模索中だ。
何もかも。
洪水が全てを洗い流したらいいと書いたことがある。
そんなスペクタクル映画みたいなことが実際起こったんだよ。
何事もCGで慣れてしまった我々は、もはや本物とたがわないヴァーチャルな世界で繰り返された映像と、目の前の洪水の区別がつかなくなってしまっているのかもしれない。
ヒトを刺したら、骨にあたってゴリっていって、脂で手がニュルニュルして、刃物が滑り落ち、手がガタガタ震え、刺された人はドラマみたいには倒れないで抵抗してくるんだよ、それでもお前はヒトを刺そうなんて考えるのか?
おれたちはどこにいこうとしているのか?
立ち止まる日まもなく駆け抜けようとしたあの日々を反芻しながら、半世紀を生き延びたおれは、日々自問自答しながら、いやホントはそんな暇もなく、流されまいという意思だけを根底に抱いて、でもゆっくり押し流されていってるだけなのかも。
1945年といえば、戦争が終わった年のことだ。中原中也の歌じゃないけど、戦争がいくつも通り過ぎていったんだ。あれからだって、これからだって。
だからかつての大戦にもずいぶんリアルはなくなってしまったが、いま、おれたちが歌うべき歌を探して、おれはおれの戦場で踏ん張っているんだと思うよ。
せめてきみからいい知らせが届くまではね、ふんばろうと思うんだよ。
After 3.15.2014. 今日のこの日に。