仙台空港で購入した村上春樹短篇集「女のいない男たち」、
「喪失」や「あらかじめそこにあったけど気づかなかった喪失」 とか言ったものに関する掌編なんだけど、
この村上春樹的な「わかりやすそうで難解な突き放し」 はやはり読む人を選ぶような気がする。
前作の「多崎つくる」 くんの話は表層的には理解しやすそうにも見えたが、 ストーリーだけだとなんだかわからない話なのに、あれだけ売れたし なあ。
村上春樹を読むと必ず過去に遡りたくなって、 そこで結局は止まってしまうんだけど、
やはりいつかもう一度「ダンス・ダンス・ダンス」 を読み返さんとイカンなあ。
実は読まれていない「ねじまき鳥」や「1Q84」 の3冊目とかもひそかにあるのでねえ。
ところで一体全体、 この情報量の多さとめめぐるしい世界にみんなどうやって対峙して るんだろうね?
だからね、 遠く煙った森を濡らす霧のような雨を思い浮かべてみるといい。
雨はね、前から降ってたし森は昔から煙ってたんだ・・
君が気づかなかっただけだ。
君はドコニモイケナイかもしれないがそれはドコニデモイケルということなんだ。
目を閉じて、深く息を吸いこむことさえできれば呪いは解けるだろう。
でも、そうだとしたら、どうしてそんなに切羽詰まった顔をしているんだい?
どこかでベルが鳴ってるよ。アリスのうさぎが目の前を走り抜けていった。
おれも追いかけていかなくっちゃ、やっぱり目を閉じられないよ、間に合わないからね。
堂々巡り。
「独立器官」という掌編は、 52歳独身の美容整形外科医が恋に焦がれるあまり餓死するまでを描いた話だったりも する。
その中にアウシュビッツの送られた内科医の話が出てきて、
美容整形外科はこんなふうに思う、
今の生活からある日突然引き下ろされ、
すべての特権を剥奪され、ただの番号だけの存在に成り下がってしまったら、、私はいったいなにものになるのだろう?
社会性という仮面か皮かわからないものを引っ剥がしたあとに「存在」する自分というものは、ナニモノカでありえるんだろうか、と。
そんなことはないんだよ、ミスター。だから森はあってそこで小鳥は歌ってるんだよ。
暖かい光も降り注いでいるし、冷たい水で喉を潤すことだってできるんだ。
そんな風に彼に(いや、自分自身に)語りかければよかったのか?
とにもかくにも村上春樹の話はいつも闇と静寂に満ちている。
おれもあなたも、ある意味で言うならば、53歳の「女のいない男たち」なのかもしれないではないか。