#184 「400円のロック」byシーナ&ザ・ロケッツ
シナロケのシーナさんが子宮頸がんで亡くなられた。61歳だった。
久々に日比谷の野音でライブされて、これからまたかっ飛ばすかなと思ってた矢先だったがゆえに哀しい。
めんたいロックとか言われてから久しいけど、モッズもまだ現役でやってるし、ルースターズも時々やってるし、ARBがめんたいだったのかかどうかは不明だけど、いろんなバンドがいた。
花田裕之さんには未だにドキドキするし、SIONのバックにいる池畑さんのドラミングにはしびれっぱなしだ。田中一郎(ARB)は甲斐バンドで弾いてるし(しかもブクブクだったのがだいぶ元の体型に戻ってきたし)、でもシナロケはどんなに変わってもやっぱり鮎川さんとシーナというファミリーが核になったある種特殊なバンドだったんだと思う。
何十年も前に、一度だけ、岡山の市民会館でヒカシューかなんかと一緒にやってたライブを見たことがある(自分の錯覚かもしれないんだけど)。
デビューアルバムの「#1」は今聴いてもかっこいい。鮎川誠のリフはその時点である程度完成されていたのだ。というかそれはロックンロールそのものだったんだ。
その1stアルバムで、今でも忘れられないのが「400円のロック」という歌だ。
どこでもいいから 次の汽車の
400円分の きっぷを下さい
どこでもいいから 次の汽車の
400円分の きっぷを下さい
どこへいくかなんて しっちゃいねえ
ただもう ここには いたくないんだ
Sheena And The Rokkets - 400 円のロック ( 400 yen's rock # 1 lp ) - YouTube
もろ、ラングストン・ヒューズのパクリのこの歌詞を、自分はシナロケの方で日本語として身体に叩き込めたのはでも幸せだったのだろう。そうやって先輩たちにはいろんなことを知らず知らずのうちに教わったのだ。渋谷陽一に、ZEPではなくスプリングスティーンを教えてもらったし、キヨシローからはオーティスを教えてもらった。甲斐よしひろからはストーンズを教わったし、山川健一からはボブ・マーリィを教わった。SIONからはトム・ウェイツやルー・リードを教わった。それは誰かが書いてたようにパクリではなく、ある種の日本の文化への翻訳なんだろう。たとえ誰かの歌詞のフレーズが外国のあの楽曲にそっくりだったとしても、それはそれでいいじゃないか。
最近寝る前はこのCDで知らんうちに寝てるけんだけど、それでもね、なんだかね、どんどんどんどん、ちょっとずつだとしても、ほんと寂しくなるんだよね。
オリジナルはこちら、
「七十五セントのブルース ラングストン・ヒューズ/木島始 訳」
どっかへ 走っていく 汽車の
七十五セント ぶんの 切符を くだせい
ね どっかへ 走っていく 汽車の
七十五セント ぶんの 切符を くだせい ってんだどこへいくか なんて 知っちゃあ いねえただもう こっから はなれてくんだ。
いい子だな ちょい 好きになるってのを おくれ、
でも ながすぎねえように してくんな。
ちょい 好きになるっての、いい子だな、でも ながすぎねえように してくんな。
ちょっとのま 甘えようにしてくんな、おめえの好きになんのはな、
それなら ごろごろ 乗ってけるんだ。
ごろごろ 乗ってかなきゃな?