんとか、アンルイスさんとか、山下久美子さんとか、ARBとか、吉田拓郎さんとかいろいろ出てきて懐かしい。
Blankyはサブスクにないわ、ルースターズもありゃりゃないのか、とかね。
もらったカセットも何本かあって、それをくださった人たちが今頃どうしているか知る由もないことに気づいて呆然とする。
 
そうなんだ、箪笥の奥にしまい込んだ時から、思い出をフリーズさせていたのは、他ならぬ自分なのだということに今更のように気づく。
でもそれは必要ないというか、時間軸の後方に流れしまったものなんだ。我々はそして前を向いてしか進めない。
 
自分の母親が癌で亡くなった時に、母親の残していったいろんなものが山ほどあった。
手に入れた当時は価値があったものだろうけど、ほとんどは引き取り手がないものになった。
親父はせっせとそれを処分していった。それが供養とでもいうように(いや多分違うか?)。
着物の一部はうちに来た。作っていた日本人形も何体もやってきた。彼女の書いた額装された書は、病院に何点かかかっている。
でも、ほとんどのものはやはりゴミとなって 消えていった。
 
最後には灰になって全てが消えていく。
俺も。
でもだから全てが愛おしい。
 
思い出を写真に撮って捨ててゆく。それでいいのだと言い聞かせながら。
 

 

 

#685 youtube動画も9本目になりました。

 
いつの日にかLOOP音楽に惹かれた。
 
もともと 現実世界でSAXの次にバイオリンを再開したのも、
YouTubeでルーパーの路上演奏で、自分のバイオリンのバックトラッキングにあわせて新しい音を重ねていくのを見たからだ。
バイオリンの先生(そりゃ専門はクラシックでしょ!)に入門して早々に、『先生、これを1年でできるようにしてください』と言った。
なんてお馬鹿さんだったのだろう。
だから数年前からlooperには興味があったのだと思う。
 
今見ても衝撃的だ!
 

 
Bruce Springsteen題材の映画で、エド・シーランが出てて(エド・シーランは超絶技巧のルーパーであるのだけど)、でも、彼のやってる事はまぁ雲の上のようなことにも思っていた。
とにかくリズムに合わせて重奏的にその場で音をを重ねていくというのがなんだか1人バンドみたいで楽しいのだ。
 
60歳からはDTM(デスクトップミュージック)をやろうと決めたのだけど、
なかなか進まず、
iPadにただでくっついているGarageBandでほぼ独学で始めた(みんなそうだろうけど)。
サックスの師匠である上先生がロジックを導入されており、それを見て遅がけながらもlogic proを購入した。
ロジックの勉強しているうちに、ループ機能(live loops)と言うのを発見した。
その場で音楽をつくりあげていくというのは、従来の楽譜になれた人間にとってはちょっととっつきにくかったけど、とてもファンタスティックな発見であり、これが上に書いてあるlooperとつながった。
 
はしょって書くとそんな感じだ。
 
簡単に書くと、looperっていうのはDJみたいな感じだ。 複雑になるとリアルタイムで楽曲を組み立ててゆく。どのためにいろんなパーツを用意しておく。
それを組み合わせて作り上げてゆくのだ。
 
世の中にはいろんな方がいるもので、loop機能の事について詳細に書かれた方の本を発見した。
この本が自分を見てイビいてくれたのだと言っても過言ではない。
やはり一人の筆者の視点で描かれている本という媒体は捨てたものではない。
自分で探せば何とかなるのが、今の世の中のむちゃくちゃ便利なところだ。
求めよさすれば与えられんと言う言葉は、ほんとに今の世の中を表していると思う。
求めないものにはやはり見えないのだ。
求めても見えないものだってたくさんあるし、まぁ見なくても良い人がたくさんいるのも今の世の中ではあるけどね。
 
