#262 「山口晃先生入門とその向こうにある日本美術ってやつに多少なりとでも喰いつけるのかな?」
寒くはない、暑くもない。
妙ちきりんな朝だ。久々の早朝覚醒。
新しく手に入れたwirelessのプロジェクターのマニュアルをようやく眺める。どんだけのろまなんだろうな、おれ。
日々が己を圧倒して、その波の中で翻弄されてdirectionを見失っている。わかっているまま流されて、抗おうとして、まっいいかと手を抜くとまた流されている、そんな堂々巡りの日々にも乾杯しているのだから始末が悪い。
家人が、美術とか美術館めぐりとか好きで(自分も嫌いな方ではないと思っていたが彼女の質量感は半端無かった。いや、圧倒的とさえ言っていいかも。おれはただ漫画雑誌をめくるように美術に接している感じかな。)、自らも絵を描き続けていることもあって、旅先でもよく美術館に行く。
そんな理由から、日本画とか日本の今流行の琳派とかそういった作品にも触れる機会が多くなってきた。でも全然わからん。自分が好きなのはあれやかな色使いの絵たちで、だから一見するととっつきやすい「シャガール」とか「伊藤若冲」さんの絵たちに惹かれるんだと自己分析するのだけれど。まあ、平たく言うと、ワイン飲むのと一緒で、美味い、いやこれはちょっとテイストに合わんし、とか、いうくらいのものである。それはそれでいいのだと思っているけど、知れば味わいが増す場合というのも確かにあるはずで、とかやっぱり思うのは昭和貧乏性の所以であろう。
山口晃先生の「ヘンな日本美術史」という本を、そういった過程からか手に入れたものの、未だ読んでいない。買ってみて改めて気づいたのだけど、彼の作品を自分は愛媛県立美術館の展覧会で以前に見ていたのだった(調べたら2,009年のneoteny japanだった)。あの緻密な大名行列だか参勤交代の絵!あれは凄かったよ、全く。
医学雑誌のおまけで送られてきた「Momentum」という雑誌に、彼のinterviewが掲載されているのをやっと読むことができたので、自分のためのメモとして残しておく。
題して「山口晃先生入門とその向こうにある日本美術ってやつに多少なりとでも喰いつけるのかな?」くらいの感じでしょうか。
「あのピカソも晩年、『やっと子供の線が引けるようになった』と言いました。彼の絵は子どもでも描けそうですが、それは違う。子供しかかけない絵を、絵画修行によってようやく描けるようになったんです。学校で学んだデッサン力を駆使して、自分にしかわからない頭の中の感覚を作品として再現できる人は、たぶん天才として名を残すんでしょう。でも単なるデッサン力だけが先に定着してしまうと、どんなにうまく描いても、その作品は人の心を動かさないんですよ」
「(中略)これは、どもの絵と一緒です。目には不正直だけど、人の心には正直な絵。だから『見返り美人図』も、あんなにフニャフニャだけど、とにかく強いんです。日本人は昔から、気持ちに焦点を合わせた絵を描いていたんですね」
自分の酔っ払った時のデッサン力の微塵もない似顔絵を比較にだすわけではないけど、なるほどそういうことだったんだと頷かされる言葉たちです。そこに到達できるまでもきっと芸術であり、たとえ未完でも、それはそれなんでしょう。だから自分が最近やっきになってる音楽プレイも同様のものなんでしょうかねえ、上をみたら絶望に苛まれて、夜毎のため息ではありまするが。やっていく過程そのものが音楽なんでしょう。