今回の透析学会はヒトに会うことというか、 ヒトとのつながりを体感した学会だった。
と言っても自分の人脈などたかが知れているので、 高名な先生と立ち話をほいほいしたとかそんなわけもない。
ただ自分のちっぽけな範囲でつながることのできたヒトと、 久々にface to faceでお話できたというそれだけのことだ。
行きは高速バス。片道4時間。
でも久々の読書を堪能。舞城王太郎「ビッチマグネット」。
誰かが書いていたように、確かにこれは現代版「桃尻娘」 かもしれない。
懐かしいね、榊原玲奈!
そんな小生意気な主人公の女の子のモノローグ聞いてて腹立ててた ら、そのうち愛おしくなって、 最後は彼女の人生にエールを送りたくなってきた。
誰もが自分の人生では主人公を演じなければならないんだよね。
たとえそれが大円団に終わらなくってもね。
長いけど引用を(p154-156)
正論ってのは他人を正すためにあるんじゃないんだよ。正論ってのはあくまでも自分っていう潜水艦の周囲の状況を確かめるために発信するソナーなんだよ。自分が正しいと感じる、信じる意見をポーンと打って、返ってくる反響で地形を調べるのだ。ソナーで道が拓けるわけじゃない。人間は周囲をいろんな人間に囲まれているから、誰か一人の意見を鵜呑みにはしない。人にはそれぞれの考え方、感じ方、価値観、行動理論があるってのは基本前提としてだれにでも備わっているのだ。お互いの違いを認めているからこそ、そうそう本質は変わったりはしない。皆自分の思うままに行きている。でも同時に人は孤独や孤立に危機を感じる弱い生き物だから、周囲の空気や集団の向かう先を読む力には長けているて、大勢の方、声の大きい方につきたがる。(略)などと言いつつもまあ人生そのものには勝ち負けなんてない。あるのは達成感と挫折感だけだ。(略)正しさでは人は変わらない。正しさで人を動かすことはできない。でも人の意見や気持ちはそばにいる人に影響を与えはする。誰かの考えを聞いて自分の考えに反映させたり、誰かの気持ちを感じて自分の気分が変わったりはするのだ。でもそれには時間がかかるし、別の意見や気持ちが別の人から常に入ってくるわけで、すぐさま形としては外に現れない。だから潜水艦が通ったあとに地形がゆっくり変わるってことはあるかもしれないけど、そんなのと奥に行っちゃった船には関係のないことなのだ。
たしかに我々の人生には勝ち負けなんてない。ただアップとダウンを繰り返しながらだらだら続く道を行くのみだ。
その果てでぷちんとちぎれているのがわかっていてもやっぱりだらだら前を向いて進むしかないんだ。
「正義」やら「正論」だけではわたってけないことも知ってるからあざとい方法も試してみる。
時には自分やら他人にも嘘をつく。でもそれで麻痺して腐ってくるかどうか、それは自分次第だ。