#216 森田童子の歌が流れる夜に
(ちょっと古い記録から)
知り合いから悲しい知らせを受け取る。
確かにヒトがヒトにしてあげられることなんてこれっぽっちもないんだ。
ただできることがあるとすれば、それは自分が、自分の中に引いた基準に負けないようにしてなおかつ余力あればそれを少しでも超えることくらいだ。
自分のレールさえ敷けないやつには、ヒトに何かをしてあげられる資格なんてあるわけないじゃないか。
そもそも誰かに何かを「してあげる」なんて表現自体が傲慢以外の何物でもないしね。
(これは他者との比較ではなくあくまで自分の矜持の中の基準での比較なので線をどこに引くかはその人次第だ)
そして、それが救いになるのか助けになるのかそんなことなんて誰もわかりはしない。
でも、例えば、生きてここで穴掘ってる自分の姿を見ることで、一人ぐらい笑ってくれる奴がいたらそれはそれでいいんじゃないだろうか?
だからsorry、彼女が苦しんでいても、ほんとおれにはなにもできることなんてないんだよ。ただ胸は苦しく心はemptyなだけのことだ。
多感な時期を違う土地とはいえ共に過ごしただろう友が、森田童子の貴重なLPを貸してくださる。
ほんと彼女にとっても宝物だろうにね、yukoちゃんありがとうね。
そして、その数枚のLPの中から、森田童子唯一のライブ盤「カテドラル聖堂」(1978)でのライブに針を落とす。
消え入るような声で、童子は自分の体を切り刻みながら歌う。
切ったところから、血は途切れることなく溢れだし、その血が、僕らの血管の中を今も流れていることに、何十年たった今も気付かされるのだ。
きみは変わっちゃったね、と、童子は歌った。
でも変わったのは自分のほうかもしれないし、もしかしたらふたりともなぁんにも変わっちゃいないのかもしれないよ。
だから友よ、
たまには、冷たい夜を、ホット・バタード・ラムでも飲んで、
昔の歌を聞きながら眠りに落ちるのもいいかもしれない。
もちろんきみがお酒を飲めるくらい回復してからの話ではあるけどね。
オレは待ってるよ。
久し振りだネ 本当に久しぶりだネ
淋しかったぼくは
いまでもやさしいあなたの
そばにいると 涙が
こぼれてしまう
とても 長い時が 過ぎたのネ