#215 もう何度目かの「プルートゥ」by浦沢直樹&手塚治虫
もう何回目かの、浦沢直樹先生の「プルートゥ」(全6巻)を読む。
「鉄腕アトム」の「地上最大のロボット」のリメイク作品だ。
何度読んでも浦沢先生の作品にはカタルシスがない。でもそれが「現在」という時代なんだと思う。「モンスター」も「20世紀少年」も、ハッピイには終わりはしない。そしてこのマンガの中のまるで人間の「アトム」少年も、途方に暮れて雨の中に佇んでどこか遠くを眺めているようにしかみえない。地球が救われたあとでも、彼の電子頭脳は途方も無い悲しみでいっぱいだ。
60億の人類の記憶をinputされた作られたロボットは覚醒しない。彼を覚醒させたのは憎悪だった。彼は人類を滅ぼし、ロボットだけの世界を作ることを立案する。
そしてその憎悪の念ゆえに人間を殺害することが可能だったロボット刑事・ゲジヒトの最後の記憶をも取り込み、プルートゥに殺害されるイプシロンの声をも感じつつ、一度は死んだはずのアトムもまた憎悪を抱いて覚醒するのだった。
死んだ者達のメモリーがどんどん引き継がれていく。それを自らの裡に取り入れたままで、消去するという機能を持っていないのがロボットだ。
人間は嫌な記憶を書き換えたり、自分の都合で消去できたりする。ロボットが限りなく進化し続けてゆけば人間に近づいてゆくということで、人間に近づくとくことは憎悪や、ニンゲン殺しをできる種族になるということなのだろうか?
だがアトムは人類を、地球を滅ぼさない。なぜならロボット刑事・ゲジヒトは、撃たれながらも、最後に「赦す」という感情に包まれながら死んでいったからだ。
故・手塚治虫は、最初のTVアニメで、確か、アトムを人類の犠牲にして太陽に向かわせたのだった。TVの前に正座していたちびっこたちは嗚咽を漏らしたという。自分は残念ながら覚えていない。放送は1966年の大晦日だったという。その時自分は6歳だ。
みかけは子供でも、アトムは莫大な苦悩と矛盾を抱いて生きてきたのだ。一旦死んだはずの1966年から。
それでもヒトゴロシをして永劫に収監されたロボット「ブラウ1589」は、アトムに触れて「温かい」といい、ある行動に出る。それを浦沢直樹らしい発想と必然と自分はとらえたのだが、他の読者はどう読み進めただろうか?
そう、浦沢直樹はまさに「アトム」をリメイク(再生産)したのだ。
手塚治虫先生が、アトムの後日譚を描いた「アトム今昔物語」をまた読んでみようと思います。