#348 冷たい雨に打たれて
無為な時間があってもいいのではないかと思う。でも一瞬たりとも無駄にはできないというのが性分だ。
止まることを自分に許可したくないのだ。
酔ったあとの脱力感はだからキライではない。あれは酒の力がおれを強制的に休ませてくれているのだと思うことにしよう。酒飲みの傲慢な理屈ですね。
昨夜は、雨の中をへべれけで歩いたせいか、薄ら寒い。
やたら鼻水が出る。風邪の初期症状やもしれぬ。
より良く生きようと思う。昨日よりもいい一日に。
でもそもそもなんのために生きるのかという命題にはたどり着けないままだ。おれが死んでも、おれが職場から消えても、きっと困ってくれる人もいるかもしれないけど(そうであることを祈る)、でも、大きな時間軸で言えば、何も変わりはしないのだとも思う。
雨の日にはペシミスティックになる。
ユーミンの歌に♪冷たい雨に打たれて街をさまよったの・・というのがあったなあ。
こんな気持のままじゃどこへも行けやしない・・で終わるんじゃなかったっけ。
自分の基盤なんて砂上の楼閣みたいなものだ、アイデンティティが崩壊したあと、何に頼っていけばいいのかわからないまま生きている人だってゴマンといるだろう。
lean on me。おれに頼りなよ。これはたぶんミック・ジャガーの歌詞じゃなかったかな。
ああ、「let it bleed」だよ、思い出した。
血を流しなよ。血を流しあいなよ。
冷たい雨に打たれても、血の雨に降られても、傷ついた自分の本質が変わることなんてないのだと思う。
だからおれが傷つけた数多くの人も決しておれを赦さないと思う。
だから祈りが必要であり癒やしが必要になる。
本質が何一つ変わらないとしてもね。
歌が、音楽が、文学が、酒が、時の進むのを赦してくれるんだ。
でもホントのことはひとつだけ、何一つ変わっちゃいない、ってこと。
おれはドブ板の下から姑息に世間を見回しているただのチンピラにしか過ぎないのだ。
どんなに着飾っても、ちょっといいクルマに乗っても、善人ぶって相槌をうっても。
いつまでたってもね。
私に会うまでの1600キロ
おれのリアリティとは違うけど、なかなかいい映画だった。でもアウトドアの人が見たらきっと激怒するだろうなあ。