何回目か、今更のように熟読して、稚拙ではあるけど楽曲を作ってみた。
ギターと歌は自分でiPadに録音した。
 
稚拙だらけで生きて、恥辱にまみれて死んでゆくのもそれが人生だろう。
 
だから、まあyoutube登録してね、って話かな。

#684 anime『ぼっち・ざ・ろっく』を観る。

ぼっち・ざ・ろっく! 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

この日記のようなblogもなかなか続かないので、思ったことだけちょっと書いて、とりあえずアップという形にしてみますね。
 
まあ、誰が読んでくださっているかは別として。
 
ああ、最近62歳になりました。
 
ちょうどクリスマス過ぎぐらいに最終話が放映された『ぼっち・ざ・ろっく』最終話#12を昨日ネットで観た。
 
引きこもり(対人関係難あり?)系の女の子(やっぱり王道高校1年生)が実は超絶Guitar Playerであり、その彼女が人生で初めてひょんなきっかけでバンドをくんだけど、人前ではなかなか超絶プレイができず、それでもバンドの中でちょっとずつ成長していると言う・・そういう王道音楽バンドアニメなのでありましたけど、たんびごとにうるうるきた。
 
音楽ってね、いいもんだけど、聴くのとやるのではまた違って、音楽教室で個人で習うとくのもいまだに根強い上達方法であり、教室で先生に習って、レッスン発表会で『いざ、演奏!』はい1万円みたいなのが従来の流れであったけど、
バンドで音を作り上げていくという趣味を最近の若い人は結構容易に持つことができていいなあと、ジジイになってしまった自分は思う。
小難しい音楽理論がわかんなくてもねいいんだよ(わかるとより楽しいこともあるけど)、その中でいろんなものが付随的に生まれる(もちろん生まれる前に消滅も多い)いうのはほんとにありがたい経験だ。
 
自分の話を。
 
病院の借金のメドが立ってやっと時間が取れるようになって、それでナベサダさんのライブを見てサックスを習い始めたのが音楽の再会の時だった。
 
53歳?遅いわなあ。ま、しかたないわな。
 
子供の頃バイオリンを習わされており、いろんな音楽教室の先生とすれ違うたびに今度はバイオリンを弾いてみようと思った。
そこで音感がないの時間がないを痛感してドラムを始めた。
やっぱりそこで知り合いになった先生たちは、今でも自分の心の支えであり、人間関係は奇跡的にほとんど途切れることなく続いている。
教室での横のつながりで、まずはサックス教室の3人で『BBR』というユニットを作った。アルトサックス3管というなんの考えもないけど、隣り合ったものが寄り添った感じだった。
(のちに、テナーも入り、ドラムも入り、一瞬ジャズギター初心者も入った時には嬉しかったけど、一回の演奏だけだったなあ、あれは・・)

#683 風のなかにいる。

12月の医師会美術展(12/14−18 愛媛県立美術館 南館)の準備も佳境。
 
と言ってもいつもギリギリで呻吟しているだけのことだ。
昨日「ダイソー」でポストカードを止めるピンを150個くらい購入。
コロナの5回目接種のせいで、体はボロボロの1日の最後だった、
BONUSは迫っているし、例の病気もある、仕事は終わらない。
でもこれはこれで個人的ではあれど、どうしてもやっとかんといかん仕事だった。
 
そして渋滞の中を家に帰り、夜のWeb会議を終えて、unhappyなnewsを聞き、
飯作って片付けて、それでもビデオをちょっと見て、倒れるように寝る。
 
朝早く目覚めると、生まれ変わったかのように体が軽い。
adobe illustrator用いて見よう見まねで少しだけロゴ風のタイトルを作る。
 
今回のタイトルは「風のなかにいる。」というものだ。
 
風が吹いている。
どこからか、今日も、風が吹いてきた。
吹いてくる風は、流れて、僕らをどこかへ運ぶだろう。
だから、今日も、僕も君も、みんな、風のなかにいる。
 
(このストレスフルな状況を、みんな、なんとか楽しいものに変えていくしかないですよ。
前回から、殴り書きしたものや、アクリル板越しに描いた酔っ払い画伯スケッチとか、ごった煮にしました。
近くで目を凝らして見ていただけると幸いです。)
 
そういうキャプションだ。
小田和正さんのコンサートで聴いた「風が吹いてきた」に完全にインスパイヤされてるね。
そしてディランのあの有名な歌にも。

#682 同窓会報(医学部創立50周年だって!)

