ほんとはねえ、
本気を出したらこんなもんじゃないんだよ、
やればできるんだけど、時間がないし、疲れてるし。
でもその時が来たら、やる時が来たらやってみせるからね。
そんな言葉で溢れかえっていたのが、今では懐かしい。
今となっては、そんな言葉にさえ熱量を感じるくらいだ。
あの子が学校に出てくるように、君から言ってやってよと、
英語の先生に頼まれたんだけど、
彼女にアノトキのおれが一体なにを偉そうにいえたというのだろう?
でもその先のことは曖昧で思い出せない。
あの田舎の、夏にはアスファルトの上にカエルの干からびた死体があったような高校で、
おれはそれでも、3年を過ごして、いろんな夢を見た。
今となっては笑えるような夢も。
でもその時の自分が、今につながっている。
高校に通うか、やめるか、そんな選択肢しかなかったのもフタ昔だ。
今は通信制とか、資格試験とか、色々あるみたい。
ふうん、昔の2択とは全然違うね。
だからわからないものには意見は言えない。
でも、その先にあるものを、
経験値がないからとか言わないでもっと探ってみたらいいんじゃないかと、
年配のおじさんは思う。
自分の責任を取れるのは、
親でも誰でもなく、自分でしかない。