#202 椿倶楽部奇譚
待ち合わせの場所にはずいぶん遅れてついた。
知っているはずの場所なのになぜかなかなか辿りつけなかったのだ。
店に入るとみんなカウンターの中でがやがややってる。待ってるのに来られないからもう飲んじゃいましたよ。彼女のほっぺはほんのりピンク色で、舌は妙に回っていない。ホンロサッキマデマッテランデスヨ。それがまた可愛い。
ごめんなさいね、会費は前金でいただくようになってるんですよ。それじゃあ大きいの一枚でおねがいしますね。POTERのかばんを開ける。あれ、財布がないよ。もしかして、忘れてきちゃったかな。鞄の底の1000円札をさらっても2枚くらいなもんだ。どしたらいいかな、と困った顔で尋ねてみる。
急に彼女の顔が真っ青になり、部屋の照明が落ちる。最初っからその気なんてなかったのね、ずっと待っててやっと会えたっていうのに、最初っからあなたの中にはなにもなかったのね。なんにも、なんにも。もうなにも見えない、なにも聴こえない。彼女の声が、鼓膜の内側の圧を上げ、おれは耐え切れなくなって耳を抑えて、その場にうずくまる。
気が付くと、店は跡形も無い。
何もない瓦礫の山のまんなかあたり、彼女が頬を赤らめていた場所には丸い石が2つ重ねられ、その上に御札のようなものが貼られており、半分くらいはちぎれかけているのが見える。周りには倒れた鳥居の煤けた赤ものぞいている。
あゝそういえば此処は昔、狸とか狐とか、そんなものが祀られてた場所だったよなあ。しょんべん引っ掛けちゃダメだって言われて、みんなで笑いながら鳥居におしっこしたよなあ。
おれの股間にもなぜか重量感があり、見ると長い尻尾のようなものが生えている。これは腫れたちんちんじゃないよねえとうそぶいってみる。あゝ、それにしても、おれは誰に向かって話してるんだろうねえ。長い約束をやっと果たすはずだったのにねえ。やっと辿り着いたのにねえ。ほんとに台無しにしたかったわけじゃないんだよ。ごめんね、ほんとにごめん。此処に来るまで何十年もあくせくあっちで生きてきたんだよ。おれは、丸い石に封じ込められた彼女の魂にそっと呟く。
風が揺れる。遠くでチラチラと揺れているのはあれは野火ではない、きっと鬼火だ。もう春はそこまで来ているっていうのにね。涙はそして停まることを知らぬかのように溢れた。でもきっと会えると思うよ。
「pirokichi劇場その⑤」(pirokichiさんの素敵な写真をいつも勝手に借りてます^^)
【追記】ご近所で開業しているDrが51歳の若さで逝去された。突然の事だった。本人にもその気なんぞさらさらなかったのだと思うと余計にいたたまれなくなる。生きるということはどういうことなのか、また考えるようになった。でもみんな行き着く場所は同じなのだから、今の速度をせめて維持するくらいしか思いつかない。哀しいのでなない。ふっと空の蒼が透けて見えるだけだ。その向こうになにがあるのか、笑いながら季節は足を早めてゆく。