本文とは関係ないけど、今朝描いた万年筆イラストを、アプリを駆使して作品もどきにする。

 

愛媛大学医学部同窓会報が送られてくる。 

 

自分は9期生で入学したのだけど、1年留年したので10期生で卒業した。 
なので2年にわたって同窓生がいるわけだけど、今回は紙版の名簿も送られてきて( 昨今ではなかなか個人情報とかあって紙ベースで作るのは難しいと聞いていたので)  
それを眺めていると結構覚えているもんだなぁと我ながら驚く。 
もちろん亡くなられた方も何人かいてちょっとびっくりしたのだけど、 
だいたい我々の世代は60を迎えるか60過ぎたぐらいの感じで、 その半分とは言わないけど結構な割合で開業している人が多いのにも驚く。 
このころはまだ独立志向だったのかなあ? 
今の若い先生たちはその辺どう思っているのかなあ。 
わかんない。 

 

ポリクリ(臨床実習)を共にしたグループが6人いて、うち3名が開業(松前東温市宇和島市)、残りは勤務医だ。 
泌尿器科・整形外科・耳鼻科・産婦人科・小児科・外科と ほんと綺麗に分かれてるじゃない。 
もう6人で一緒に会うことなんてほとんどないと思うけど、 
そのうちの一人は愛媛県医師会で一緒に仕事してるし、その彼はなんと愛媛県医師会の副会長がなんかになっちゃったのにも これまたびっくりだ。 

人生何があるかわからない。 

あの頃、みんなで国試の分厚い問題集の持ち回り解説をやってたあの頃の光景が、今フラッシュバックした。 

 

もうあの頃には戻れないし、戻りたくもないけど、 
あの頃の自分が今の自分に続いていることは事実だ。 
自分の歩んできた人生から逃げることはできない。 
だからせめて、おい今もやってるからね、と、あの頃の自分には胸を張って言えるようにこれからも生きていく。 
時々すみませんねえと謝ることもあるかもだけどね。 

#681 中二病の源・永井豪先生!

 
先日紙ベース(しかないのだと思う)で手に入れた「永井豪読本」を読んでいる。
そんなわけで、頭と心がすっかり永井豪ワールドになったので、
久々に昔々買った DVD を引っ張り出してきて一気に観る。
 
「CBキャラ 永井豪ワールド」というもので、
永井豪ワールドの主人公が2頭身のちびキャラの世界に入り込んで、そしてこの世界の謎を解き明かすという物語だ。
ちゃんとデビルマンワールドとマジンガー ワールドとバイオレンスジャックワールドが交錯して、そして素晴らしいエンディングになる。
デビルマンの陰惨なキャラである亀のデーモン・ジンメンがこんなに 全編通しての keyになるとは思わなかった。
結構いい奴じゃん!
話は一見日本昔ばなしみたいだけど、練りに練られており、永井豪ワールドを熟知しているものには本当にこたえられないというマニアックな作品先取りだったのだと思う。
これは素晴らしいよ。
 
見ていて思ったのだけど、
そもそも自分が絵を描きたいと思ったのは永井豪先生の漫画を読んだからなんじゃないのかな?
あの中学生の時代にね(起源は小学校の床屋のデビルマンだけど)。
俺の中二病の源の一つである恩師の一人であります。永井豪先生。

#680 コロナのワクチンとか第8波とか

タイトルと全然関係ない朝の練習。万年筆イラスト。
 
 
昨日は伊代医師会のWebinerに参加、
『なぜ感染対策をしなくてはならないのか 』
愛媛大学医学部附属病院感染制御部部長・特任教授(専従) 田内 久道 先生
毎年恒例の感染症対策だけど、後半のコロナの話が本当に腑に落ちた。
 
ワクチンが普及し、デルタからオミクロンに変わり、ずっと致死率は下がった。
今は若年層の発症率が多いが、死亡は高齢者がメインであるのはインフルエンザと変わらない。
では複数回のワクチンの効果はどうなの?
今回の第8波について?
ワクチンはどこまで打つのか 打ち続けるのか?
感染防御対策は?など色々面白い話が聴けた。
 
コロナは医療であるが、舵取りは政治であり、
結局号令をかけるのは政府なのだというジレンマ。
その中で、我々にできることは一体なんなのかとやはり心の片隅ではいつも考えてはおり、
そんな中で先生の話を聴くことで、少し気は楽になって、そしてまた落胆もする。
こんなことをもう数年も続けているのだよ。泥沼だな。
でも今さらながら、各国の対応見てると、中庸を愛す勤勉な日本人気質が浮かび上がって面白い。
だから、みんなで渡れば赤信号も赤信号では無いのだ。
 
さて今日も昼からハードなワクチンの集団接種だ。