だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#246 朝ピアノを弾くということ。(54歳からのピアノ その4)

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photo by j_arlecchino

 

いろいろ欲に取り憑かれて、playする楽器の数を増やしてきた。

そして煩悩はまだまだ増えてゆきそうな勢いである。

 

小学生の時、バイオリンを習っていた。まあその頃の習い事というのは興味が無いわけではないにしろ、自分から積極的にやるたぐいのものではなく、中学生の途中くらいで自然消滅してしまった。

小学校の時、音楽の先生が好きで、けっこう音楽室に入り浸っていた。その中で最も好きだったのがフルートという繊細な楽器だった。吹かせてもらってこれがやりたいなどと思ったが、その思いもいつしか色褪せていった。子供なんてそんな移り気なものである。

そしてもとは皆さんと同じくフォーク小僧だったので、やっぱり親にねだって、10000くらいのフォークギターを買ってもらって独学で弾いてみはじめた。「22歳の別れ」とかそんなのを爪弾いては悦にいっていた。

 

そして数十年。

 

ギターだけが手元にあって時々弾かれていた。バイオリンは実家から持ってきていたのだけど、「のだめ」がはやった頃、娘に見せてやろうと取り出したら、弓もボロボロで弾ける状態ではとてもなかった。

そんななかで、自分の手元に置く楽器はなんだろうと考えて、歳取ったら枯れたブルースマンみたいになるんだと、BluesKingという小ぶりのGibsonのギターを手に入れた。

それが、家の近所に島村楽器ができて、ナベサダ渡辺貞夫さん)のコンサートのあとで盛り上がって、SAXやってみようかやりましょうよから、また再び(はじめて?)の音楽行脚が始まった。

 

SAX→バイオリン→ドラム→そして最後はまさかのピアノである。

ギターの方はバンドに混ぜてもらって、主にコードストロークとか下手っぴいなボーカルをやらせていただいたりしている。

たったの2曲でどっちも日の目を見てないけど、オリジナルの歌ものも、ギター弾きながら作った。「Girl in summer night」と「ろかまいべいべ(Rock me baby)」というものだ。青春三部作と自分では呼んでいるので、あと1曲が絞り出されるはずなのだけど、なかなか出てこない。まあ1年に1作かそれ以上のペースですからね。これができたらもう自分の青春は終わったってことのような気もする。このへんはまた別の話。

 

ピアノは仕事をやめてから時間ができたらなんとか始めたいなあくらいの消極的希望候補の楽器であった。でも、近隣の産婦人科の先生が51歳でご逝去されたのとか、娘に買っていた古いクラビノーバが家にあったのとか、新しい若い先生が新人社会人として島村楽器に就職されたのとか、いろんな個人的事情と偶然が重なって、1wほど考えた挙句に(これって考えたことになるんかなあ?)、「やります」ということになった。

 

だから自分の音楽歴としてはピアノが一番遅く、かつ、ぶりぶり初心者なので、とにかく練習は他の楽器以上にすることにした。そしてレッスンを受けるのは週1回以上はやめるというルールを自分の中に作った。それ以上だと、上手いにせよ下手にせよ、ピアノ学習のリズムをキープできないのではないかと思ったのだ。

 

だからほぼ毎朝練習している。

 

自分の中に全く無いものから、楽譜にあるものを引き出して自分の指に乗り移させるという作業は、今までの人生にはあまりなかったたぐいのもので、困難であり、しかし新鮮な作業である。まだ作業でしかなく、芸術になってないところが悔しい部分ではあるのだが。

 

そうしていて気づいたことがある。

自分の中から出てきたもの以外は定着しないということだ。

アタリマエのことだけど、楽譜を見て、ある程度の腕理解したつもりになって、鍵盤をたどたどしく弾いて、右手のメロディを弾いて、左手の伴奏を恐る恐る弾いて、さらにゆっくり両者をあわせてみる。ある程度経って、電子楽器なのでリズムを合わせたり、自分の拙い演奏をフロッピーに録音して(古い型なのでフロッピーに対応してて、慌てて、病院でフロッピーの残り2枚位を発掘した)それにあわせたりとか、色々している。

指を通して頭に伝わり、頭を超えて指が動き始めた時があると、その次にある程度感情の表出みたいなものがやっと逆に指先に伝わたりする・・はずだ。だからまだまだペダルなんてぇものには手が出せない感じだけど。

そんなプリミティブなことでしか人間は成長しないのかもしれない。実際自分が日頃やってる、対面での診療という行為も、だから、同じことの繰り返しのようでも、なんからの進歩を自分に与えてくれているのかもしれない。

 

「断捨離」とか「気づき」とか「・・できる人間になるためには」とか「To do」とか色んな本がある。否定はしないけどあまたのセミナーだってある。その人がどれを選ぶかの取捨選択はその人の資質とか方向性にもよるだろう。

自分は、ただ、こうやって鍵盤をいじくることから見えてくる風景が、今は一番、自分の中の何かを揺さぶってくれてるような気がする。

ピアノを弾くのは苦しい、これだけやってどうしてここで指が動かないんだとか、どうしてこんな稚拙な演奏なんだ、とか、くさることばかりである。

それでもこうやって、まだはじめてたったの3ヶ月だけど、続けてるのは、そこに歓びとか得るものがあるからなんだと思う。

 

自分はプロの医者として一応生きてきて、それに対する自負みたいなものもそれはあるんだけど、なんていうのかな、ピアノはそれと対局のようで、実は、おんなじベクトルも内包しているような気がするんだよ。それが何かを具体的には今の時点ではいえないんだけどね。