久々のSaxとDrumを終えて、N先生とホットレモネード飲みながらペちゃっくちゃおしゃべりする。
先生は、やはりおれと一緒のような動機(中年クライシス?)でジャズギターを始めたところだ。腕のほどは演奏聴いたことないので分からない。でも、二人で、ガーシュインの「I got rythm」やりたいねえとか、自分が先生に不遜にもアプローチしてるところ。その配分では自分がviolinで、彼がジャズギターだ。
エミフルの映画館の前のcafeでおっさん二人でくっちゃべっている。
おれもcafeでくつろぐことができる人間だったんだなあとしみじみ思ったりする。でも、空間的に個室とか閉鎖されたcafeではくつろげない。こないだ伊予市に出来たばかりの某cafe行ったけど、個室仕様で、一人でいると煮詰まってしまった。だだっ広くってヒトのいない空間じゃないとダメだなあ。平日の夕方はこのcafeにはスターバックスとか違ってほとんどヒトはいないのだ。
またまた新聞記事でみて、ウー・ウェンさんの「白菜の葉のとろとろ豆乳スープ」を作る。白菜の柔らかい葉の部分と投入をくたくたになるまで煮て、塩コショウで味付けするというシンプルなものだ。それで白菜の根元のほうが余るので、主菜はXO醤炒めとする。具材は、イカ・ホタテ・豚肉・白菜・ニラ・もやし。白いご飯が美味しいです。
すべての雑事をおえてから、いよいよ、村上春樹「1Q84 Book3」の最終読書体勢に入る。読み終えたのは、夜の10時過ぎだったけど、なにか大きなことをやり終えたという達成感と、これからおれの頭のなかでこの物語がしばらく触手を伸ばして育ってゆくのだろうなという、なんか落ち着かない感じが交じり合って、いつしか睡眠モードに入っていったのだった。
世界は全くのconfusionだ。時に救いなどないのかもしれないと暗澹たる気分に襲われる。その気分はスパイク状に訪れるが、最近また頻度を増している。人間は悪なのだという、性悪説をずっと中学生の頃から維持していた。それがいつの間にか捨てたもんでもないかくらいに変わってきていたというのに、この分厚い雲は全く視界を遮り続けることが多くなった。どんな世界でも、そこに希望を見出そうと語る小説家は全く正しい。そこに至るまで、村上春樹氏は、あの分厚い本3冊分のexcuseを必要としたのだ。それを思えば、物語はいつも現在進行形でいいのだと思わされる。まったくね。読者たちは、ハリウッド映画みたいな、全てをおまかせで、わかりやすい結末が待ってて、大量の涙を流してというのを欲しがっているのかもしれないけど、それはお門違いというものだ。誰もが自分の物語を生きているではないか、実人生では。