カウンターに座って戻ってこない人の名を呼ぼうとして
想い出せないことに呆然とする
そういうおれはいったいどこの誰なのか
曖昧な記憶を確かめるようにポテトサラダを食す
目の前のコップの中身はたぶん芋焼酎で
それだけでも思い出せるのはきっといいことだろう
あなたの不在だけが中心にあるのだけれど
あなたのその仕草とか唇とかは思い出せるのに
あなたとの日々はもう靄の中のようだ
ここにいてほしいと思いながら
ここにいてほしいと言い出せなかったおれを
あなたは責めもしないで小さなため息をひとつついて笑った
そんなこともあんなこともどこか遠い他人の日記を盗み読んでるみたいに思えてくる
いつか笑えるのかな
いつか声を出して笑えるのかな
この人はねぇいつも酔ってからしかこないんですよ
カウンターの中で白い割烹着の男が笑いながらおれを指差す
これはおでんの匂いかな
甘い味噌で食べるこんにゃくは最高だな
たまごも好きだけど
そういえばあなたの好きな銀杏もこの店にはあった気がする
熱燗の季節が知らないうちにやってきて
おちょこの淵の神様が湯浴みしながらおれの魂のドアをノックしてく
あなたの不在は
あなたの不在は
どうしようもなく存在しているから
だから今宵も酒を注ごう ぬる燗よりちょい熱めでお願いしますよ
だって今もこの熱燗の徳利の隣の湯気の向こうに
あなたは困った笑いで座ってるんだからね
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古い本を読む。20年前、入院した彼女のためにチョイスした本だ。
古い本を読んだからといっていつも古い記憶がよみがえるわけでもないけどね。
それでも、いろんなことを思い出すことはできる。少なくともその周辺のことは曖昧でもなんとなく。だから、何度でも、死んだ人や、目の前から消えていった人たちは蘇るだろう。この自分が生きている限りはそうであって欲しい。でもその自分が自分でなくなる日が来るとしたらそれはちょっと怖いことだなあ。実際「そこに、わたしの目の前に昔の友達がいるんですよ」と、真顔で言う患者さんもいる。もしかしたらそれは間違いじゃないのかもしれないな。