#230 Between death and life
忘れないうちに書き留めておこうと思う。
誰かを彼岸に見送るとき、この世界に自分一人だけ取り残されたような気がする。向こうに行くのは彼や彼女で、おれのいる世界のほうが「生者」の世界のはずなのに、何故か気分は逆なのである。
しばらくするとその体にまとわりついた感覚は薄らいでゆき、いつしか自分はぐだぐだの日常にもまれてゆくだけなのだけれど、なんなんだろうね、この感覚。医者になって長年経つのになかなか馴染めない。
で、まとわりついていた、患者さんに対する思い出もやがて消えてゆく。医者になってはじめてご臨終を告げたのが誰だったのか思い出すことはできない。でもそれでいいのだ。おれが死んで、誰かが俺のことを思ってくれていたとしても、それがfade outしていってzeroになったとしてもちっとも悪いことなんかじゃないんだよ。そうやって、人間の営為は続いてきたんだからね。あの墓に犬がしょんべんかけても決して悪いことなんかじゃないんだよ。おれが死んでなにも残らなかったとしてもそれはそれ。
おれは多分冷たい人間なんだと思う。もしかしたら愛する振りをして誰も愛せないのかもしれない。その逆かな、誰もを愛して、誰かを愛することから逃げたいだけなのかも。愛は楽しい。愛は苦しい。生きることが楽しみだけではないように。
それでも一日の終りに、ヒトはなぜ生きる理由をまた探すのだろう。そう歌ったのはかのブルース・スプリングスティーンで、彼もまた「途上」にいる。
浜田省吾さんの新しいCDのタイトルは「旅するソングライター」というものだった。彼が円熟に向けて羽ばたいていたように思えた時期もあった。そして過去を再生産したCDが何枚か作られた。それはそれでファンにとってはうれしいものだった。でも、10年ぶりくらいに新しいCDが出てそのタイトルを聞いた時、かれは途上にいることを選んだのではないだろうか、勝手にそう思った。でも実は、新しい、浜田省吾さんのCDサウンドは聴いてないんだよね。そういえばストリートの詩人・佐野元春さんも、若いバンドメンと新しいサウンドを作り上げたらしい。でもそれも手にするかどうかまだ決めてない。でも彼の新しい音たちはなんとAPPLE MUSICですべて聴くことが可能で、そのsolidなsoundは「現在」に似つかわしい。例えばぼくが今聴きたいのは、ぼくの隣で歌ってくれているような七尾旅人くんの声だったりするのだ。
そんな夜に、そんな夜に、おれの中から聞こえてくるうめき声に耳を傾けていると、先に旅立った彼女やら、突然おれの前から姿を消すように消えたあのおっちゃんやら、若くしていなくなった歯医者の先生やら、いろんな人の声がやっぱり聞こえてくるような気もするんだ。死んだヒトはなあんだ、生きてるじゃない。ちょっと安心しておれは枕に顔をうずめ、漆黒の訪れを待つことにする。