1970年代ドラマの名作といえば、誰がなんと言おうと「俺たちの旅」である。
そう断言してもいい。
カースケとオメダはなんとか大学生活を終え、社会人になるかとおもいきや、ドロップアウトして、そんでもって今で言う「起業」してしまう。
男4人がつるんで、まるで合宿ライフみたいな感じで自分たちの楽しいやりがいのある日々を構築しようとしながらすったもんだする。
そんな物語は、最終話でも「男たちの旅はいつまでも続くのです」とか締めくくられるのでした。
以下、昔のblogよりの引用。
その昔、中村雅俊主演の『俺たちの旅』というドラマがあり、明日のことなんてくよくよ考えるよりも今日を精一杯生きるのが大事なんだよというセオリーにのっとってドラマは展開し、その一挙一動にボクラは感動するわけであった。あのヒトはそんなヒトじゃないよ、オレは何があってもあのヒトを信じるよ、信じるってこと、それが大事だろう、と言いつつ裏切られるカースケ。でも最後にはみんなで肩組んで、井の頭公園の噴水に飛び込んだりするのだ。彼らの根城になっていたのが、下宿たちばな荘の1階にある『お食事いろは』という名前の店だった。なんか、勝手に冷蔵庫からビール持ち出してきて、栓抜きでうれしそうに瓶叩いてしゅぽっと開ける仕草とか、あこがれたもんだった。そこに東大萬年浪人のワカメとかもいて、よれよれになってカースケに絡んでたりした。
自分も社会の中では「生産」の中核を担う年頃になってる。
若いころには想像もつかなかった歳になって、いっちょまえに家庭もあり、医者という非常に堅気な仕事もしており、若造にうんちく垂れたりもしてる。
でも蓋開けてみりゃ、実は、「青春ごっこ」(なんて言ったら怒られそうだけど)やってた「俺たちの旅」の主人公たちと何ら変わっちゃいないんじゃないって時々思い知らされた気分になる時がある。
無理して進歩したり大人ぶったりしなくってもいいのだって思う時がある。
だって否が応でも頭カツンとどつかれて、這いつくばんなきゃいけない時はやってくるんだって、この長いようで短い人生の中でも、何度か思い知らされたからね。
そんな時、目をつぶっても、後ろを見ても、泣いても、自分から逃げることはできないんだって思い知らされた。
思い知らされることが、もしかしたら、ちょっとだけの成長って呼んでもいいことなのかもしれない。
それはカースケは教えてくれなかったかもなあ。
でもね、そんな世の中だからこそ、
おれが(自分が)誰かを信じたいと思うその気持があって、それを失っていないってことが、一番大事なんじゃないかって思うんですよ。
そうか、だから、泣いて酒をあおってゲロはいてもなんとか立ち直れるんだな。
よしよしお前もまんざら間違っちゃいねえよ、
ってそんなことをオメダやカースケは教えてくれたような気がする。
結構大甘ちゃんの自分ですけどね。
俺の旅もまだしばらく続くみたいですねえ。